穏やかな森の青さは陰鬱な雨に打たれ、生ぬるい風が夏の兆しを知らせた。 若緑の葉たちが太陽の光を受けて茂り、やがて紅葉に染まり枯れ果てる。 木々は枝を晒し、風は冷たさを帯び身を斬るように吹き荒ぶ。 季節はやがて、雪を降らせようとしていた。 の家は静けさが満ちている。 梵天丸がいなくなってから、この家で快活に話す声はなくなった。 ただ時折、優しく沁みるような声が聞こえる。 「、ただいま」 「おかえりなさい、誠一郎さん」 誠一郎が18を迎え、実家と同じくらの家で過ごすようになった。 始めは梵天丸がいなくなって落ち込むの為かとも思ったが、村長である父からの言いつけであったことをは知らない。 代々村長の一族は村の巫女であるの一族を保護し、そして村の為に血を連ねてきた。 時に血を薄めるために、別の一族の血を混ぜることもあったが今の所年齢の近い男は誠一郎のみであり、に子を産ませるのは誠一郎という取り決めが出来ていた。 平成の現代社会。 こんな古いしきたりを守る村もそうそうあるまい。 しかしそれほどまでに、この村はの一族の神がかり的な存在に頼ってきた。 18年この村で生きたが、誠一郎はの巫女としての務めを客観的にしか受け止められていない。 巫女としての豊穣の祈祷、雨乞い、そういった形式的な勤めしか誠一郎は見たことがなかった。 特別な、超越した力など何もない。 は、17歳の少女でしかなかった。 そんな少女の血を、何故固執して求めるのかは誠一郎にはまったく理解できなかった。 土地神などというものが、本当にいるのだろうか。 そして刻限もある。 春になれば誠一郎は村を出なければならない。 それまでに子が成せなければ、は村の中の父ほど年の離れた男たちと交わることになるのだ。 しかし、誠一郎はまた指先で触れるほどにしかと交わることが出来ていない。 梵天丸を失って、涙に濡れて暮らすを、どうしてそんなふうに扱えようか。 兄妹の様に、家族の様に、長く一緒に過ごしてきた。 自分が守ってやらねばと、そう思っていた。 しかしそれも、この冬で終えねばならない。 「外、寒かったでしょう?部屋で暖まって。お茶も入れるね」 「ああ。頼む」 木枯らしが窓を揺らす。 部屋はほんのりと温かく、年季の入った炬燵布団が出ている。 足を居れれば包み込む暖かさ。誠一郎は家から持ってきたみかんを炬燵机の上に乗せた。 「みかん?」 「好きだろ」 「うん、ありがとう」 湯呑を置いてが笑った。 よく、笑うようになったと誠一郎は思う。梵天丸がいなくなったころに比べれば、本当によく笑う。 こうして毎日ささやかな会話を、時間を、慈しむように繰り返す。 中途半端な優しさが、の首を絞めていることは百も承知だ。 それでも、誠一郎は自らの手でを泣かせたくなかった。 逃げだという事は自覚している。逃げ続ければがもっと酷い目にあうだけだと分かっているのに。 だから誠一郎は、梵天丸に、を連れて逃げて欲しかったのだ。 「・・・ごめんね、誠一郎さん」 「なにがだ?」 「一緒にいてくれて。忙しいのに。まだ、向こうに引っ越す準備とか、終わってないんでしょ?」 「・・・」 「住む場所とかは?手紙、書いてもいいかな」 「・・・ああ」 「誠一郎さん」 「なんだ?」 「今まで、ありがとう。私、誠一郎さんと過ごせて、本当に良かった。幸せだったよ。甘えてばかりでごめんなさい。でももう、私は大丈夫。そんな顔しないで。私は十分幸せだったから、だから、誠一郎さんも、幸せになって」 あなたは、あなたの人生を生きて。 は、優しくそう笑って、言った。 |