「それからシンデレラは王子様と末長く幸せに暮らしましたとさ」 「農民のむすめをめるなんてへんなやつだな」 「お金とか権力だけじゃなくて、心が美しい人に本当の幸福が訪れるってことだよ」 「ふぅん」 梵天丸はの膝枕の上で不思議そうに瞬いた。 「シンデレラも何回も読んじゃったし、本返して新しいの借りようか」 「・・・」 「梵ちゃん?」 理由は、聞かずとも分かっている。 以前外に出向いた時、村の子供たちに囲まれて放たれた言葉がまだ胸に刺さっているのだろう。 「・・・行く」 「いいの?」 「ああ」 硬い表情の中には、を守らねばならないという意思があるのだろう。 今度はニット帽は被ることはなく、自ら進んで外へ出た。 相変わらず授業中の学校はとても静かだ。 子供の姿がないのに緊張が和らいだ梵天丸の吐いた息が大きく響く。 しかししばらく本棚の前をうろつけば、嫌なことは忘れて真剣に本を吟味する。 今回は西洋の童話が多い。ああ言ってはいたものの、シンデレラはいたく気に入ったらしい。 「梵ちゃん海外のお話好きだね」 「いままで読んだことないのばかりだからな」 不思議の国のアリス、白雪姫、人魚姫。幸せな話も、悲しい話も梵天丸は厭わないようだ。いや、中身を知らないだけだ。 落胆しないだろうかとは思ったが、先に中身を告げてしまうのもはばかられる。 「それじゃあ帰ろうか」 「うん」 手を繋ぎ、校門を出る。 背後で響く下校を告げる鐘の音に心なしか足元が早くなった。 「あ!だ!!」 しかし思いもよらず子供というのは足が速い。 岐路に向かって走ったのだろう。いつの間にか追いつかれ、すぐそばまで発せられた声にの肩が跳ねた。 「」 梵天丸が幼いながらに勇気づけるように手を握り返してくれる。 「ぼ、梵天丸!」 ひっくりかえるような子供の緊張した声にと梵天丸は足を止める。 はぁはぁと肩で荒く息をする子供たちは綺麗に横一列に並んだのでふたりは目を丸くした。 「ごめんなさい!!」 重なる四つの声と、一斉に下げられた小さな頭。 梵天丸はぽかんと口を開いていた。 「この前は化け物って言ってごめんね!」 「梵天丸すごく強いよな!おれたちにもちゃんばら教えてくれよ!」 「学校はどうして来ないんだ?」 「一緒に遊ぼう!」 え。と漏れた声。続いて子供たちが梵天丸を囲んで話になる。 子供らしい無邪気さ。遊ぼう遊ぼうと腕を惹かれ困惑の瞳がこちらを見ている。 「いいよ、まだ日は高いもん。梵ちゃんも遊んで行こうよ」 やったー!と子供たちの声に梵天丸の声はかき消された。 適当に細木を拾ってきてはちゃんばらを始めようとし、梵天丸にならって構えたりして見せる。 初めは困惑していた梵天丸だったが、数分もしないうちに子供たちと打ち解けてちゃんばらに興じていた。 年に似合わず大人びていても、やっぱり梵天丸も子供なのだ。年の近い子供が嬉しいのだろう。に見せる笑顔とは違う、少しぎこちないそれだが一人で黙々と本を読むよりはずっと楽しそうな笑顔だった。 は近くに腰掛け子供たちの遊びを見守ることにする。 どうせ帰ってもすることもないし、急ぎでもない。 ふと、背後に影が伸びる。 「」 「誠一郎さん。今日も帰り早いね」 「テスト期間だから。あいつらすっかり仲良くなったな」 「うん、よかった」 子供たちの笑い声の合間に、ほんの少しだけ沈黙が横たわる。 誠一郎は何を言うでもなくそのままの隣に腰を下ろした。 無言の視線が刺さり来る。は何げなく誠一郎へと視線を投げる。 「なぁ、結局、梵天丸って何者なんだ?」 の家系は、女しか生れない。 の母も、その母も、きっとその母も。ずっとそうだった。 このむらの、すべての人間がそれを知っている。 梵天丸がの弟なはずがないと、誠一郎は知っている。 「弟だよ」 それでも、は頑なだった。 「私の、世界で一番大切な子だよ」 困ったように眉尻を下げる誠一郎の表情は優しかった。 「馬鹿」 「ごめんなさい」 優しい苦笑に、はほんの少し力を抜く。 誠一郎の、の頭を撫でる掌は大った。 まるで大人の男のようだった。 は父親を知らない。村の男たちは、に近づくことはない。 「・・・」 に触れることを許されたのは、たった一人。 誠一郎だけだった。 細い手首が握られる。 見上げる程背が高い誠一郎。 の発育不良なのか、誠一郎の成長期なのかは定かではない。 見下ろされ影ができる。 ゆっくりと近づいてくる誠一郎を。はただ見つめていた。 「いっ!!」 「誠一郎さん!?」 急に顔をしかめる誠一郎が背後を振り返れば、左目を涙で濡らした梵天丸が木の棒を握り締めて打ち震えていた。 「てめっ、梵天!」 「梵ちゃん!!」 声をかけた瞬間梵天丸ははじけた様に飛び出す。 子供たちは茫然とそれを見ており、は誠一郎を置いて梵天丸を追いかけた。 「梵ちゃん!待ってっ・・・待って!」 歩幅が違えど風の様に早い梵天丸と、普段から運動していなかった体力のないではなかなか追いつけない。 息を切らして自宅に着いた頃には、梵天丸はとっくに部屋の隅で丸くなっていた。 「梵ちゃん」 そっと声をかける。 大きく跳ねた体は小動物の様だった。 は少し呼吸を整えてから梵天丸の後ろに座る。 「ねぇ。どうしてあんなことしたの?」 この間の子供のちゃんばらとはわけが違う。 不意打ちを、しかも背後からだ。 梵天丸の力では大した怪我にならないかもしれなかったが、それは相手が身体ができ始めた高校生の誠一郎だったからでしかない。 「どうして?」 ゆったりとしたの問いかけに、梵天丸の鼻をすする音がした。 「いやだ」 「・・・なにが?」 「は、は俺のだ。なのに、誠一郎がっ」 は、あの瞬間誠一郎が何をしようとしていたかなんて皆目見当がついていなかった。 しかし梵天丸は違った。 たった一人の大切な人を、誰かに触られる。奪われる。 その危機感、恐怖が体を突き動かした。 気がついた時には誠一郎をうしろから殴りかかっていた。 と誠一郎の声に、自己嫌悪を、理解されないかなしさが溢れ返った。 「いやだ。はずっと俺と一緒にいてくれるんだろう?じゃあ誠一郎なんていらないだろう?いやだ、おれだけといてくれよ・・・!」 ぎゅうと心臓を握られる様な感覚に、は思わず唇をかんだ。 泣きながら肩を震わせる梵天丸は顔を上げず声を殺すように泣いている。 「ごめんね」 置いていかれる孤独は、分かっていたはずなのに。 知っていたはずなのに、気付いてあげられなかった。 「ごめんね、梵ちゃん」 歳を取るごとに、痛みを忘れていくことは、それはきっと諦めなのだろう。 は後ろから梵天丸を抱きよせ腕の中に閉じ込めた。 「ごめんね。はずっと、梵ちゃんのだよ」 歳を取るごとに、嘘が上手くなる。 ずっとなんてないと知っているくせに。 「っ・・・!!」 抱き返してくる小さな腕の力に、申し訳なさと愛しさで涙がでた。 ただせめて、限られた時間を、すべてこの子にあげたい。 そう思うのだった。 |