!!逃げなさい!!」
「早く!早く行くんじゃ!!」
「おじいさん!!おばあさん!!まってっ・・・やだ!!やだ火が!!おじいさん!!おばあさん!!」

燃え上がる炎が田畑や家を飲み込んでいく。
熱い、熱い。
すべてが赤く染め抜いて、世話をしてくれた老婆と老爺の服を焼き、髪を焼き、二人の肉は爛れ骨を晒して地面を汚した。

「いや・・・いやっ・・・やだっ・・・!!」
「逃げなさい」
「逃げなさい」

耳をつんざく悲鳴とを追い立てる声が重なって波紋を生む。
脳を直接揺らされる感覚。熱い。

「お前さえいなければあの村が滅ぶことはなかっただろうに」

にたりと笑う男の笑みは醜悪に滲み、反論する前に男の穴という穴から血が溢れた。
瞳、耳、鼻、口。
がくがくと痙攣を繰り返す男の腕がに迫る。
これ以上ない位高く響く悲鳴は闇に反響して脳を揺らす。
必死に悲鳴を上げど、助けてくれる腕がない。
燃えている。みんな、村も、老夫婦も、志村も、志村の城も志村の兵もみんなみんな赤く燃えて爛れて黒く煙を吐いて燃え上がって赤と黒で世界を歪ませてすべての形を飲み込んでしまう。

「たす・・・け・・・た、す・・・」
















「――――っあ・・・・!!!」

体の内側を押しつぶす様な心地と一緒に目が覚めた。
一瞬だけ溢れた悲鳴と一緒に体を跳ね起こせば、バクバクと煩い心臓が引っ切り無しに暴れた。
老夫婦と志村の死に顔が脳裏に焼きついて離れない。恐怖に震える肩を掻き抱いたまま蹲れば、見知らぬ匂いの布団に気がついた。

「っ・・・ど、どこ?」

安土城ではない。
本能的に近い感覚でそれだけは察知する。
それでもきれいな畳や天井の木目、高そうな掛け軸や生け花は一般家屋ではない。
安土城ではない、だがここはどこかの城かもしれない。
未だ夢から抜け出せない脳を震わせて、はそっと布団から抜け出した。

「濃姫様・・・信長様・・・蘭丸君・・・光秀さん・・・」

光秀の城だろうか?それとも利家?
震える指先で畳みに触れて、美味く動かない体で襖に腕を伸ばす。ここはどこ?

「目が覚めた?」

襖に腕が触れる直前、向こう側から聞きなれぬ声がに問いかける。
思わず腕を止めて固まれば、向こう側からもう一度同じ問いかけが寄越された。

「目が覚めた?」

断定的な口調は、が起きていると気づいている。
それでもそう問うのは、襖を開けるタイミングを聞いているのだろうとはなんとなくそう思った。

「・・・起きてます」
「そう、じゃあ、開けるね?」

の予想は当たったらしく、襖が音を立てて開かれる。
瞬間、血の気が引いた。

「あっ・・・」
「おはようさん」

黒い額宛、明るいオレンジ色の髪、頬と鼻筋の翠のペイント。
知っている、思い出した、忘れてない、戦場、炎、崖、自分を捕らえた黒い腕。

「やっ・・・・!!いや!!やっ、こ、来ないで!!」
「落ち着いて、あんたに危害を加えたりしないって」
「やだ!!いやっ、やだ!!の、信長様っ!!蘭丸君っ!!光秀さんっ!!」
「ああ、もうお願いだから静かにしてってば」

やれやれと慌てる様子もなく嘆息をつく男は余裕綽々の様子だが、にそんな余裕はない。
知らない場所、一度見た男。出会った場所は戦場だった。濃姫。信長はどうなった?
混乱するの腕を掴んだ佐助。
瞬間的に脳内で繰り返される映像。槍を突きつけられた濃姫の姿。
その先の映像は、酷い頭痛が遮った。
思わず蹲れば腕を持っていた佐助も同じように屈む。
出来るだけ根気強くが顔をあげるまで待った後、佐助は硬い調子の声でを縛り付けた。

「ここは甲斐の国、武田信玄の居館躑躅ヶ崎館だ。あんたは今捕虜としてここにいる。どうするべきか、わかるか?」
「っ・・・のぶながさま・・・のうひめさまぁ・・・」

ぐずぐずと鼻を鳴らして泣き出す始末。
まるで小さな迷子のようなの風体には天下の猿飛佐助も手が出せない。
相手は絶世の美女、いや美少女だ。
幾ら心無い道具といえど美しいものを愛でる感覚がないわけではない。
は美しかった。
その声は天上の調べを思わせ、涙は珠のように丸く輝く。震える肩は華奢で頼りなく、たゆたう黒髪は麗しい鴉の濡れ羽色。そして、人を惑わす花の香り。
それでも、給料分の働きはせねばなるまい。
佐助は内心自分を叱咤して、の腕を無理にでも引き上げ立ち上がらせた。

「今からあんたには大将に目通ってもらうよ。さぁほら、お偉いさん待たせてるんだから」

ぐいと少し腕を引けばは存外簡単について来た。
それでも溢れる涙は止まらないし、返事もしない。佐助も見ない。
心を閉ざしてしまった様子の満月の女に、佐助はどうしたものかとお手上げである。

「の、う・・・ひめ、さまぁ・・・」

母親の名を呼ぶ赤子のような泣き声には、とうの昔に失ったはずの良心が、血を流して悲鳴を上げだ。
御大将の部屋までの道のりが、これほどまでに心苦しくなるなどとは思っても見なかった。
危険かもしれないと言って、女中を下がらせた数刻前の自分を殴りたい心地を抱えつつ、佐助は言葉なくを引き釣り廊下を歩くのであった。





この絶望は揺るがない