「チッ、変態に会うとか最悪だよ」 縁側から声をかける光秀に向かって蘭丸は隠すことなく舌打った。 光秀は蘭丸の足元の猫との不在に、ああ、と納得したような相槌を打つ。 「殿の前で猫をいじめたんですね?」 「俺は悪くねー!この猫が悪いんだ。こいつ、に怪我させやがったんだ」 「それはそれは」 くつくつと小刻みに肩を揺らして笑う光秀はゆったりと縁側から下りて痙攣する猫を見下ろした。 「これはもう駄目ですね。骨が折れて内臓を傷つけているんでしょう」 「は医師を呼びに言ったぞ」 坦々と語る二人に猫にかけてやる慈悲なんてものはない。 ただ冷たく見下ろした後に、おもむろに光秀は庭端から蘭丸が投げたものよりもう少し大きな石を持ち出した。 嫌な予感がした蘭丸はおい、と声をかけるが光秀は止まらない。 石を抱えたまま猫の傍へと歩み寄ると、何の躊躇もなく猫の頭に石を落とした。 先ほどとは比べ物にならない猫の歪な悲鳴が短く上がり、その惨めな躯はようやく痙攣を止めた。 「みつひで、さん・・・」 「おや、殿」 目を見開いて猫を見つめるの後ろには白衣の男、安土城信長お抱えの医師だろう。 医師は見る日でと蘭丸の姿を捉えた時点で、こうなることはわかっていたと言わん様子での肩を叩いた。 「なん、で」 「殿、むやみに命を永らえさせることが必ずしもいいこととは限らないのですよ」 「・・・?」 光秀の言葉には震えるにうっそうと笑いかけた。 冷たく鋭利な刃物のような笑み。まさしく戦場の死神である。 は意味がわからないと言葉もなく、光秀の言葉の続きを待っていた。 「この猫はもう長くはなかったでしょう。折れた骨が体の中から肉を刺す。私たちは戦場でよくそう言った兵を見ました。無為に生かすよりも、いっそ楽にしてやった方がいいということもあるのです」 「でも・・・でもっ・・・」 「ではあなたは、この哀れな猫をただ生き長らえさせ、苦しみをより多く与えようと思ったのですか?」 「ち、違いますっ・・・」 「では、何故?」 優しい声でありながら、光秀の瞳の色はするどい。 みが小さく震えながら、だって・・・と何度も視線を泳がせた。 「か、かわいそうじゃ、ないですか。ね、猫も、生きてるんです・・・こんな・・・」 「そうですね、でも助かる見込みはなかった。いっそ一思いに殺してやることも、優しさとは思いませんか?」 「でも・・・そんなっ・・・」 「あなたたち、そんなところで何してるの?」 「濃姫さま!」 丁度部屋から出てきたのだろう濃姫は、なにやら不穏な雰囲気漂う4人に声をかける。 顔を上げたの泣き顔に、濃姫はちゃん!?と急いでへと駆け寄った。 「どうしたの!?光秀に何かされたの!?」 「ひどいですねぇ帰蝶。私を何だと思ってるんです」 「変態だよ馬鹿。濃姫さま、光秀が猫を殺しちゃったんです」 「猫を?」 濃姫はの頭を抱え込みながら、地面につぶれる猫を見やった。 頭部は石で潰れ、体が歪なそれは一発で内部の骨が折れて肉を圧迫していることが見て取れる。 濃姫は出来るだけ優しい声をだして、の髪を優しく撫でた。 「そう、怖かったでしょう?大丈夫よ、ちゃん。もう大丈夫」 銃を握る手は見た目よりもいくらかささくれていて硬い。 それを遠慮しつつも濃姫はをなでる手が止められなかった。 すべらかな髪や肌を傷つけてしまうかもしれないと思うと恐ろしかったが、はらはらと流れる涙は当の昔に失せたと思う良心を痛めつけるのだ。 泣かないで?と何度も声をかけながら、濃姫は光秀をにらみつける。 「お前は本当に問題しか起こさないのだから。まったく・・・上様がお呼びよ、行きなさい」 「そうですか?では私はここで失礼します」 くすくすと、一体何が楽しいのか。笑みを残しながらふらふらと歩き去る光秀の後姿は幽霊のようで、蘭丸は思わずその背中に下を見せて追い払う。 残されたは、濃姫の腕の中で何度か鼻をすすり上げた。 「の、う姫、さま」 「なぁに?」 「あ、あの、猫」 「ねこがどうしたの?」 「お墓・・・つくって・・・あげたいんです」 顔を上げたの量頬に伝う涙の後。 血の気の失せた青白い顔は白い花のように可憐だった。 誰をも魅了する満月の女。 その願いに、異を唱えられるものはそういまい。 濃姫もまたその一人である。 芳しい花の香りと、美しい少女の願い。優しい母親の仮面を被りながら、濃姫は「そうね。そうしましょう」ともう一度の細い体を抱きしめた。 力を込めれば簡単に折れてしまいそうなの体。 純粋すぎる美しい心、血と死を知らぬ細い指先、銃よりも恐ろしい威力を持つ涙。 こんな小さな少女が、世界を変える力を持つ。 愛すべき魔王が、望むもの。 「濃姫さま・・・?」 「・・・、なんでもないわ。まずは円匙を借りてきましょうね」 腹の底に疼く感情の名を、濃姫は口にしないようにしてただ笑った。 |