朝、目覚まし時計の音よりも早く目が覚めた。
時計が鳴る前にスイッチを切る。隣で眠るは、まだすぅすぅと寝息を立てえいた。
昨晩、は泣いて眠った。
誠一郎も遅くまでいた。が眠るまで、誠一郎と梵天丸は一緒にいた。

「お前はなんだか、俺に似てる」

そう言った誠一郎の表情は、どこか優しかった。
父親とも、小十郎とも違った。
兄というの者がいれば、こういうものなのだろうかと梵天丸は感じていた。

「でも、お前は俺と違うんだな。自分で、選んだんだから、ちゃんと貫けよ」
「誠一は、選ばなかったのか?」
「・・・俺は駄目だ。逃げちまったから。もっと、俺がまともな人間だったら、もっと早くにを逃がしてたさ」

抽象的な会話だった。
でも、お互いに言いたいことは何となく通じ合っていあと思う。

「誠一、」
「なんだ?」
「今度、ちゃんとえいごおしえろよ」
「・・・ああ、わかってるよ」
「そしたら、さんにんで逃げるか?南蛮に」

梵天丸の言葉に、誠一郎はあの時と同じように断ると思った。
けれど誠一郎はそうしなかった。

「それも、いいかもな」

否定も肯定もしなかった。

しばらくぼんやりと回想に耽っていたが、くぅと腹の虫が抗議する。
そろそろ朝餉の時間だ。
梵天丸はふと自分が作ってしまおうという突拍子もない考えがひらめいた。
は疲れている。代わりに自分が作って、の仕事を減らすのだ。
思い立ったら吉日。
梵天丸はを起こさないように布団を抜けだし、寝巻のまま台所へとむかった。

***

ガシャン!!という食器の割れる音には跳ね起きた。
隣のふくらみは布団をめくってもない。
つまり、音を立てたのは梵天丸か。

「梵ちゃん!?」

急いで台所へと向かえば、皿を割ってしまって顔を青くする梵天丸の姿があった。

「危ないじゃない!!どうしてを起こさないの!?」
「だ、だって・・・」
「だってじゃない!ほら、危ないからこっちおいで!」

スリッパもはいていない梵天丸が怪我をしないように抱き上げる。
箒とちりとりでガラスをかき集める間、梵天丸は寝間着の裾を握り締めて涙目になっていた。

・・・ごめんなさい・・・おれ。おれ、が疲れてると思って・・のためにやろうと思ったんだ・・・に、げんきになってほしくて・・・」
「梵ちゃん・・・」

割れた皿を片付け終えると、は急いで梵天丸を抱きしめた。

「ごめんね、怒鳴ってごめん。嬉しいよ梵ちゃん。ありがとう」
っ・・・」
「いっしょに朝ごはん作ろうね。美味しい卵焼き作ろうね」

こくりと頷く梵天丸の髪を撫で、は梵天丸の小さな足にスリッパをはかせてやった。

そんな日の朝食の席で、梵天丸は昨晩の誠一郎との会話をなぞってみた。

「なぁ、。俺、今度誠一にえいごおしえてもらうんだ。すぐにうまく喋れるようになるから、そしたらと、俺と、誠一のさんにんで南蛮にいこう」
「南蛮・・・外国?」
「そうだ。はこの村がいやなんだろう?だから三人で逃げちまおう」

梵天丸の言葉に、は目を見開き、それから優しく笑った。

「それは、出来ないかな」
「どうして!」
「今日は、ごへん食べたらお散歩行こうか」
!」
の事、梵ちゃんに話して上げるから」

そう言われ、梵天丸は押し黙った。
のこと、とは一体何なのか。
梵天丸はもう十分の事を知っていた。
優しくて、暖かくて、料理上手で、梵天丸を愛してくれる。
それ以上のなにがあるというのだろう。

そうして朝食をすますと、は宣言通り散歩に行こうと梵天丸を外へ連れ出した。
いつもと違う森の中の獣道を歩く最中、普段は見たこともないような小さな祠がいくつもあった。
大きさはさまざまで、大きいものはちょっとした神社くらいある程だ。

「私の一族はね。このあたりの山を支える柱なんだって。私のお母さんも、そのお母さんも、その人のお母さんも。みんな、この村や、山や、土地を守ってきたの。だから、その子供も、その子の子供も、ずっと続く子供たちも、支えとしてここを守って行かなくちゃならないの」
「そんなの・・・変だろ」
「変じゃないよ。も、のお母さんやおばあちゃんもみんなこの村の人たちに生かしてもらってきたの。そのお礼を返さなきゃいけない。だから、たちはここを離れないの。受けた恩は必ず返さなきゃだめだよ」
「でも・・・」

そんな、不条理を、身勝手を、理不尽を、受け入れろというのか。
見て見ぬふりをしろというのか。
梵天丸は、誠一郎が逃げたというその現実の奥深い闇に、歯噛みした。

「梵ちゃん。その気持ちだけで、は嬉しいよ。誠一郎さんや、梵ちゃんがいつかいなくなってもは大丈夫。だって、みんなと過ごした記憶があるから。大切な思い出があるから大丈夫」
は・・・それでいいのか・・・?」
「私は、大丈夫。さみしくなんか、ないよ。私はこの村が、私を生かしてくれたこの村のみんなが、好きだもん」

一際大きな社の前では両手を合わして頭を下げた。
このあたり一帯の土地を納める土地神であると同時に氏神でもある。

「ここがね、たちが生まれて、そして還る場所なんだって。たちは、神様から生まれて、そして死んだら神様の所に帰るんだって。たちは、神様の代わりに、土地の繁栄と安定をもたらすそうだよ」
「神様、」
「さ、帰ろっか」

無言の梵天丸の腕を引き、は今日来た道を戻っていった。
梵天丸はそっと振り返る。
もし、が死んで神のもとへ帰るというのなら、自分は一緒に行けるだろうか。
死んだ時、同じようにの傍に行けるだろうか。
そればかりが心配だった。






否定の果てに沈黙