「ここ・・・どこなんだろう」 村を焼かれ、命の恩人を殺され、連れ浚われた時の意識はない。気がつけばそこは広い座敷牢。赤い格子が部屋を囲い、さらに広い平間の真ん中にを閉じ込めていた。 しかも、服がない。 どうやら脱がされたらしく、裸のまま監禁されたは仕方なしに布団のシーツを体に巻きつける。 このままもしかして、何者かに犯されて殺されるのかもしれない。 映画や小説のよくある展開だ。 「どうしてこんなことにっ・・・」 は赤い格子に囲まれたスペースの中の一組の布団の上で頭を抱えた。 は現代、平成の世に住む女子高生だった。 成績優秀容姿端麗というわけではない。 程ほどに勉強が出来、運動もまぁまぁ。顔も普通出し取り立て美人や可愛い訳でもない。 少し子供っぽいと思う顔立ちだが愛嬌があって嫌いではなかった。肩口まで伸びた髪はアッシュブラウンに染めていた。 変身願望なんて持ったことはない。両親がくれたこの顔にまぁ満足はしていたのに。 「誰なのよ・・・これ」 座敷牢の隅に置かれた鏡台に映るのは、腰まである艶やかな黒髪に、日焼けを知らなさそうな透けるように真っ白の肌。凛と筋の通った眉と鼻筋に目は大きく宝石を嵌め込んだように眩しい。頬は色づく薔薇色で、唇は熟れたさくらんぼの様。 同性の自分が見てもどきりとするような美女、美少女とも呼べる顔だ。 持ち上げた右手を頬に当てる。鏡の中の美少女も同じことをして不安げな瞳でを見ていた。 「私じゃない・・・私、こんな顔じゃない。誰なの?なんなの一体っ・・・」 は現代、平成の世に住む女子高生だ。 だがここは違う。 ぼろきれのような着物に身を包んだ、痩せこけた人たちが鍬や鎌で田畑を耕し鶏や牛と一緒に生活していた。 電気なんて一切ない。文明の利器もあるはずがない。 移動手段は徒歩か馬、学校も病院も公共機関はひとつもない。 藁葺きの屋根や木の長屋。これではまるで日本昔話だ。 が住んでいた世界とは、かけ離れていた。 はここまで来た記憶がない。 両親や学校の先生や友達。おしゃれなセンター街や眩い夜のネオンもしっかり覚えている。 それなのに、ここまで来た記憶がない。 気がつけば知らない場所にいて、知らない顔になって、知り合いのいない世界にいた。 森を遭難しかけた末に出会った老夫婦は疲れきったを介抱して常識の通用しないことを証明させてくれた。 行き場もなく生きる術もなかったを、老夫婦は娘のように扱ってくれ小さな村に住まわせてくれた。 老婆と一緒に川で洗濯をし、老爺とは一緒に田畑の世話をした。 現代とはかけ離れた生活のうえに、両親も知り合いも傍にいないことは辛かったが、肉親のように接してくれる老夫婦のおかげで泣いた夜はとても少ない。 寂しいと思うときもあったが、それなりに不幸ではなかった。 老夫婦たちと暮らした一ヶ月は、とても満たされていた。 それなのに、それは突然に終わる。 馬に跨って現れた甲冑の男たち。 それを最初に見た男は、有無を言わさず殺されたらしい。 離れた場所からそれを見ていた子供が村の人間に伝え、その話はすぐに老夫婦とみの元に届いた。 「領主の志村様に違いない」と誰かが言ったのを聞いたきり、は老夫婦に腕を引かれて村の外れまで連れて行かれたのだ。 「お前はお逃げ。遠くへ行くんじゃ」 「誰にも見付からないうちに、さぁ早く!」 「どうして?なにが起きてるの!?」 訳が判らず不安に老夫婦のしわがれた腕に縋り付くと、老爺は泣き出しそうに目元を歪めての頭を抱きしめた。 「お前はきっと運命の女なんじゃ。志村様に利用される前に遠くに逃げるんだ」 「運命の女?」 「大丈夫、お前には神様がついているんだから」 「おじいさん、おばあさんどういうことなの!?」 腕の中で喚くの髪を優しく撫でた老婆は、しわしわの掌での両頬をはさんでにこりと笑いかけてくれた。 「逃げなさい。私たちは大丈夫だから、ね?」 「おばあさんっ」 「いくんじゃ、!」 背後から響いた馬の嘶きを合図に、力いっぱい背を押される。 二三歩よろけたは老夫婦の尋常ではない真剣な瞳に気圧された。 「捕まってはいけない。遠くへ、遠くへ逃げるんじゃ」 「おじいさんっ・・・」 「行きなさい!」 老爺の叱責に近い声にははじかれたように駆け出した。 話は見えず、訳がわからず、それでも胸の中で疼いた焦燥感と不安がの足を叱咤した。 すっかり慣れ親しんだ藁の草履で農村を駆け抜け森を目指す。 背後になった村からは、人間の叫びと、聞きなれない鈍い音が響き始めていた。 「おじいさんっ・・・おばあさんっ・・・」 一瞬振り返ったそこで斬りつけられる老夫婦。 はそのとき、自分が何を叫び、どうやって逃げたか記憶にない。ただひたすら走り続け、夜の森に潜んだところからしか記憶はない。 は、何故あの農村が襲われ、自分が追われているのかを知らない。 「運命の女ってなに?満月の女ってなんなの?」 男たちの声と、血に濡れた刃を思い出す。 はがちがちと震える体を抱きしめて小さく体を丸めた。 自分はこれからどうなるのか。 老夫婦たちのように殺されるのかもしれない。 滲むほどの恐怖がを喰らい飲み込んでいく。 「目が覚めたか」 「っ!!」 広い広い広間の置くの、美しい山河が描かれた襖が開いた。 そこに立っていたのは浅葱色の着物に身を包んだ恰幅のいい、脂ぎった男で、顔にはにぃやりと薄気味悪い笑顔を貼り付けていた。 「ふぅむ・・・噂に違わぬ美しさ。まさに満月の女に違いないな」 「違う・・・私・・・そんなんじゃない」 恐怖に怯えながらも震える声でそう返答すれば、男の下品な笑みはますます深くなった。 「違う?それならば、あの村の人間はただの娘を庇って死んだのか?それでは、どいつもこいつも浮かばれんのう?」 「あなた・・・志村、様?」 「いかにも。貴様を隠していた村辺り一体を支配しておる。わしが志村家の当主だ」 「お前がっ・・・!」 あの甲冑の男たちを集め、刀や槍で無力な村人を殺したのだ。 穏やかな時間の中で、田畑や動物たちと生きていたあの罪もない人たちを惨殺させた張本人なのだ。 そう思った瞬間恐怖は吹き飛び、怒りが全身を支配した。 立ち上がり様に駆け出し赤い格子を握り締める。 びくともしないそれが悔しくて、は歯をむき出しにして獣のように男をにらみつけた。 「お前の所為で!!お前の所為でみんな殺されたの!?」 「わしの所為?責任転嫁は止してもらおう。みんなお前の所為で死んだのではないか」 「私の・・・?」 信じがたい言葉に格子を握っていた指の力が緩む。 男は悠々と格子の目の前まで歩み寄り、毛むくじゃらの手での細いあごを捕らえた。 「いかにも。大人しくお前を差し出せばよかったものを。村が一丸となってそれを拒否するもんだから、勢い余って全滅させてしまった。お前さえいなければあの村が滅ぶことはなかっただろうに」 「そ、んな・・・うそ・・・嘘だ・・・」 「嘘なものか。まぁどっちにしたって済んだ話だ。お前が本当に満月の女ならば、あんな村ひとつ滅びたところでたいした痛手ではないし、たとえ満月の女でなかったとしても、だ」 男のねっとりとした視線が爪先から頭の天辺まで嘗め回すように寄越される。不快感に逃げようとしただが、つかまれた顎の所為でそこからひくことはできない。 性的な感情が孕まされている事が簡単に想像できるその視線は、シーツに包まれたの体の輪郭を舐って下品な笑みを深くさせた。 「これほどの美しさ。さぞわしを楽しませてくれるだろう。村ひとつ分の収めが減ったところで、釣りが出るほどの儲けものだ」 「放してっ!!」 顎を捉える指先に爪を立てれば、呻いたのと同時に指先の力が緩んでは急いで格子の真ん中まで逃げ去った。 「気の強いことだ。まぁいい。そういう女を屈服させるのもまた一興。精々わしの為に働くんだな。もちろん、昼夜問わず、なぁ」 男は下品な笑みを残して襖の奥へと消えていく。 残されたは何度も何度もシーツの端て触れられた顎を拭いて、見えない汚れを落とそうと躍起になった。 「いや、いや、いや気持ち悪い!!」 吐き出した音に同意や肯定などない。ただ一人残されたは、扉のない格子の中で、怒りと憎しみと恐怖に体を震わすことしかできなかった。 |