「先陣は伊達、おぬしに任せる。儂と謙信で本陣を包囲。幸村は一軍を聞いて浅井を制せよ」 「びしゃもんてんのめいずるままに、しんげんとともにすすみましょう」 「心得申した!お館様!!」 本陣の膜の中で出される指示に、政宗は険呑な瞳で信玄を見ていた。 先陣を切ることに反論はないが、本陣包囲とは大きく出たものであると小さく笑った。 「何がおかしい?独眼竜よ」 「いいや、気にするな。軍儀がこれまでなら俺は先に行くぜ?小十郎を待たせてるんでな」 「うむ、頼んだぞ、独眼竜」 甲斐の虎の言葉に政宗は背を向けて腕を振った。 本陣を出れば待っていたといわんばかりに小十郎が駆け寄る。 「政宗様、軍議の方は」 「Ha,うちが先陣だ。武田と上杉は本陣を包囲するらしい」 「なんと!?そのような、」 「先陣に関しちゃあ特に悪くはない。敵将の首をとればいいだけだ。だがわざわざ敵本陣を包囲するなんてな」 笑わせるぜ、と小さく囁けば小十郎もそれに答えるように相槌を打った。 「軍神も甲斐の虎も、どうやらあの噂を信じてるみたいだぜ?」 「満月の女、とやらですか」 「くだらねぇ。生臭坊主どもの浮世話じゃねぇか」 「しかし、尾張の志村の一件。満月の女が絡んでいたとまことしやかに囁かれております。志村攻めのあとは、尾田が女を所有したとか」 「上杉武田の両軍の忍がそれを見たかも定かじゃねぇが。うちにだけ隠しごとたぁいい度胸だ」 くつくつとのどを鳴らす政宗は獰猛に笑ってみせる。 しかし、政宗自身そんな不確かな存在に興味はない。 「狙うは魔王の首唯一つ。それさえてにいれりゃあ天下は手にしたも同然だ。世間話に毛が生えたような伝説に頼ろうとするなんざ、虎も神も落ちぶれたもんだぜ」 冷ややかに笑う政宗に小十郎は短く叱責する。 一時の同盟とはいえ敵の只中にいるのは変わらない「ご自重されよ」と責める右目に、政宗ははいはいと子供のように相槌を打つのだった。 所変わって織田本陣では、軍儀など始まる様子もなく信長は悠然と濃姫の酌に酒を煽っていた。 「蘭丸は先陣へ、私もご一緒しましょう」 「好きにせよ」 「の体調は著しくはありませんが、問題はないと思われますわ」 「うむ」 織田軍にとって、この戦はほとんど実験に過ぎなかった。 満月の女。その力が戦場において如何に作用するのか。 志村は満月の女を隠し持つことで、内政の力を強化させていた。偶然とは捉えきれない幸運の数々。 織田軍もそれは同じである。 を入城させてからの期間は短いものの、その間の自然災害や飢饉などは特になかった。 駿河の今川や三河の今川を襲った疫病は尾張を避けるようにして本願寺を襲った。 信長の目の上のたんこぶでもあった本願寺は、手を下さぬうちに虫の息。 一掃することにさしたる労力も要さなかった。 これは果たして偶然か。 答えは否である。 だからこそ、戦場における満月の女の力も知っておかねばならなかった。 使えぬならば、より強力な使用法を知らねばならないからだ。 「しかしかわいらしいものだ。死なないでください、とは」 「あら、私は無事をお祈りしていますだったわ」 効力があるかはまだわからない、満月の女の加護。 信長ははいいっぱいの酒をあおり、ニタリと唇を歪めた。 「面白い、余は、早く帰りましょう、であったな。あの小娘の言葉が現実となるのであれば、この戦、一刻はかかるまい」 そうして立ち上がる信長は深紅の天鵝絨をはためかせた。 「出陣である」 信長の地を這うような号令に、織田軍全兵が進軍を開始するのだった。 そうして兵たちが戦場へと進むのを、は残された護衛たちとともに見送った。 濃くなる不穏な香りに、どうしても震えが止まらない。 喉の奥が冷えていく。 指先は血が通わなくなったように冷たく冷えて、その体はカタカタと音を立てて震えた。 「殿?」 「え、は、はい?」 本陣の天蓋をくぐって現れたのは、新緑色の薄手の鎧に身を包んだ健康的美女だった。 思わず返事をしたものの、一体誰だろうとは小首をかしげる。 「まぁ、信長様かからは何もお聞きに?」 「え、はい」 「私めは前田家が当主。前田利家が妻、まつめにございます」 「まつ様、ですか」 「あら、様なんて必要ございませんよ」 「で。でも」 言葉を詰まらせるの手を取って、松は優しく笑う。 「でももなにもございませぬ。私たちも信長様のために参陣致しましたからには、どうしても殿に会っておきたくて」 「私に?」 「はい!犬千代様!犬千代様ー!!」 「まつー!?呼んだかぁー!?」 まつの声に呼応するよう声が上がり、陣内の天幕を書き分けて現れた男には思わず顔を背けてしまった。 「殿、こちらが私目の犬千代様。前田家の当主、前田利家・・・殿?」 「ご、ごめんなさい!あ、あのなんでは。はだ・・・か・・・」 「まぁあ!申し訳ございませぬ殿。犬千代様、うら若き乙女の前ですのでこちらを」 「おーすまんなぁまつぅ!」 手渡された羽織を羽織ることには羽織るのだが、前を閉める気はなさそうな上にまつもそれを指示しないので、は諦めていぬ千代と呼ばれた男に向き合った。 傷だらけの体に鍛え抜かれた筋肉。防具が下半身にしかないのだからそれもそうだろうと思ったことはここだけの話である。 「そなたが殿かぁ!それがしは前田家が当主、前田利家である!この度は本陣の守備を負かされたのだ!そなたは某らがしっかり守るから、安心していればいいぞ!」 な!と向けられた太陽のような笑みに奮えが止まった気がした。 「まつ、様と利家、様は信長様の為に、戦うんですか?」 問いかけにまつと利家はお互いの顔を見つめ、そして笑う。 「信長様は、我らの主君にございますから」 「信長様のお役に立つことが、某らの喜びだ!」 そのあまりの眩しさに、は次の言葉を持たなかった。 |