「進軍中だったからあまり数はないのだけれど、こっちなんてどうかしら。あなたとっても肌が白くて綺麗だから、赤地だと良く映えるわ」 「あ、あのもっと安そうなのでいいんですけど」 「あら、せっかく女に生まれたのよ?しっかりおしゃれしなくちゃ勿体無いわ」 ふふ、と美しく笑う女に流され、はあれよあれよと言う間に豪奢な着物を着付けられていく。 真っ赤な赤い布に描かれたアゲハチョウが金糸で縁取られてひらりと舞う。 まるで成人式の振袖のようなそれを見下ろしていれば、女は綺麗に笑っての顎のラインを指先で撫でた。 「裸でも十分綺麗だけど、とっても良く似合ってるわ。まるで娘が出来たみたい」 「あ、ありがとございます?えっと」 「私?濃よ」 「濃、様?」 確かな歳はわからないけどずいぶん若い人だ。女性というより女と呼ぶ方が正しいような人だったが、母と娘というよりかは姉妹とも呼べる若々しさだとは思う。 間抜けに呟いたを両頬を挟んで、濃姫はほんとかわいい、とまた笑うのだった。 「濃姫さまー!信長様から伝令です。出発は二刻後だそうなので、ここでしばらく休憩するそうです」 「わかったは。ありがと蘭丸君。・・・蘭丸君?」 野営地の垂れ幕をあげれば、呆然と立ち尽くしたままの蘭丸に濃姫は何事かと小首をかしげ、そして蘭丸の視線の先を確認するとさもおかしそうに笑って蘭丸の腕を引いて野営地へと誘った。 「どう?蘭丸君。ちゃんとっても綺麗でしょ?」 「の・・・濃姫さまのほうが綺麗です!」 「まぁ、お世辞なんていいのに」 くすくすと肩を揺らす濃姫には居たたまれない。 あの老夫婦と暮らしている間はもっと地味で柄のない着物だった。しかし志村に拉致されてからは常に裸でシーツ一枚しかなかった。そうして今度はこんな豪華な着物とは、自分の身の丈に合わない服に気後れがしてしまい、は所帯気なく視線を地面に縫い付けていた。 「お、おい。お前!」 「う・・・はい」 鋭い蘭丸の掛け声に、びくりと一度肩を震わせたはゆっくりと蘭丸に視線を合わせる。 目を見開いた蘭丸の顔は徐々に赤くなり、最後に消え入りそうな声でさっきよりぜんぜんこっちの方がいいぞ、と吐き捨てて野営地の外へ掛けていってしまった。 「蘭丸君、照れ屋だから」 「は・・・はぁ・・・」 先ほど冷淡に志村を殺した子供とは思えない。そのギャップには思わず力ない相槌しか打てなかった。 「出発までしばらくあるけれど、ちゃんは仮眠をする?」 「い。いえ・・・目は、冴えてますから」 「そう。わかった」 「あの!」 「なぁに?」 「どこへ。いくんですか?私は、どう、なるんですか?」 生かされるのか殺されるのか。どうなるのかわからない。誰が教えてくれるのかわからない。 ただ、優しくしてくれる濃姫ならば教えてくれるかもしれないという期待が、を突き動かし濃姫の腕を握らせた。 一瞬驚いた濃姫だが、すぐに柔らかく微笑み震えるの両腕を掌で包む。 そうして大丈夫、と響く声音にの涙腺が痺れた。 「あなたは私たちと上総介様の安土城へいくの。安心して、何も怖いことはないわ。私たちが絶対に守ってあげるから」 「かずさのすけさま?」 「信長様のことよ。ここは豊臣領と近いから。強行軍になるけれど我慢してね」 「・・・はい」 「私は上総介様のところへ行くから、あなたはここで大人しくしていて。出発の時間になったら迎えを寄越すわ」 「わかりました・・・」 濃姫の後姿を見送りながら、は手近な椅子に腰を下ろしてため息をついた。 結局、自分がどういう扱いを受けるのかは不明のままだ。 だが逃げる当ても帰る場所もない。ここがどこかもはっきりわからないのならば、いっそ長いものに巻かれてみるべきだろうか。 それに、濃姫は優しい。それはある程度の救いでもある。 志村のところではまるで腫れ物を触るような扱いだった。 どんな風な扱いを受けるかはわからないが、志村の所よりかはよっぽどましなんじゃないだろうかとは希的観念で思考を切り上げた。 それから程なくして、の元に向かえという名の兵士が2人やってきた。恭しく腕を引かれ連れて行かれれば、あの織田信長と名乗る居丈高の男の前に連れて行かれる。 するどい眼光、無言の圧力。立ち尽くすはその重圧に潰されそうになりながらか細く息をした。 「女」 「は、い」 「志村の手のものより貴様の待遇を聞いた。・・・ずいぶん酷い目にあったそうだな」 「、え」 「世は第六天魔王。天下を統べる者なり。この日の本に住む民は世のものである。貴様一人ぐらい増えてもたいしたことはない」 「それ・・・は」 「貴様はこれから余が、この織田軍で面倒を見る。何も、恐れることはないこれからは、すべて余らに任せればよい」 低い、地響きにも似た音がを包む。だがそれは、声音からは思いもよらない優しさが滲んで見える。 一歩、また一歩とと距離を詰めた信長は、その猛禽のような瞳でを見下ろし、目を細めた。 「、と言ったな。濃もいたく貴様を気に入っておる。母子の様に心を許してやれ」 「わ、わた、し」 「安心していいのよ、ちゃん。もう、大丈夫だから。ね?」 ふわりと向けられた濃姫の極上に笑みに、の張り詰めていたすべてが籍を切ってあふれ出した。言葉にならない嗚咽が溢れ、人目もはばからずに涙が流れ落ちる。 朝焼けの光をすって流れ落ちる涙が反射して、その輝きに辺りの兵士が息を飲む音がした。 「わ、わたし・・・私・・・」 「いいのよ。ちゃん。泣いてもいいの」 予定調和のように差し出された濃姫の腕に、は耐えられずに抱きついた。 温かい、人肌だ。を抱きしめてくれたその腕は、あの女中たちのように怯えんもなく、志村のように乱暴さもなかった。 ただひたすらにそっと抱きしめてくれるその腕は、確かに母とも呼べる温かさがあった。 「うっ、わあ・・・ぁ・・ぁ・・・!!」 「大丈夫。私も、上総介様もついてるわ。もう何も心配しなくてもいいわよ」 優しく背を撫でられればますます涙腺が刺激される。 朝焼けの光と、幾つかの視線に囲まれながらは小さな子供のように泣きじゃくるのであった。 「・・・ちゃん?」 どれくらいの時間をそうしているただろう。 徐々に弱くなったのすすり泣きは次第に掻き消え、泣き疲れたらしいの寝息に濃姫は紅を差した真っ赤な唇で美しい弧を描いて微笑む。 「泣き疲れて眠ってしまったようですわ。上総介様」 「ふん・・・脆いものよ」 「誰か籠を。彼女を運んであげなさい」 「はっ、はい!」 慌てて勇み出た二人にみの体を預ける。 その瞬間辺りに香った花のにおいには、誰もがトロンと表情を緩ませた。 羽のような柔らかさと、花のような軽さにだれもが天女のようだと生唾を飲む。 涙の筋が残る白い肌には、えもいわれぬ欲情が掻き立てられた。 「芳しき、月光花の香り・・・」 「満月の女よ。せいぜい余の為に働くが良い」 似たりと笑みを浮かべた信長は、まるで新しい玩具を手に入れた童子のように笑みを浮かべる。 傍らに控えた濃姫は、また新たに手に入れた天下統一の布石に笑みを深め、来る織田の天下に想いを馳せながら信長の冷たい鎧に寄り添った。 |