「近く、戦がおきる」 食事の席での信長の一言に、は旗と顔を上げた。 「いくさ・・・ですか」 教科書で聞き及ぶ戦を、まさかこの身で体験する日が来ようなどとは夢にも思わなかった。 戦争映画でさえ恐怖を感じるのに。 そう思うと勝手に体が震えた。 「大丈夫よちゃん。敵は攻めてくるけれど、あなたは光秀の城に避難してもらうことにしたから」 「光秀さんの?」 「ええ、光秀の城は山崎だから敵に背を向けることになるけれどあそこは守りも硬いから大丈夫よ」 優しくなだめる濃姫だがは不安げに揺れる瞳で見つめ返す。 「じゃあ、濃姫さまも、一緒?」 「・・・いいえ、私は上総の介様と一緒に戦場へ出向くわ。蘭丸君と光秀もよ」 「え、」 「大丈夫よ、ちゃんには絶対危ない目にあわせないように護衛兵たちにはよく言い聞かせるから」 「そうだって!信長様の兵は強いからな、安心しろよ!」 「うむ、是非もなし」 それぞれは安心させるようにに声をかけるのだが、の不安は晴れることなどない。 思い出される怒号と銃声とむせ返るような血の匂い。「ちゃん?」濃姫の声もどこか遠い。怖い。硝煙と泥に汚れた首のない死体「?」ああ嫌だ。震えが止まらなかった。 「」 低く重みのある声が部屋に響き、は数瞬してから信長が自分の名を呼んだのを理解した。 「あ、は、はいっ」 「何を恐れる」 「なにを・・・だって・・。戦は・・・怖いです。そ、それに私一人、何処かへ行くなんて・・・」 「お主は戦を何たるかは知るまい。見なくてもよいものを見る必要のあるまい」 鋭い眼光が、の言葉を先回りして釘を指す。 そうだ、そのとおりだ。 は蘭丸のような弓の名手でもないし、濃姫のように銃を扱うことは出来ない。他の兵のように武器を持ったことなんてないし、いても役に立てることなんて一つもない。何一つとしてないのだ。 「・・・でも、でも・・・」 の言葉をせかすものは誰もいない。 誰かがの思いを代弁してくれることはない。 言わなければ。でも言ってもいいのだえろうか? 揺れる心情を察してか、信長はもう一度の名を呼んだ。 「余は死なぬ。濃も、丸も、死なせる気はない」 「信長様・・・」 絶対的な自信に溢れる信長の言葉は、力がある。 必ずそれを実現させるような絶対的な力。 その一言に、みの不安はすべて払拭されたような心地になった。 腕の震えも、止まった気がした。 「だ、だったら・・・私も、一緒に連れて行ってください。信長様は、私をし、死なせる気はないですよね?」 その言葉に目を丸くしたのは、信長だけではなかっただろう。 しばらくの沈黙の後、信長は大口を開けて大笑いをした後に、の前まで歩み寄り、その小さな頭に掌を翳す。 「無論よ」 その後あれよあれよと言う間に準備は整ってゆく。 もともと応戦の準備は前々からしていたらしく、何も知らないのはだけなのだった。 「ねぇ、蘭丸君、戦怖くないの?」 「はぁ?怖いわけないだろ?信長様と濃姫さまのお役に立つんだから、嬉しいくらいだって!」 慣れない乗馬に及び腰になりつつも必死にバランスを取ると違って蘭丸は手綱さえ持たずとも馬に振り落とされるようなことはない。 あと少しで本陣につくというあたりで、蘭丸は弓の弦の調節を始めた。 「相手は伊達と上杉と武田の同盟軍らしいけどさー。あーんな田舎侍怖くもなんともないって感じだし。こっちには盾があるから大丈夫だよ」 「盾?」 「浅井の兵隊いっぱい見たし、まぁうちの軍は大丈夫だろ」 正直なところ浅井って誰だろうと思ったが、あえて口を挟まないことにする。 蘭丸の眼は真剣で、子供ながらに武将であることを知らしめた。 のように何の役にも立たない人間と違って、蘭丸はこの後すぐ前線に向かうことになっている。 戦が怖くないといったが、は戦は怖いし蘭丸が死ぬことはもっと怖かった。 「ら、蘭丸君」 「なんだよ」 馬の上から必死に腕を伸ばし、蘭丸の籠手をはめた右手をしっかり掴む。 「し、死なないでね、絶対死なないでね。また一緒にお菓子食べたいし、もっと蘭丸君のお話も聞きたいもん。怪我しないでね、無茶もしないでね。ちゃんと、無事で帰ってきてね」 の口が紡ぐのは、まるで小さな子供のような言葉だった。 でもそれがの精一杯だったし、飾った言葉なんていいたくなかった。 本心をそのまま伝えれば、一瞬にして蘭丸の頬が赤くなった。 「ばっ、バーか!怪我なんてするわけないだろ!こそ、流れ矢に当たらないようにちゃんと隠れてろよな!」 「うん、わかった。蘭丸君心配してくれてありがとう」 へらりと笑えば蘭丸もにっ!と歯を見せて笑った。そのまま弓を担ぎなおし、馬の手綱をひいて戦場へと駆けていった。残されたは護衛に先導され本陣へと消えていく。 遠めでもわかるほどに、戦場にはいくつもの旗が立ち上がっている。 ぶるりと肩を震わせながら、逃げるように本陣の幕をくぐるのだった。 |