「おお!!梵天丸!!・・・よくぞ戻った!!」 「長らくの留守をお許しください、父上」 「いや、お前が無事で何よりだ。小十郎から話は聞いていたが。まさか、本当にまたお前と会えるとは・・・」 輝宗の目尻に光る涙に、梵天丸はようやく吐息を吐いた。 父の言葉には嘘偽りはないだろう。 統治者として生きる父の心の真偽を確かめる術など梵天丸は持っていなかったが、今こうして、自分のもとに駆け寄り抱きしめてくれるその体温に、嘘も偽りもない。そう信じることにした。 「小十郎から世話になっていた娘の事を聞いたのだが、そのものに礼を言いたい。どうにかできんだろうか?」 梵天丸と小十郎の顔を順に見つめる輝宗に全くの邪気はない。 ふたりは苦虫を噛み潰すように表情を歪めた後、また文をお届けしますとしか言えなかった。 「しかし、ああ、誠にこんな奇跡はないだろう。失ったと思った大事な息子が返ってきた!今日は宴だぞ!梵天丸!」 「父上!そこまで大事にする必要は・・・」 「そういうな。お前もいずれわかるさ。大切なものが出来れば、私の今の心地の理解できよう」 綻ぶような輝宗の笑い方は、何故だかどうしてが被る。 梵天丸は甘い幻影を振り切るようにかぶりを振り、久しい父の胸に飛び込み声を湿らせた。 「ただいいまもどりましたっ・・・ちちうえっ・・・」 「ああ、お前が無事でよかった。私の梵天丸よ。本当に、よかった・・・」 父との抱擁は、梵天丸の気持ちをひどく高揚させた。 天にも昇るといってもいいだろう。 あの奇怪な世界に行くまで、梵天丸は輝宗とのふれあいはほぼ皆無であった。 忙しい身の上とは理解していた。 だが子は親の愛を欲するもの。そしてその半分が欠けていたのだから、梵天丸は父の手が欲しかった。 それが手に入った。 輝宗は自分を認めてくれている。愛してくれている。 それはもう、恐れるものなど何もなかった。 「・・・戻ったのか」 「母上、」 「汚らわしい!!妾を母などと呼ぶな!!貴様のような鬼を胎から産み落とした覚えなどない!!」 布を裂くような叫び声に女中たちが何事かとざわめくが、対峙する相手を知ってさわらぬ神に祟りなしとばかりに動こうとしない。 下手に動けば打ち首でも言い出しかねないからである。 梵天丸は、高揚していた気持ちがだんだんと萎えていく心地を感じた。 風船から空気が抜けるように、手折った花がしおれるように。 そんなところだ。 だがどうでもいい。 この女の愛など、求めるだけ無駄だと分かったのだから。 「これはこれは、白痴になられましたか母上。この梵天丸は確かにあなたの股から生まれたでしょう?もしやご存じなかったか。鬼の子は鬼でしかない。あなたも立派な化け物でしょう?」 「無礼者!!だれか!この片目の鬼を斬らぬか!!」 「はは、ヒステリーは見苦しいですよ。母上」 わざと語尾を強調すれば、堪忍袋の緒が切れたか。 制止する女中を振り切り右手を高く上げた義姫の鬼の形相を、梵天丸はスローモーションのように見つめていた。 血走った瞳に引き攣る唇。母きつく食いしばられ眉間のしわは深かった。 これは立派な、鬼女である。 そして自分は、これの仔だ。 「っ!!離さぬか小十郎!身の程を弁えよ!!」 「申し訳ございません。しかしこの小十郎。梵天丸様をお守りするのが使命でございますので」 「くっ・・・!!」 命令次第では義姫が小十郎を殺すことは容易い。 然しそうしては輝宗に説明が出来ない。 小十郎の後ろで勝ち誇ったような笑みを浮かべる梵天丸に、義姫はけたたましい声で文句を言いながらその場を足はやに去って行った。 「悪いな。小十郎」 「いえ、しかしお母上にあのような言葉は」 「母親なんかじゃねぇよ。あんな女」 もう血も出ない。痛みを伴うこともない。 そう暗示をかけて蓋をする。 久しぶりに会った母親は、相変わらず雪の様に美しく、氷の様に鋭く冷たい人だった。 だが同時にさらけ出された醜悪さは、梵天丸を幻滅させるには十分である。 「父上が催してくださる宴までまだ時間があるが、早めに着替えておくぞ」 「は、それと梵天丸様」 「なんだ?小十郎」 「ひすてりー、とか、いかような意味でございましょう」 「気狂い、みたいな意味だ」 あっけらかんと言い放つ梵天丸に、小十郎は渋い顔をしたまま「南蛮後はお控えくださいませ」とため息をこぼすのであった。 |