そうしてを軟禁して十日もしないうちに、事態はあっさりと逆転されてしまった。 浅井より使者が向けられたのだ。 浅井、前田両名は中立を貫いているが実質はまごうことなき織田配下の勢力だ。 今まで主力ではなく一部力を織田に貸し与えるという形で全面的に戦に参加することはなかった。 その浅井、前田両名が本格的に当主を上げて織田の遣いとして動き始めている。 織田は自軍のほかに、美濃、明智、前田、浅井の五つの軍勢を所有したことになるのだ。 「我が名は浅井長政。我が義兄織田信長の命により武田へ参った。先の戦により我が義兄の姪である姫がこちらに保護されているそうだな。大人しく身柄を返していただこう」 「・・・随分と、尊大な様子であるな」 「無論!甲斐の虎と名高き武人が戦場にて無力な姫を拉致するなど言語道断!!たとえそれが戦略であろうと正義はそれを許しはしない!!」 そのような姫は与り知らぬ存ぜぬとしらを通すのは容易い。 しかしそうなれば甲斐一国で五つの軍勢をも相手しなければならないのだ。 北条、今川との同盟は今やないも同然。 武田信玄に与えられた選択肢は一つしかなかった。 「拉致とは人聞きの悪い事じゃ。戦場にて負傷しておったかの娘を保護したまでよ」 「ではすぐにでも、お引き渡し願おう」 「・・・」 家臣たちに目配せをし、満月の娘を呼ぶ。 甲斐のシンボルカラーとも取れる赤い衣に身を包んだは一礼して部屋に進みいる。 魔王の義弟浅井長政。そして魔王の妹お市。 はじめて目のあたりする両名には少しだけ不安に表情を歪めた。 「おお!そなたが殿か。兄者から話は聞いている。私は浅井長政。こちらは妻のお市。我が義兄である織田信長の命でそなたを無事尾張へ送り届ける任を受けたのだ」 「信長様のところに・・・帰れるの?」 「うむ。私が保証しよう」 長政の言葉にはジワリと瞳を潤ませる。 月が陰る。いや、叢雲が払われる光がもれたのだ。 「私、帰れるんですね・・・」 「濃姫様も、無事よ、あなたのこと、心配してたわ・・・」 お市の細い声にの瞳からたまらず涙があふれ落ちた。 丸く輝く珠の美しさに長政も息を飲む。 まさに聞きしに勝る美しさだった。 「行きましょう、」 「うん!」 差し出された市の手をは迷いなく握った。 長政は一件落着という風体でひとつ頷き、兵たちを連れて踵を返す。 お市がそれに続き、も連れてゆかれる。 「信玄公」 「ぬ?」 振り返ったの黒髪が風になびく。絵のような美しさに信玄は眼を細めた。 「・・・その、お世話になりました。真田様にどうかお礼を伝えてください」 「・・・」 「ありがとうございましたと」 小さく頭を下げ、の小柄な背は兵たちに紛れて掻き消えた。 「佐助よ」 「はいよっと」 「幸村は」 「まぁ、怪我で動けませんけどきちんと聞いてましたよ」 「そうか」 そうして武田は、完膚なきまでの負けを得たのだ。 戦利品は奪われ、領土や金銭が得られるわけではない。 伊達、上杉との同盟も危うい均衡のまま、武田はただ兵力を失ったのであった。 *** 「あの、浅井様」 「長政で構わん」 「長政様。長政様は信長様の弟さまなのですか?随分、その・・・」 似ていらっしゃらない。と言い淀むの声に兵たちの中から小さな笑い声が漏れ、はなぜかと小首を傾げる。 「ははは!説明不足ですまなかったな。兄者の血筋のものは我が妻のお市だ。私が兄者に似ていなのは当然だろう」 「え?お市様が?信長様の?」 「なにか・・・おかしい・・・?」 とろりとまどろむような、泣きだしそうなお市の瞳がを覗き込む。 はううん、と首を振って笑った。 「お市様、すごく美人でお綺麗だから。信長様は、ほら、少し厳めしいお方でしょ?ちょっと釣り目がち出し、お市様は少し垂れ目がちであまり似てないですね」 「・・・そう、ね。でも、も綺麗だわ。やさしくて、きらきらしてて、お月さまみたいに、優しい光だわ」 やわく微笑むお市には照れたように笑った。 月と喩えられるのは嫌いだが、お市の言葉はなぜか心地よかった。 「は、兄様が好きなの?」 「うん。だって、信長様は優しいし、私みたいなのを救ってくださった強い方だもの」 「そう・・・そうなのね」 「お市様は」 「市で構わないわ」 「でも」 「だめ?」 こてん、と首を傾げる幼い姿。 お市はきっとよりも年上の様な気がしたけれども、なんだか守ってあげたい雰囲気が醸し出されている。 「じゃあ、市ちゃん」 「市ちゃん・・・」 「あ、いやだった?」 「・・・ううん。うれしい。お友達みたいだもの」 ふふふ、と笑みをこぼすお市に長政は珍しそうに眼を丸くした。 「ほう、市。殿のことが気に入ったのか」 「はい。長政様」 「友情は良いものだ。正義である!尾張までまだ長い。存分に親睦を深めると良い!」 「はい、長政様・・・」 「じゃあ、私たち、今日からお友達だね」 「・・・嬉しいわ。」 とお市は手を握りなおした。 お互いの細い指先が絡むと血液の流れが伝わる。 一人ではないのだと、酷く安心した。 を閉じ込めていた檻のない部屋は孤独だった。 しかし今は違う。 信長や濃姫、蘭丸やかすがたちとは少し違う、初めての友達というものに、は我知らず頬を緩ませるのだった。 |