脱げそうになる草履に指先に力を入れて何とか其れを阻止する。 後ろから迫り来る馬の嘶きには背筋を凍らせた。 ぬかるむ泥が動きの邪魔をして、転びそうになる上体を支えなおしては走り続けた。 捕まれば、どうなるかはわからない。 自分を逃がす為に殺された村人たちの顔が脳裏を掠め、湧き上がる涙と嘔吐物を何とか押さえ込んで息を整えようと必死になった。 しかしすぐに蹄が泥を飛ばす音がして、は息を乱したまままた走り出す。捕まれば、殺されるかもしれない。 恐怖がの脳に染み渡る。 どこへ逃げればいいのかもわからずただただ闇雲に走る。 捕まってはいけない。逃げなさい。 そう言った老夫婦の言葉が頭の中で鳴り響く。 逃げろ、逃げろ、逃げろと全神経が喚き立て、の肉体を支配する。 獣道を掻き分けただひたすら走る。どこへ逃げればいいのか。 見上げた満月が、明るく闇を照らしていた。 「あっ!!」 急に足元が掬われる。浮き出た木の根っこが見事につま先を掬い上げ、は盛大に泥の上に倒れこんだ。 「音がしたぞ!」 「あっちだ!!」 響き渡る男たちの叫び声には身を竦ませる。 捕まってはいけない。逃げなさい。 脳を揺らす言葉が響いているのにの体は動かない。月が照らしている。人影、ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ。 月を背負う逆光になった男たちはみんな馬に跨っていた。そうして影が増えていく、ひとつふたつ。すぐに数えられないほどに増えた影に、の喉がひゅうと鳴った。 「見つけたぞ!!女だ!!」 誰かが叫び、は逃げねばと震える足を叱咤して立ち上がる。 だがすぐに組まれた円陣は、四方八方を塞いでしまい、左右前後どこにも隙間はなかった。辺りを見回すの味方はない。 「さぁ、鬼ごとはもう終わりだ」 地を這う声音にの涙がぼろりと零れた。 恐怖に耐えかね溢れるそれが、月の光を吸って金銀と変わらぬ光を放つ。 降り振る月の光に照らされた女を見て、徒党を組んでいた男たちが息を飲んだ。 「満月の・・・女・・・」 誰が呟いたのか。 だが誰も追求もせず疑わない。 すべらかな頬を涙で濡らす様は美しく、その衣服や肌を汚す泥があってもなお、損なわれることのない女の美しさに男たちは目が眩んだ。 あたりに漂う芳しい花の香り。 そうして満月の如く美しい容貌。 それは、歌に擬えられたままの運命の女だった。 |