「おい、お前が満月の女だな?信長様のお呼びだから来いよ!」 「ぅあ、やっ・・・ぃっ・・・」 子供が一歩近づく。 手に握られているのは今しがた志村の命を奪った凶器他ならない。 腰が抜けたはがくがくと震えながら壊れた人形のように何度も何度も首を横に振る。 子供の表情が苛立ちに変わるのが見て取れると、やはり目に付くのは右手の凶器。殺されるかもしれないという恐怖ががますますを追い詰めた。 「面倒な奴だなぁ早くしろよ!」 「ひゃ・・・っ!!」 ぐいと腕を捕まれ、子供らしからぬ握力に痛みが走る。それでも全身の力が失せてしまった躯では早々立ち上がることも出来ない。痛みに耐えかね瞼を閉ざせば、ぼろりと大粒の涙が溢れ堕ちた。 途端腕を拘束していた子供の手が離れる。信じられないといった風体で目を見開き戦慄く子供は口をパクパクと開いて閉じてを繰り返したままを食い入るように見つめていた。 「蘭丸、あなたは女性の扱いも知らないんですか?」 「は、はぁ!?」 「あなたは下がっていてください」 「おい光秀!蘭丸を子ども扱いするな!!」 ぎゃあぎゃあと喚く蘭丸を。まるで虫を払うように掌で追いやりから離れさせる。 光秀は震えるを頭からつま先まで見下ろしたあとに、おもむろに自分の着物を脱ぎ始めた。 「なっ!?なにやってんだよ変態!!」 「私の連れが乱暴してすいませんね。着る物はこれしかありませんが、よろしければ袖を通してください」 「連れって何だよ!俺は信長様の部下だぞ!!」 「うるさいですねぇ蘭丸は」 はふるふると瞼を開いた後、渡されていた着物に手を伸ばした。 長髪の男が着ていた着物は残念ながら袖が無いので、着た所でどう考えても隠せないところの方が多いような気もするのだが無いよりはましだ。それなりの丈があることが唯一の救いだろう。 シーツの下ではこそこそと袖を通し、さらにその上からシーツ羽織った。 「私の名前は明智光秀です。こちらは蘭丸。あなたは?」 「あけち?み、みつひで?」 「そうですよ?」 「じ、じゃあ、の、信長様って」 「信長様は第六天魔王織田信長様以外の誰がいるってゆーんだよ!」 「蘭丸、静かに。あなたのお名前は?」 「・・・、」 「ですか・・・良い名前ですね」 ふわりと笑った光秀の銀の髪がさらりと流れ、この惨劇の部屋には不釣合いなほど美しかった。 張り詰めていた緊張んほいとがぷつりと解けてしまえば、耐えていた涙が堰を切って溢れ堕ちる。 後ろから様子を見守っていた蘭丸はぎゃ!と蛙のような悲鳴を上げて、光秀を押しのけてのそばへと寄った。 「お!おい!お前この変態に何かされたのか!?おい光秀!こいつに何かしたら信長様に怒られるんだぞ!」 「これは酷い。私は何もしていないのになんて濡れ衣でしょう。蘭丸は酷い子ですねぇ」 猫のように威嚇する蘭丸を再び押しのけ光秀はの前に立つ。 もう一度頭から爪先までを見た後、失礼しますとひとつ断りを入れての体を抱き上げたのだった。 「光秀!!何やってんだよ!!」 「彼女はどうやら力が抜けて動けないようですので私が運んで差し上げるのですよ」 「お前が触ったらこいつに変態が伝染るだろ!」 「じゃあ蘭丸は運んで差し上げるんですか?」 「っ!」 驚きに放心するをおいて蘭丸の罵声はヒートアップするが、自分よりもいくらか大きい女性を抱いて歩く自信がない蘭丸は腹立たしそうにそっぽを向いて先に部屋を出ることにしたようだった。 「さっさと連れて来いよな!俺は先に信長様に報告しといてやる!」 「おや、気が利きますね、蘭丸」 「うるせー!!」 だっ、と走り出した蘭丸の背中はすぐに視界から消えうせ、やれやれと笑う光秀の声だけがやけに大きく響いた。 「少し歩きますよ」 「あ、あの、わ、私、重いですから、自分で歩けますから・・・」 「重い?面白いことを言われますね。まるで花ほどの重みしか感じませんよ。それと、部屋の外はあまり綺麗ではないので目を閉じておくことをお勧めします」 言われ、襖から出始めの一歩。始めてみるあの広間の外の光景に、はすぐに両腕で口元をと覆った。 むせ返るような鉄さびの香り。廊下を汚す血、首のない体。がちがちと震えながら目を閉じたに光秀は困ったように肩をすくめるのだった。 *** 目を閉じている間、翠の中でさまざまな思考が巡回した。 銃声と血と死体。なにがあったかなど説明は不要だ。 そして電気のない世界、古い着物や言葉、時代錯誤な日本家屋。 織田信長、明智光秀。 それは日本史におけるもっとも有名とも呼べる武将たちの名前だ。 混乱する頭でも容易く導き出せた答えは、戦国時代。 ここが自分のいたところではないと思っていたが、まさか何百年も昔にいたとは思いもよらなかった。 これから自分はどうなるのだろう。それながりが思考を掠める。 志村はただただ自分を監禁しただけだった。 織田信長はどういった人間だっただろう? あいにく歴史は得意ではない。というか全教科飛びぬけて得意というものもないのだ。がこの世界で上手く立ち回るすべはない。 しかしそれよりも、とははたと思考を切り替える。 教科書で見た織田信長や明智光秀。仰々しい着物に結い上げられた髷。黒髪黒目、黒い髭で描かれているのが普通。 だがしかし、今時分を抱き上げている男の容貌はどんなものだ? うっすら瞼を開いて光秀を見上げる。 風に揺られる長い銀の髪、紫水晶のような瞳。武器なんて・・・鎌だ。 どう考えてもの知る日本ではないのは明らかだ。 ここがどこで、自分が何で、これから一体どうなってしまうのかさえわからない。 胸を焼く血のにおいに囲まれながら、は光秀の腕の中で小さく震え続けるしか出来なかった。 「信長公。殿をお連れしました」 「貴様がか・・・」 信長公、との名前を聞いて瞳を開いてみたは、その強面に思わずびくりと体を振るわせた。威圧感を放つ額の皺と、猛禽のような鋭い目元。きつく引き無ばれた口元と、腰に下げられた大剣と銃。 後ろに控えるのは先ほどの蘭丸と、肉感的な日本美女。そして、甲冑を着た男たち。 「余は第六天魔王織田信長である。名乗れ、女」 「っ、、、です」 肉食獣を思わす鋭い眼光。見えない力がを圧迫して、ひとつひゅうと掠れた呼吸だけが辺りに響く。 「光秀!あなたなんて格好しているの!?」 「おや、申し訳ありません帰蝶。彼女に服を貸したもので」 「まぁ!志村ったら着物のひとつも与えてないの!?あなたちょっとこっちへいらしゃい!」 「は、へ?」 光秀の腕の中でびくついていた翠は濃姫の細腕にさらわれ連れてゆかれる。 呆然としていたは過ぎ去る景色に見送られながら野営地のような白いテントの中へと連れ込まれたのだった。 「あの女、まことに満月の女か?」 「お疑いですか?彼女から香る花の香り、そして、すべてを引き付け、支配する力です」 「・・・」 「蘭丸からのご報告は耳にお入れでしょうか?志村という男の執着は異常です。それに、彼女を手に入れた時期からの志村の動きが妙に活発で、運気があった。危うく信長公の貿易経路が潰されてしまうほどに」 「おい光秀!不敬だぞ!!」 「これはこれは、失礼しました。しかし、彼女を手に入れるだけでは駄目なようですね。心を、手に入れねば」 「心?だと」 ギラリと突きつけられた視線は容易く相手を射抜く弾丸にも似ていた。 信長のその目を見つめながら光秀はにやりと舌なめずりして肩を揺らし微笑んだ。 「手元にあるだけでは駄目なのです。心が伴わなければ、志村の二の舞でしょう」 そうしてくつくつと笑いをこぼす光秀を一瞥し、信長は下がれ、と鋭く命令したのだった。 |