政宗率いる伊達軍がが撤退命令を出したころ、甲斐の虎、越後の軍神両武将は丁度本陣の包囲を始めようとしていたところであった。

「しんげん」
「なんじゃ?軍神よ」
「いくさばが・・・しずかすぎる。なにかよくないよかんを・・・かんじます」
「ふむ・・・」

そういわれ耳を澄ます信玄。
銃声も怒号も聞こえた。だがそれに続く音がない。

「まさか、伊達の子倅はすでに織田と組んでおったか?」
「それはないでしょう。あのもののまなこにうそなど、みじんもありません。かのりゅうは、まことにたみへのおもいにあふれ」
「戦場で世間話とは、暢気なものよ。耄碌したか?貴様ら」

信長の声とともに向けられた銃口。
小高いがけを見上げた武田上杉両軍。降り注ぐ眼光の数は自軍を遥かに上回った。

「だいろくてん、まおう」
「織田、信長・・・」

本陣を囲もうとしていた武田上杉両軍をさらに囲むようにして展開された陣。隙間なく向けられた銃口の数に、信玄と謙信は動くことも敵わずこちらを見下ろす織田信長を見返した。

「ほんじんには、かのむすめとまえだのぐんがのこっています。そなた、じぐんさえもうちころすきなのですか?」
「この程度で死ぬのであれば、それだけのことよ」
「魔王よ、前田の軍はそなたに仕える忠臣!その命さえ貴様は切り捨てるというのかっ!!」

龍虎名高い武将の咆哮に、鉄砲を構えた一兵卒たちは恐れに小さく戦慄き銃身をぶらした。
だがそんなものにも目もくれず、信長の低く押し殺した声は徐々に高らかな呵呵大笑へと変わった。
地を揺るがすような笑声に、信玄、謙信両武将はいぶかしげに表情を歪めた。

「下らぬ!!死すればそこまでであったに過ぎぬっ!!貴様らとて、同じことよ」

にたりと浮かべられる笑みにふたりは戦慄する。
翳る暗雲を背負う凶器の赤い光を灯す漆黒の瞳。纏う闇は仄暗く冥府の匂いを漂わせる。
人らしい感情が見受けられない冷酷な笑みが歪んで満ちる。鋭い刃の切っ先が空を裂き、轟く怒号が大地を揺らした。

「放てぇええい!!」

一斉に銃身にくべられた火が導火線を焼ききった。
打ち出される鉛玉の雨に謙信はすぐさま神速の居合い抜きと共に刮目し、神気を醸して気を高める。
背を預ける信玄もまた低く唸ると共に軍配斧を大きく振りかぶった。

「おんてき、たいさんっ」
「ぬぉおおおおお!!!」

纏う婆娑羅の力が具現化し、降り注ぐ氷柱と炎を纏う岩石が盾として銃弾を阻む。
隙間から飛び込む銃弾に被弾した兵たちの悲鳴を聞きながら、ふたりはきつく歯を食いしばった。

「一体っ・・・どうなっておる!?」
「びしゃもんてんよ・・・われにてんめいを」

止まぬ銃撃の嵐、崩れる本陣支柱。止まぬ魔王の笑声に世界が揺らされ、硝煙と土煙を巻き上げ、本陣の天蓋幕を突風が奪い去っていく。

「なっ!?」
「あなや!」

「愚か者めが」

晒された本陣は、もぬけの殻。
何者もいない。誰もいない。満月の女も、前田軍も、誰も。
そして止まぬ銃撃。その音が生まれる一瞬の隙に、またも悲鳴が高く上がった。

「銃声っ・・・」
「やはり信長様の読みの通り、本陣を囲みに来ていたか」
「信長様、大丈夫かな・・・」

前田夫婦とその兵たちに守られながら、は本陣を去るところであった。
今回の戦は防衛線、むやみな攻撃をせず相手を撤退させることが重要。
特攻部隊は退かせ、本陣には信長率いる精鋭が残っている。
は最後まで陣に残っている必要はなく、一足先に城への帰還命令が出ていたのであった。

「信長様・・・うわっ!」
殿、手綱はしっかり持ってくださいませ、危のうございます」
「ごめんなさい!馬、まだ、慣れてなくてっ」

信長の預かりになって以来、嗜む程度に乗馬はしてみたがまだ競走馬のように走る馬上に慣れているわけではない。
落ちそうになるをまつが隣から腕を伸ばして支え、並走しながら戦場に背を向けているその時であった。

「犬千代様!あちらを!!」
「三つ盛甲羅に剣花菱・・・浅井殿の兵たちか!!」
「利家様!敵影に六文銭!武田が将真田軍かと思われます」

家臣の声に利家の表情がかすかに歪む。
浅井軍は今当主は参陣していない。聞き及んだ話では同盟上の兵の貸し与えのみが行われただけ。
遊軍として待機していたはずの浅井軍が交戦。
武田もまた、織田の手を読んでいたことは確かであった。

「援軍に行くぞっ!まつ!!」
「犬千代様!しかしながら私達の受けた命は」

飛び出さんばかりに吼える利家にまつはすんでで静止をかける。
今陣形を崩してはの危機に繋がる。まつの静止にをれを気付かされた利家はきつく歯を食いしばり三又槍の絵を力強く握り締めた。

「利家、まつ。行きなさい!」
「濃姫様っ!!」

後方から単騎で駆けてきたらしい濃姫に驚いた様子で利家とまつは声を上げた。
もまた、泣き出しそうな声で濃姫の名を呼んだ。

「濃姫様!!無事、だったんですねっ・・・!!」
「もちろんよ。かすり傷一つないのだから、そんな泣きそうな顔しないで、ね?」

並走するよう馬を並べた濃姫は、たおやかな腕での頬を撫でつつ艶やかに笑う。
優しい聖母の仮面と同時に混在する、冷徹な指揮官の鋭い眼差し。

「利家、まつ。ここで浅井の兵を消費するわけには行かない。頼まれてくれるわね?」
「承知!」
「心得致しました!」

飛び出す2頭の馬に引き続きいくつもの小隊が続いていく。残された一個小隊はすぐさま広がり、と濃姫を囲むように陣を張った。

「濃姫様!蘭丸君や、光秀さん、信長様は!?」
「みんな無事よ、きっと、ちゃんのおまじないが利いてるから」
「おまじない・・・?」

何かしただろうかと小首を傾げれば、濃姫は美しく微笑んだままええと頷く。

「私たちの無事を祈ってくれたでしょう?きっとそれが効いたのよ」
「濃姫様・・・」
「私たちは先に安土城へ向かうけれど、上総の介様たちはまだ戦っているわ。ちゃん、私の分も、みんなの無事を祈ってね」
「・・・っはい!」

は何も出来ない。
武器も持たず、医療の知識があるわけでもない。
今もこうして、誰かに守られなければ移動も出来ない。
それでも、何かして欲しいと願ってもらえるなら。

(神様っ・・・!!)

願うことで、誰かの力になれるなら。

は、幾らだって祈ろう。




あれも狂気、これも狂気