「大将、お連れしましたぜ」
「うむ」

襖の向こうに跪き、佐助の声に返答が返る。
立ち尽くすの前の襖が開かれ、3人の人間が視界に入った。

「ご苦労であったな、佐助」
「ほんと、給料上げてもらいたいくらいだぜ」

立ち上がって方を回した佐助はそっとの背を押した。
促されるままに部屋に踏み込めば、厳つい大男の視線と、細い麗人の視線、そして端正な青年の隻眼がにぶつけられる。
値踏みするような、探るような視線は志村のそれを思い出させた。
感情は怒りになる前に、溢れ返る悲しみに鎮火される。
自分はどうなるのだろう?安土城に帰してもらえるのだろうか?
座るとよい、と巨漢の男に促されるまま、ははっきりとしない思考のまま座布団の上に座る。
この人たちは一体誰なのだろう?敵か、味方か、それとも。

「あんたが満月の女か」

隻眼の青年が射抜くようにを見る。
は何も答えずただ視線を泳がせた。は満月の女などではない。だ。織田の一族のでしかない。
小さく舌打ちが聞こえたが、はやはり何も反応しなかった。

「手荒な同行を許していただきたい。儂の名は武田信玄。甲斐を治める虎じゃ」
「わたくしはうえすぎけんしんともうします。おはつおめにかかりますが、よしなに」
「Ha!奥州筆頭独眼竜、伊達政宗だ」

たけだ、うえすぎ、だて。
聞かない名ではない。あの平成の世で名を残した武将。織田の敵。

「私を安土城に返して」
「それはならん」

武田信玄の声には視線を鋭くさせた。

「誘拐よ。犯罪よ。どういうことかわかってるの?」
「事の重みは重々承知しておる。じゃが、今そなたを織田に返す訳にはいかん」

ぴりぴりと肌を刺す緊張。
それなのに何故かは少しも恐ろしくなかった。
腹の底でとぐろを巻く怒り。織田を侵略しようとしたのは彼らだ。彼らが戦を仕掛けてこなければ濃姫があんな目にあうことはなかった。
思えば思うほど怒りが全身に染み渡る。怒りが恐怖を飲み込んでいた。

「お館様、遅れて申し訳ございません。真田幸村、ここに遅参いたしました」

その時、背後の襖が開かれる。
は反射的に振り返り、後悔した。

「っあ・・・・あ・・・・っ」

赤い衣、赤い鉢巻、長く結わえた茶色い髪と瞳。
額に包帯、頬にガーゼ、白く巻かれた包帯があろうとも、見紛うはずがなかった。

「そなたっ・・・」

鼓膜を震わせる声に、は勢いたまらず立ち上がり絹を裂くような甲高い悲鳴を上げた。

「いやぁああああああああ!!」

突然の悲鳴に全員が一気にみを固くする。
いきり立ったの次の行動は早かった。
悲鳴が途切れるや否や、目に付くもの、湯のみ、文、筆、座布団。手当たり次第に幸村に向かって投げつける。
声高い悲鳴に戸惑っていた幸村は、投げて寄越された湯飲みを思わずかぶったのだった。

「熱っ!?」
「ちょ、旦那大丈夫かい!?」
「来ないでっ!!やだっ・・・あなた・・・なんでっ!!」

ほとんど錯乱状態に近いを傍にいた政宗と謙信が急いで止める。
泣き腫らした目や振り乱す髪は一見すればヒステリックな狂人だ。
それでも、目が眩むほどの美貌。政宗が一瞬触れることを戸惑ったが、謙信は迷わずの腕に掴みかかった。
流石は信心深い毘沙門天というところか。

「こころをしづめなさい。いかりにのまれてはなりませんよ」
「いやっ・・・いやっ・・・いやぁ・・・!!」
「まんげつのおとめよ、わたくしのこえをききなさい・・・」

謙信の掌が暴れるみの額に添えられる。
氷のような冷たい掌。婆娑羅の力を纏った手が、ゆっくりとみの思考を落ち着かせる。

「・・・やだっ・・・もう、かえりたい・・・安土城に・・・信長様のところに帰りたいっ・・・」

掠れて溢れた声はひどく小さく胸を抉る。
さしもの軍神も少し表情を顰めながらも、優しくの背を撫で呼吸を手伝う。
は崩れるようにその場に座り込み、蹲るように世界を視界から追い出した。

「嫌い・・・みんな・・・きらいだ・・・人殺しっ・・・濃姫様ぁ・・・」
「その魔王の嫁さんが生きてるって言ったら、どうするんだい?」

投げて寄越された声にみの涙が一瞬止まる。
ゆるゆると顔をあげれば、幸村から手ぬぐいを回収した佐助が短く嘆息をついたところだった。

「あの崖をすぐに調べたけど、魔王の嫁さんの姿はどこにもなかった。幾らあの人が婆娑羅者の武将とはいえ、あの高さで無事で住むはずがない。けど、あの崖にはどこにも血が残されていなかった。死んだとは、思えないねぇ」

目を見開く。
瞳さえ零れ落ちてしまいそうな驚愕の表情で、みは小さく「ほんとう?」と幼子のような舌足らずさで問い返す。
佐助が無言で頷けば、は顔を覆って泣き出した。

「あんな奴らの心配するなんざ、あんた、随分crazyだぜ」
「ま、政宗殿っ」
「第六天魔王、織田の軍勢は人じゃあねぇ。人の命をなんとも思わねぇような奴らの集まりだ。あんな奴ら、死んで泣いてやるほどの価値は」

「あなたになにがわかるって言うのっ!?」

再び吼えるように叫んだ
美しい顔が怒りに染まり睨みつけてくる様は、武力を持ちえずとも相手を気押すほどに力があった。

「なんで・・・そんなっ・・・なにもっ・・・なにも知らないくせにっ・・・!!」

織田は、信長、濃姫、蘭丸に光秀。
志村によって村を焼かれ、大切な人を殺され、行き場もなく閉じ込められていたを助けてくれた。優しくしてくれた。何も出来ないが生きられるように取り計らってくれた。
世界で一人ぼっちのを救ってくれた、この腕を取り、抱きしめてくれた。優しい人たちを侮辱するのは、許せなかった。
戦国時代とはいえ、平和な尾張を侵略しようとした。悪いのは彼らではないのか?では何故織田のみんながそんな風に言われなければならないのか!?
今しがた流れた安堵の涙は、今はもうすっかり怒りに変わり目頭を熱く焼いた。

言葉を詰まらせた政宗は、小さく舌を打ち決まり悪げに座布団に座り治す。
荒れた面々を促しながら、仕切りなおすように信玄が一つ咳払いを零せば、幸村、そして謙信も用意されていた座布団に座りなおした。

「満月の娘よ、そなたの名を問おう」

圧倒する信玄の巨漢。
は、挑むように信玄を睨み返していた。





熱帯夜の悪夢の続き