「へーここが志村ってのの城ですか!信長様!」 「ちんけなお城ね、蘭丸君」 「嗚呼、なんて落とし甲斐のなさそうな城なんでしょうねぇ」 小高い丘に風が凪ぐ。血のように赤い旗にあしらえられたるは木瓜の紋。それが風に遊ばれて、奇妙に形を歪めて瞬いた。 「行けい。女を手に入れよ」 鈍銀の光を放つ刃の切っ先が城を指す。 背後に控える軍勢が立ち上がり、そうして武将たちが歩みを始めた。 「信長公、此度の露払いは僭越ながらこの私が」 「あ、ずるいぞ光秀!!信長様!蘭丸もがんばります!!」 「好きにするがよい」 ありがたく、と零した光秀はくつくつと奇妙に肩を揺らして疾駆し、そのあとに蘭丸が負けじと駆け出した。 血に飢えた獣と無邪気な子供が戦場を導く。まさしく、死神と魔王の子に相応しい姿であった。 「付いて来い、濃」 「はっ」 *** 時間は夜だったはずだった。夜は最も眠りに適している。 なんだかんだで定期的に寄越される食事はの体内時計正常化に一役買っていたわけで、昼寝はほとんどしてはいない。眠たくなるのはやはり夜だった。 はもちろん眠っていた。そしてそれは突然始まる。 数個の爆竹を鳴らすような、ロケット花火が点火したような、そんな生易しい音ではないが幾つもの爆発音がの耳を劈く。 深かった眠りが破られ身を起こせば、予定調和のようになけなしのシーツが肌蹴て細い肩が露になった。 「なに・・・?」 耳を済ませずともあたりに響く音は、紛れもなく銃声だ。 ドラマや映画で何度も耳にした音が、現実において、すぐ傍で鳴り響いている。 なに?ともう一度口に出してみるが、答えてくれるものはいないのだ。 閉鎖された世界の外で起きている異変。視覚化されないそれは心の内部で育って不安という花を咲かす。 もしも何かが起きた時、この開くことのない格子から逃げることも出来ない。むざむざ事件に巻き込まれるのはごめんだ。 は一枚のシーツをしっかりと手繰り寄せると体に巻きつけ。格子の傍にと寄り添った。 あの食事係の女が来ないだろうか。もう此の際志村でもいい。いい加減ここから出してほしかった。 「誰か来て・・・お願いっ!!」 銃声に混じる悲鳴と怒号。金属がぶつかる甲高い悲鳴はあの燃えさかる村で聞いた音とそう違いない。 何かが起きているのだ。何かが。だがにそれを知る術はない。 ただ不安と恐怖だけが広がって沁みになる。蔓延る、心に、黒く染められる。 そして、その時ついに襖が開かれた。 「志村っ・・・」 思わず舌打ちしただが、相手の機嫌を損ねては逃げる術もなくなる。 掌を返して態度を軟化させようとしただが、志村の血走った瞳と、赤く汚れた着物にほとんど反射で体を強張らせた。 男が引き連れてきたにおいは、煙と血の匂い。彷彿と蘇る燃えた村の記憶。 よろよろと覚束ない足で部屋に入ってきた志村は、あの部屋の端に仕掛けられた木製のレバーに手をかけた。 途端、ゴン、と仕掛けが唸るように鈍く響き、赤い格子が徐々に上に持ち上げられていく。 はその瞬間何も考えず、そこから飛び出し逃げようと試みた。 だが、走り出したの細い腕を掴んだ志村が勢いを殺さずにを床の上に叩き付ける。 逃げようとした反動もあいまって、一瞬の呼吸が不可能になる程の痛みに骨が軋んだ。 「っ・・・!!」 「何故だ!何故だ何故だ何故だ!!わしは満月の女を手に入れたんだ!なのに何故!何故わしが負ける!こんなはずがない!!こんなことがあっていいわけがない!!」 「痛い!痛い放して!!」 馬乗りになった志村がの両手首を押さえ込み、唾が飛ぶ至近距離で喚き立てる。 現状も何も分かってはいないのに突然怒鳴られる意味がわからないし、懇親の力で握られる手首は折れそうなほど痛い。 必死に手足をばたつかせるが、太った男を退かせるのは至難の業だ。 「答えろ!何故だ!何故わしは勝てない!何故わしが負けそうになっている!お前は満月の女のはずだ!そうだろう!?」 「はっなして!!私はそんなんじゃない!そんなの知らないし関係ない!!」 「頼む!!お前だけが頼りなんだ!お前はわしを天下の頂へと導いてくれるそうだろう!?」 「何それ知らないよ!!いいから放せっ!!」 動きが制限されないシーツで思いっきり蹴り上げれば、柔らかい肉の感触に背筋に気持ち悪い汗が流れた。おそらく蹴ってしまったのは急所だ。 それを示すように志村は奇妙な悲鳴を上げて地面に転がる。 その隙に逃げようとすれば、蹲る男が必死に腕を伸ばしての足首を捕らえた。 つんのめって倒れこむと、志村はずるずると足首から太もも、ふくらはぎと伝ってまたにのしかかる。 正直手汗で脂ぎった肌の上を這い掠れた悲鳴しか洩れない。恐怖に戦くは志村の血走る見開かれた瞳に貫かれた。 「頼む!頼む!逃げるな!逃げるなっ!!わしの元に居ろ!わしの為に花咲きわしの為だけに神に祈れ!」 「だ、だれ、か・・・」 「お前だけがわしを救えるんだ!!」 無骨な指がの肩を骨を壊さん限りの力で握り締める。がくがくと左右に振られての恐怖にもう声さえ出なくなった。ただ震え、志村の言葉を首を横に振って否定するしか出来ない。 「わしを見捨てないでくれっ!!」 「だれかっ・・・!!」 鬼気迫る志村の表情には怯えから瞼を閉ざした。 その瞬間だった。 「うっ!?」 肩にかけられた志村の力が篭る。反射的に突き飛ばししりもちをついたまま後座すれば、ぶるぶると震える志村の腕がに向かって伸ばされていた。 「いくなっ・・・いくな・・・」 「や、やだ・・・!こっ、こないで・・・!!」 「おっさん、しつこいよー?」 この閉鎖された空間に、初めて新しい人物が現れる。 壊れた玩具に悪態を吐く様な、無邪気な子供の、声。 「こ・・・こど、も?」 「おやおや、蘭丸に先を越されてしまいましたね」 ふらり、と現れた次の人物は病的な肌の色と不健康そうな細身の体躯の男が現れた。 長い銀髪をたゆたせ子供の隣に並ぶ。 そちらへ振り返った志村は、ひっ、とみっともなく息を引きつらせて戦慄いた。 そしてその背には、一本の矢が突き刺さっていた。 「死神・・・魔王の、子供・・・」 「あなたのつまらない情報操作など、信長公はひっかかりませんよ」 「ていうかおっさん、信長様を謀ろうなんていい度胸してんじゃん」 ぎりり、と子供の構える弓の弦が限界まで引き伸ばされて狙いを定めている。 その構えられた矢が志村の背に刺さっているものと同じだということはすぐにわかった。 はやはり、状況についていけず、さらに恐怖で腰が抜けて動けない。 血に汚れた子供と男。響いた銃声。怒号。金属の悲鳴。 外で起きているのは、一体? 「まっ、待ってくれ!い、命だけは!命だけは!!」 「はぁ?信長様に楯突いた時点で命なんてある訳ないじゃん!」 「まっ」 待つことはない子供の弓が放たれる。 それは遮られるものが無く、迷い無く志村の肉体に突き刺さった。 狙いはもちろん心の臓。左の胸に突き立てられた弓に手を這わせた志村は、倒れ様に奇妙に躯を反転させてを視界に入れたまま仰向けに倒れこむ。 その瞬間、先に背に突き刺さっていた弓が床にぶつかり肉を貫通して体の中心から天に向かって生え出した。 「ひっ!!」 「たす・・・け・・・た、す・・・」 血を吐いてビクビクと痙攣する志村の眼はだけを見つめ、だけに縋っている。 嫌だ嫌だと音にならない声でが首を振れば、そう時間を置かずして志村が絶命の息を吐いた。 一段と体が震えた後、肺いっぱいに酸素を吸うために喉が掠れた音を吐く。精一杯伸ばされた腕はに届くことは無かったが、焦点を失ったにごった瞳には最後までだけが映されていたのだった。 |