佐助の腕に囚われ、刃物の冷たさに震えるは濃姫の言いつけを守らなかったことに後悔した。 もしも自分が濃姫の言うように先に逃げていれば? 今まで二対一でも優勢だったのに、のせいで濃姫は攻撃をやめてしまった。 本当は濃姫に人殺しなんてして欲しくない。信長も、光秀も、蘭丸も、もちろん織田に使える兵の誰一人としても戦って欲しくなかった。でも、戦わなければ織田は侵略される。 現代日本国憲法九条に守られては育ってきた。争いはいけないこと。殺人は罪。 でも、この時代でそんなことは言ってられなかった。 あの村も、戦う力があれば志村に蹂躙されたりはしなかった。避けることが出来ないのだ、戦いというものは。 現代だってそうじゃないか、日本は加担しないだけでたくさんの国が戦っている。 内戦紛争テロにクーデター。身近じゃないだけで争いはいつもそこにあった。 法律なんてものに守られて防衛を怠ったは何も出来ない。邪魔なだけ。無理をしてついてきて濃姫の命を危険に晒している。 自分が殺されるかもしれないという恐怖よりも、濃姫が殺されるかもしれないという恐怖が先立った。 「こ・・・殺さないで・・・濃姫さまを・・・殺さないで・・・」 歯の根が合わない、がちがちという不協和音の合間には必死に声を振り絞った。 優しくしてくれた濃姫。娘のようだと言ってくれた濃姫。右も左もわからないを、支えて守ってきてくれた濃姫。 殺さないでと再三懇願すれば、佐助の腕が緩んだ気がした。 「・・・佐助、」 「旦那、悪いけど非情になってよ。魔王の嫁なんて織田をまとめる重鎮、大将首だ。ここで討てばお館様の上洛の足掛かりになる」 残された一本の槍を濃姫に向けたまま微動だにしない幸村を、佐助は幼子を宥める様な声音で叱責する。 幸村はと言えば、濃姫を睨みながらも、視界の端に映る佐助に囚われたに胸が痛んだ。 己よりも他者の命を思う姿。 恐怖に血の気の失せた頬は青を通り越して白く染まり、病的なまでの肌の色が憐憫を誘う、 頬を伝う涙はとめどなく、滑らかな曲線に沿って流れて落ちた。どうしても、その行方まで目で追いたくなる。 幸村はぶんぶんと大きく頭を左右に振って、もう一度濃姫へと槍と向けなおした。 「・・・覚悟めされよっ」 「・・・!!」 口惜しげに歯軋りをする濃姫だが手を出せない。 幸村を撃てば佐助はを殺すだろう。 佐助を撃てば幸村が濃姫を殺すだろう。 どうにも手数が足りない。濃姫が視線を落とすその瞬間、幸村が槍を高く振り上げる。 「やめてっ・・・!!!」 刃物の存在も忘れて必死に体を暴れさせれば、やはり緩んでいた佐助の腕が解ける。 だがすぐに腕を掴まれる。男の握力に悲鳴を上げれば、佐助は焦った様子でまた力を緩める。だがもうはずれはしない。 は佐助に引き摺られながら、接近した瞬間にその腕に噛み付いた。 ご丁寧にも、篭手で覆われていない継ぎ目に噛み付いてやれば思いもよらない攻撃にあった佐助は悲鳴を上げる。 「濃姫様!!」 それを合図に、濃姫の銃が再び火を噴いた。 はできるだけ必死に走ってそこから距離をとる。自分は無力だ。せめて邪魔にならないようにしなければいけない。 濃姫の邪魔になってはいけない、足を引っ張ってはいけない。 そう思うのに、体が震えて足がもつれる。息がうまく出来なくて、は酸欠の頭で必死に体に命令する。走れ! 背後で銃声と幸村の怒声が響く。金属音と爆音が高く鳴る。 振り向きたい心地と、逃げなければという圧迫感にとうとうはみっともなくその場に転がった。 振り向けば夕暮れ色の髪が迫ってくる。 でもの視線は、それよりも背後の濃姫に釘付けられた。 繰り出される槍での殴打を濃姫は何とか銃身で弾いて防いでいる。 だが、足元は危うい崖だ。 伸びてくる腕など一切視界に入れず、は喉を裂く勢いで濃姫の名前を呼ぶ。 瞬間、幸村が繰り出す蹴りの一撃に濃姫の体が後方に飛んだ。 前述の通り、その場は崖である。 「・・・・っ、あ、ぁあ・・・の、うっ・・・濃姫様ぁああああああ!!!」 呼び声は絶叫に変わりと喉と空気と世界を振るわせる。 怯む佐助の腕を掻い潜り、は力の入らない足でなんとか崖の方へと駆けた。だが涙で前がうまく見えない。喉が引きつる、肺が痛む。脳が痛んでぐらぐらと揺れる。崖へ。濃姫様。誰か。痛い。濃姫様が。崖。あぁ。頭が痛い。濃姫様。濃姫様。濃姫、様。のうひめさま! 驚愕の表情でこちらを見ている幸村が前に立ちはだかり、は崖の下を見ることは叶わない。 今はそれよりも、腹の底から吹き上がる怒りがを焼いた。 「こ・・・の・・・」 からからの喉が掠れていた。そのくせ目からは水分が止めどなく溢れて体の中に矛盾が起きる。 心の底は燃えるように熱いのに、頭の中は極寒のように冷えていく。 「お前がっ・・・!」 涙で目が熱い。頭に血が上る。それなのに意識だけはどんどん冷たくなっていく。 この感覚は、知っている。この感情は、あの日、の心に刻み込まれた、痛み。 あの日。あの運命の日、志村が村を焼いた、あの忌むべき日。 「お前がっ・・・!!」 「っ、そなた・・・」 「お前がぁっ・・・!!」 熱い、熱い、熱い、体が熱い、頭が割れそうだ、痛い、熱い、痛い、熱い。 それなのに心ばかりは冷えていく。 許さない、嫌いだ、嫌い、嫌い、嫌い、嫌い。 「こ、のっ・・・人殺し!人殺し!!人殺しぃ!!鬼!悪魔!!人でなし!!濃姫様を返して!!濃姫様を返してっ!!返してよぉおおっ!!!」 熱い、熱い、熱い。燃える様だ。体が、心が、壊れそうなほど熱い。 涙が止まらない、何を言っているのかがわからない、目の前の人は何をいっている?わからない。熱い、痛い。目が回る。熱い、熱い、熱い、嫌だ、まるで、あの日、村を焼いた炎のようだ。熱い、ただひたすら、熱い。 |