数日後、誠一郎から梵天丸の外出許可がでた。 といってもこの村には特に何もない。田畑と民家といくつかの公共施設くらいだ。目立ったものも特に何もなく、説明も口頭で事足りた。 しかし理由はそれだけではなかった。 何故だか梵天丸自身が外に出たがらない。 縁側で日向ぼっこや、庭に出る程度はするが家の敷地からはかたくなに出ようとしなかった。 「梵ちゃん、毎日おうち、飽きない?」 「と一緒だからあきない」 気を使っているわけでもなく、しかし本心からとも思えない。 梵天丸は体を使うのが嫌なのか、の祖母の部屋になる本を引っ張り出してはに読み聞かせを強請る。 今やすっかり祖母の本は読破してしまった。 「でも、うちにもう新しい本ないから、借りに行こうか」 「借りに?」 「うん、学校まで。すぐだよ、行く?」 「い、いかない」 「じゃあお留守番してる?」 「やだ!」 はて、困ってしまった。 しかしこの家も特に暇を潰せるものはない。一日中テレビも見せるのも教育上よろしくないし。 「梵ちゃんなんでお出かけ嫌なの?」 そう問いかけてしまうと梵天丸の瞳が泣き出しそうに歪んだ。 それから小さな手で右目を覆う。 「お、俺、へんだから」 「どこが変なの?」 「・・・め、目が」 何度か包帯を変えてやったにしてみれば当然にして当たり前のものであったが、そうか、子供は気にするのだ。 顔半分を覆うように巻かれた包帯はあまりにも仰々しい。 誠一郎が何も言わなかったせいでは何とも思っていなかったのだ。 子供心の繊細に気遣ってやれなかったことには少し後悔した。 「そっか、ごめんね梵ちゃん。でも、村の人はみんな優しいから何も言わないよ」 「でも・・・」 「じゃあ、こうしようか!」 「?」 季節はゆっくりと冬に向かっている。 最近は随分寒くなったからちょうどいいだろう。青いマフラーとそろいのニット帽子をかぶらせれば、髪に押さえつけられて包帯はあまり見えなくなる。 鏡の前に立たせて、どう?と問いかければ、梵天丸は安心したように笑った。 「お外、行こうか」 「ああ!」 山村がいくつか固まる山の中だがやはり人口は少ない。小学中学と統合されている木造の学び舎がこの村で一番大きな建物だった。 事務員の人に挨拶をしてが靴を脱ぐ。に倣って小さな頭を下げて靴を脱ぐ梵天丸はとても可愛らしく、事務員が小さく笑った。 来賓用の薄いスリッパを借りて静かに歩く。 ぺたぺたと足音が反響する、洞窟の様な廊下の作りに梵天丸は物珍しげに視線を目まぐるしく動かした。 「ここが学校ね。子供が集まってお勉強する場所だよ」 「だれもいないぞ?」 「みんな教室に居るんだよ。今は授業中だから静かにね」 人差し指を唇にあてれば、真似した梵天丸は笑って頷く。いい子、と頭を一つ撫でて、ふたりは手を繋いで図書館に向かった。 小中学校と統合された図書室のおかげで本の種類は豊富だ。 図鑑、伝記、民話、さらには参考書の様な難しい本もある。 梵天丸はその物量に声を失くし、の手を引いて本棚に駆け寄った。 「たくさんあるな!」 「うん、どれが読みたい?5冊までなら借りて帰れるよ」 「探す!」 と小さな足で駆けだす梵天丸だが手が届く高さは限りある。 もすぐ隣に並んで梵天丸の物色につきあうことにした。 梵天丸の本の選択なかなか渋く、日本古記なんて持ちだしてくるあたりやはりいいところの子なんだろうなぁと感慨深く思う。 しかしそれでは難しくないだろうかと、はこっそり童話をいくつか一緒に借りた。 図書室を出る際、丁度終業のチャイムがなる。 建物がざわめき、子供たちが岐路につく声が響いた。 梵天丸はそっと帽子を目深にに被りなおす。 は大丈夫だよ、と小さく囁き梵天丸の背を撫でながら廊下を歩いた。 外に出て帰路へ着く最中、背後から子供たちの笑い声が響いた。 下の村の子供たちは送迎バスがでるが、村の子供は数人いる。彼らは徒歩で家路につくのだ。 梵天丸が小さく体を震わせ、に縋りつくように顔を押しつけた。 「あ!が外にいるぞ!」 「ほんとだー、とーちゃんにいいつけてやろうぜ!」 「ゆびさしたらふこうになるぞー!」 「はやくやまにかえれよ!!」 子供らしい口さがない物言いはには慣れたものだった。 しかし梵天丸は信じられないと驚きに口を開く。 何故がそんな風に言われなければならないのかがわからなかった。 はで早く帰ろうね、と微笑むばかりで、梵天丸はいいしれない感情が腹の中に貯まるのを自覚した。 「せない」 「ん?」 「あいつら、許せない」 「梵ちゃん?」 梵天丸はの手を振りほどいて子供たちのほうへ駆けていった。 「おい!お前ら!!に向かってひどいこと言うと俺が承知しねえぞ!」 「だれだおまえ?」 「梵天丸だ!」 「へんななまえー!」 一斉に上がる子供たちの笑い声に梵天丸の瞳が鋭くなる。 梵天丸は道端に落ちていた木の棒を拾い上げると四人の子供に向かって突き付けた。 「勝負だ!俺が勝ったらもう二度とにひどいこと言うな!」 「なまいき!!」 「直ちゃんやっつけろ!」 「いけいけぇ!!」 子供の一人が梵天丸のまねをして木の棒を拾う。 あんな固いもので撃ち合いをすれば怪我は必須だ。は急いで子供たちの方へ走ろうとしたが、すぐに誰かに腕を掴まれ動きを封じられた。 「せ、誠一郎さん」 「黙って見ててやれ」 子供三人が輪を作り、その中で梵天丸と子供が一人向かいあう。 年はおそらく同じか上か。直義だ、と誠一郎が呟いた。 直義が棒を振り上げる。咄嗟には危ない!と悲鳴じみた声を上げるが、梵天丸は獣の様な俊敏さでそれを避けて背後に回る。義直が反応する前に梵天丸がその背中をしたたかに打ちつけた。 反動で膝をつく。ランドセルがなければひどいけがを負っていた程の音だった。 「梵ちゃん!」 「直ちゃん!!」 「直ちゃんになにすんだよこのめかくし!!」 飛び出した次の子供が直義がおとした棒を拾い上げて梵天丸に向かって飛び込んでいく。 目隠し、の言葉に一瞬反応が遅れ、棒の切っ先が頭をかする。 毛糸の繊維が引っ掛かり、ニットの防止が浚われると包帯を巻かれた顔があらわになる。 「おばけだ!おばけ!!」 「ほうたいおばけだ!」 「ミイラだよミイラ!!」 合唱のように子供たちの声が重なる。 梵天丸は青白い顔色で一歩引きさがった。一対多勢だ。子供とは無自覚に残酷で、は胸が締め付けられる思いだった。 「・・・いうな・・・」 「なんだよおばけ!直ちゃんのかわりにやっつけてやる!!」 「俺は、化け物じゃない!!」 子供とは思えないほど勢いよく振り切られた棒。子供はそのまま尻もちをつき喉元に棒の切っ先を突きつけられる。残る二人は恐々と梵天丸を見上げていた。 「俺の勝ちだ・・・」 「・・・」 「俺の勝ちだ!!」 梵天丸の気迫に押されてか、子供たちが立ち上がって逃げだす。 その背中を追おうとはせず、梵天丸は荒く息をついて木の棒を投げ捨てた。 「梵ちゃん!」 誠一郎の腕が解かれ、は本を放り出して梵天丸に駆け寄った。 「」 「ああもう怖かった!すごくこわかった!!梵ちゃんが怪我したらどうしようかと思った!!」 「・・・俺、怪我しなかった。負けなかったぞ・・・」 「うんっ・・・うんっ・・・」 怪我ひとつない体を抱きしめる。伝わる熱様にツンと鼻が痛くなった。 寒さだけではない。泣いてしまいそうだった。 「俺、を守りたかったんだ」 「梵ちゃん・・・」 「俺たち、家族なんだろ?」 きっと、ここが家で、誰の目もはばからずに済んだというのならば、はおそらく泣き出していだろう。 子供のように、年甲斐もなく盛大に泣き出していたことだろう。 鼻の痺れが酷くなり、頭が熱い。視界が滲んで奥歯を噛み締める。 「、どこか痛いのか!?どうしよう、おれのせいか!?」 「ううん・・・違うよ・・・梵ちゃん、ちがうよ。、嬉しくて。梵ちゃんと家族なのが、嬉しくて・・・」 こんなちいなさ子供が、ずっと辛い境遇だっただろう子供が、自分を気遣ってくれた。小さな手で、守ろうとしてくれた。 誰かが自分を想ってくれている。 目に見えたその形が、あまりにも優しくて。 は鼻をすすって梵天丸を強く抱きしめた。 「・・・そこそこやるじゃねえか。梵天」 「・・・略すなよ誠一」 まるで兄弟の様だ。 まるで家族の様だ。 は胸の中で温かく光る心を、その感触を、忘れないように抱きしめた。 |