「言いたくない」

思わぬ返答に武将たちが目を瞬かせる。
それもそうだろう。は自分の意思でここにいるわけではない。
それに彼らは織田の敵対勢力。言いなりになるのは嫌だ。濃姫が無事かもしれないと思って安堵はしたが、濃姫に攻撃したことを忘れたりはしない。
それに、自分を守ってくれていた利家やまつに対しても攻撃をしてきた。
にとっても、織田にとっても彼らが敵というのは変わりないのだ

「あんたなぁ」

呆れた様子で頭を抱える政宗が視界に入ったが、にだって意地はある。

「私は、何のために連れ浚われたんですか?ちゃんと織田に返してもらえますか?私を殺すんですか?どうする気なんですか?」

織田の足手まといにはなりたいくない。
信長や、濃姫の足を引っ張るようなマネだけはしたくなかった。
同じ過ちを、は繰り返すつもりはなかった。

その意図を汲み取ったのか、鋭すぎる険呑なの視線に信玄は豪気じゃのう、といつか信長と同じことを言って少しだけ笑った。

「まんげつのおとめよ。わたくしたちはそなたにきがいをくわえるきはいっさいありません。いまはどうか、わたくしたちのはなしをきいてはくれませんか?」
「お主は何故織田につく?お主は織田のなにを知っておる?すべてを知ってなお、織田の下につくというのか?」

謙信の声は優しく涼やかで、信玄の声は硬く重い。
胃に響く声の重みを自覚しながら、は一つ瞬いた。

「織田は・・・信長様は、濃姫様は。私の命の恩人です。私を助けてくれました。私を生かしてくれました。私を守って、大切にしてくれました。私に居場所をくれて、私を許してくれました。織田につくとか、なにを知ってるとかじゃない。私が、織田に居たいんです。お願いします、私を織田に返してください・・・」

項垂れるの黒髪がさらりと流れる。
甘い香りが部屋を包み、心がまどろむ。気を抜けば意識が浚われる心地に信玄は拳を強く握った。
満月の女。
その名の通り、闇夜を照らす美しい満月、目の眩む月光。絶世美の前で理性を保つことは難しかった。
現に言葉をなくす背後の幸村に内心嘆息しつつ、信玄は謙信と目配せを交わす。
静かに瞑目した謙信は、普段よりも少し低い声で満月の娘よ、と唇を震わせた。

「そなたがしるおだはほんのへんりんにすぎない。それはほんしつではなく、ただいちまいのかみのように、しょもつのなかのいちぶにしかすぎません。まんげつのむすめよ、どうか。わたくしたちのこえをきいてくださいませんか?」

穏やかに諭す謙信の口調に割り入るように、政宗が鋭く舌を打った。
肩を震わせるを視界で捕らえながら、政宗は獰猛な獣のようにを睨みつける。

「あんたらはまどろっこしいんだよ。はっきり言ってやればいいだろ!?織田は残虐非道の人外の集まりだってな!」
「りゅうよ!」
「Ha!!俺は遠まわしってのが嫌いでね。織田の軍勢は人を人とは思わない。農民武士関係なく皆殺し、田畑を焼き払い仏神さえ恐れない。ついこの間も本願寺を焼き討ちにして坊主どもの首を一つ残らず刈り取った。参拝に来ていた民たちも皆殺しだ。奴らの後には血と灰しか残らねぇ。あんたはそれを知っているのか?奴らがしてきたことを、奴らに無残に殺された人間たちのことを!!」

政宗が詰め寄る中、は信じられないと大きく目を開いた。
星を詰めたような眩い黒真珠の瞳が、涙で潤む。政宗はそれを見つめながら、声の調子を変えて頭を振った。
怒りに飲まれる理性を落ち着けるような、自分に言い聞かす調子であった。

「織田は人間じゃない。奴らは許されるはずがないんだ・・・あんたは、それを知らなきゃならねぇ」

政宗がに背を向けた瞬間、の体からくたりと力が抜けた。
今までに向けられたことのない、怒り、激情。自分ではなく、自分の向こうにある織田へと向けられたその感情が、を震わせ、恐怖させた。
一心な言葉が胸を刺す。
織田が残虐非道?そんなはずがない。自分が知る限り、織田の人間はみな優しく親切であった。
そんなひどいことが出来るはずがない。するはずがないのだ。

「うそよ」

優しい優しい信長様に濃姫様。
そんなひとたちが焼き討ち皆殺し非道の行い、するはずがない。
これはきっと揺さぶりだ。
の心を揺らし、織田から離れさせようとしている。
きつく拳を握れば爪先が柔らかい肌に突き刺さる。血は出ない、だが痛みに思考は少し冴える。

「うそよ。信長様も、濃姫様も、あんなに、やさしくて・・・あなたは嘘をついている。私を騙そうとしている」
「おい、」
「うそよ。だって、信長様も、濃姫様も、あんなにお優しいのに・・・そんなこと、するはずがないもんっ・・・」

悔しかった。
信長や濃姫を知りもしない人間にそんな風に語られるのが悔しかった。
の知る二人はいつも優しく接してくれた。そんなことするはずがないのに、そんな風に語られることが悔しい。しかし、自分では何も出来ない歯がゆさに涙が滲んだ。
どこまでも織田を盲信するに政宗は呆れ顔で座りなおし、再び口を開こうとした瞬間、の涙が音を立てれるように流れる。
大粒の涙は美しい丸み保ちつつ、の色の失せた頬をなぞって落ちる。
政宗は流れ落ちる涙の行き先を見届けながら、静かな低い声で囁くように言葉を続けた。

「北の農村がいくつか焼かれている。防衛に回れなかった俺の責もあるが織田はもう殺しすぎた。これ以上天下を織田に好きにさせるわけにはいかない」
「それが私に関係あるの?私は頭も良くないし戦う力もない。なにもできない、信広様の養女って言ったって権力だって持ってない。人質にしようたって私は信長様の本当の姪じゃない。私になにをさせたいの?私に何を期待してるの?わたしにどうしろっていうの?」

顔を覆うの背が丸まり震える。か細い嗚咽は閉じた部屋の中で反響し、水面を打つ雨のようにさんざめく。
ただひたすらに悲哀の感情を突き上げる涙の音に、謙信の丸みある穏やかな声が響く。

「まんげつのむすめよ、いとたかきてんじょうのかみがみのつかいよ。かみによりつかわされたそなたは、このせかいをかえるちからをもつ。おだがそなたをかこうりゆうはそれです。りゅうのいうようにおだはきけんです。おだのねらいはてんか。おだにとってそなたは・・・おそらくどうぐでしかないでしょう」
「違う」
「信じたくはなかろうが、織田の一軍は目的のためには手段を選ばぬ。そなたが真実この世と大安に導く力があるのだとすれば、満月の娘よ。織田につくべきではない」
「ちがう、」
「そなた・・・」

肩を戦慄かせるは自分を抱きしめるように体をきつく丸める。
喉を震わせる声は風にさえ掻き消されそうなほど頼りなく、細く、小さく、不安を掻き立てた

「私・・・そんなんじゃないっ・・・満月の娘なんかじゃ・・・ないっ・・・」

何故あの村は焼かれたのだろう。
どうしてあの村の人たちは殺されたのだろう。
自分のものじゃない体。自分のものじゃない世界。
満月の娘なんかという名前の所為ですべて失ったのならば。またその名の所為で織田を、居場所を失くすというのなら。
特別な力を持たないを特別な存在にしようとする世界が憎かった。
その見えもしない特別の所為ですべてを失うというのなら、何故自分はここにいるのだろう。

の声にならない問いに答えられるものは、いない。





ひとつの正論が僕を絞殺する