その日、小十郎が消えた。

ほんの僅かな間のことだった。
訳がわからず、ほんの一瞬の出来事であった。

朝の日課の散歩に小十郎も供としてついて来て、「ここが私が着た場所です」と落ちていた白い花を拾った。
その次の瞬間。
藪の方へ足を滑らせた小十郎の姿は忽然と消えた。
も、梵天丸も、声が出せなかった。
しばらくして我に返り、大声で読んであたりを探すがやはり小十郎の姿は見つからなかった。

と梵天丸は、震えす体を抱きしめあって山を駆け下りた。

「小十郎さん・・・どうなっちゃったんだろう」

の声に、梵天丸はの体に強く抱きつきながら小さく震える声で答える。

「たぶん、帰ったんだ」
「え?」
「あいつは俺と違う。必要とされてる。いなくなったら困るから、だから、帰れたんだ」

どこに、とは聞かなかった。
その時梵天丸が感じたのは痛みなのか、寂しさなのか、悔しさなのか、憎しみなのか、諦めなのか、にはわからない。
わからないから、ただ。
ただ強く、は梵天丸の体を抱きしめ返した。


***

「どうしたんだ?」

その日の夕方、電気もつけずに暗いままの部屋の中に座り込む梵天丸とに誠一郎は不安げに声をかけた。
はこんな非科学的なことを統べて話すわけにもいかず、ただ、小十郎が帰ったとしか答えられなかった。

「・・・なぁ。
「・・・なぁに?」

力なく笑うに心が揺れたが、誠一郎には時間がなかった。
伝えるのは早い方がいい。きっと、直前に告げればは泣くだろう。
誠一郎はそう思ったからだ。

「俺は・・・東京の大学に行く」
「・・・え」
「春になったら、村を出る。俺は、東京の大学に進学する」
「とう、きょう」

この、狭く、閉鎖的で、経済もよく回らないような地域で上京するものは少なかった。
大概の家が子は親の後を継ぎまた子を成し血を繋げる。
そうして昔から今までやってきた。
だが、誠一郎は外に行きたかった。
その為に今まで勉強してきたし、それなりに金も貯めた。特待生としての推薦の話も進めている。親の許可もある。
誠一郎の心残りは、だけだった。

「俺は、お前を置いて、村を出ることになる」

それが、どれほど残酷なことなのか、誠一郎には計り知れないことだった。
ただ推測するしかな。
の母も、その母も、そのまた母も、ずっとずっと、この地に縛られてきた。
その一族の末裔に、自分は置いていくと告げる、その残酷さ。

「・・・す・・・すごいよ!誠一郎さん!東京って、日本の首都でしょう?そこの大学に行くなんて!そうだよね!誠一郎さん、小さいころからすっごく頭がよかったもん!うわぁ・・・!私、応援するね!」

だがは、笑った。
その眩しい笑みに、誠一郎は思わず虚を突かれる。

「怒ら、ないのか?」
「どうして?誠一郎さんのやりたいことが出来るんだよ?私も嬉しい」
「でも・・・」
「もしかして、私の事気にしてるの?やだっ、全然心配しなくてもいいのに!私平気だよ!それは・・・すこし寂しいなって思うけど、村のみんなは親切だし、梵ちゃんもいてくれるし、わたし、だいじょうぶだよ・・・!」

そう笑う癖に、語尾はかすれて、涙声が混じる。
ぼろりと大粒の涙が溢れて、誠一郎は思わずの肩を掴んだ。

「っ、・・・」
「わたし・・・だいじょうぶだから、ぜんぜんへいきだよ・・・せいいちろうさんのゆめがかなったら、もっとうれしい!だから・・・せいいちろうさんは、わたしのこときにしないでっ・・・」

この村はを縛る。
そして、は自分は誠一郎を縛っていたことを知っている。
村長の息子として、誰よりも聞かの傍にいてくれる誠一郎に甘えていたのをはちゃんと自覚していた。
優しい誠一郎は、何も言わずの傍にいてくれた。
でもこれ以上は、これ以上は駄目なのだ。
早く離れてもらわなければならない。
が、誠一郎の未来を食いつぶしてしまう前に。

「おい!!誠一!!なに泣かしてんだ!!」

の声を聞きつけて、梵天丸が後ろから誠一郎の背に小さい足で蹴りを入れる。
痛みなどなかった。
ただ、心臓にのしかかる重みはあった。

「梵天」
「っ。なんだよ・・・」

いつにない、誠一郎の真剣な表情に梵天丸は思わず怯む。
十にも満たない梵天丸にしてみれば、誠一郎は立派な男の部類であった。
その真剣な眼差しに、居心地悪げに身じろぐ。

「約束、してくれないか」
「?」
「俺の代わりに、を守ってくれよ・・・」
「なんだよ、それ・・・」
「ただ、の傍にいてやってくれよ。それだけでいい・・・」

その声音が、表情がは、あまりにも真剣で梵天丸は息を飲む。
固い意思を感じるその言葉に、梵天丸は無言で頷いた。

「俺は、ずっとの傍にいる。でもそれはお前の為じゃない」
「・・・はは、梵天らしい」

力なく笑った誠一郎は、梵天も無理やり抱きかかえ、挟むようにしてもまた抱きしめた。
自分の腕はなんて短いんだろう。こうして、ただ抱きしめるだけで精いっぱいだった。

「ごめんな、ずっと一緒にいてやれなくて」
「ううん。誠一郎さんはずっと一緒にいてくれたよ。だから、なにも謝ることないよ」

梵天丸が知らない、誠一郎との絆。
その断ち難い、家族の様な腕の中で、梵天丸はただ思った。
守ろうと。
の涙が流れないように、自分が誠一郎の分までを守ろう。
代わりなんかじゃない。
梵天丸は梵天丸として、を守って、傍にいる。
それが、家族だから。
梵天丸の、意思だから。






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