梵天丸との生活が始まって五日ほどたっただろうか。
すっかりなついた梵天丸との生活は順調そのものであった。
しかしその生活にも、新たな介入者により一変することなど梵天丸は知る由もなかった。

、親父に頼まれてた食材持ってきたぞ」
「あ、誠一郎さん、ありがとう」

梵天丸が来てからの初めての来訪者だった。
部屋の襖に隠れていた梵天丸は玄関に立つ黒髪の男を見る。
年は小十郎より若い、よりも年上だろうか。
全身を黒い衣服で身を包んだ釣り目がちの若い男だ。態度も大きそうで梵天丸は短く舌を打った。

「・・・なんだ、あのガキ」
「あ、え、えと・・・!」

うろたえるを置いて男勝手に部屋へと上がりこむと襖を勢い良く開いて梵天丸を見下ろした。
間近で見るとますます目つきが悪い。梵天丸も負けじときつく男を睨み返した。

「おいガキ、名前は」
「人に名を聞くなら自分から名乗ったらどうだ!」
「ぼ、梵ちゃん!」

は受け取った食材を置いて慌てて駆け寄る。庇うように梵天丸の前に立とうとしたが、男はそれを許さず梵天丸を睨み続けた。

「誠一郎だ、クソガキ」
「・・・梵天丸だ、おっさん」
「おっさ・・・!?」
「もう!梵ちゃん!!え、えと、誠一郎さん、ちゃんと説明するから、あ、あがってもらえるかな?」
「もう上がってる」

つっけんどんな言葉に梵天丸は誠一郎の脛を蹴りつけた。
悲鳴との声が重なったが梵天丸は無視して先に居間に駆け込む。
誠一郎も何か怒鳴りながら居間へと向かい、は急いでお茶の準備に台所へ向かった。

テーブルに三人分の湯呑を並べ、茶請けの菓子を並べる。
重苦しい沈黙と突き刺さる二人分の視線にはううと困ったように呻いた。

「おい、説明しろ」
「おいを呼び捨てにするな!」
「うるせぇチビ」
「ちびじゃねえ!」
「はいはいうるせぇうるせぇ」
「誠一郎さん梵ちゃんを苛めない!」

思わず庇ってしまえば梵天丸が胸に飛び込んでくる。
よしよしと頭を撫でてやると半分顔をずらしら梵天丸がにやりとあくどく笑った。

「よし、殴る」
「誠一郎さん!」

これでは埒が明かないとは頭を抱えてしまう。
どう説明すればいいかなんてわからない。タイムスリップしてきた子供なんて現代っ子の誠一郎に通じるはずもなく、はうんうんと頭を捻るがいい考えなど浮かぶはずもない。

「で、どこのガキだよ。見たことねぇぞ」
「え、えと梵ちゃんは・・・」
「村の外の奴か」
「え、えと、えと・・・」
「おい、お前親父にバレたら」
「俺はの弟だ!!」

バン、と強くテーブルを叩きながら梵天丸が立ち上がると、その反動でう湯呑が倒れる。
は急いで布巾でこぼれたお茶をふき取り、倒れた湯呑を盆にのせた。

「梵ちゃんは、の弟だよ。少し前に、お、お母さんが、連れて・・・来て・・・」
「あのなぁ、お前の家系は女しか生まれない。みんな知ってる」
「でもっ!!ほ、ほんと・・・だか、ら・・・」

俯くに今度は誠一郎が深くため息を吐いた。
右手で目元を覆い疲れ切った様子に、はなんだか申し訳なくなってしまう。しかし撤回することはできない。そんな事をしてしまえば、きっと梵天丸とは引き離されてしまう。

「・・・親父には、俺がうまく言っておく」
「誠一郎さんっ・・・!」
「ただまだしばらくは外に連れ出すな。わかったな」
「うん・・・ありがとう。あ、お茶、淹れなおすね」
「ああ」

三つの湯呑をのせた盆を持ってが席を立つ。
残された誠一郎と梵天丸は牽制するように睨みあった。
一体何なのだろうと疲弊してしまう。
大人しいが見せた初めての強情さに、誠一郎は正直驚いていた。

「・・・お前、のなんだ」
「あ?てめーには関係ないクソガキ」
「・・・は俺のだっ」

強い視線に誠一郎は思わず目を丸くする。
まるで母親を取られて拗ねる子供だ。

「おまえなんかいらない、どっかいけ」
「・・・可愛くねークソガキだな。は俺の・・・」
「おまたせ、何か話してた?」
「いや、なんでもない」

暖かい緑茶を飲みながら、梵天丸はすぐにの膝の上を陣取った。
梵ちゃんは甘えん坊だねぇ、なんていいながら甘やかすに誠一郎は静かに溜息をつく。
梵天丸の勝ち誇ったような笑みは、出来るだけ視界に入れないようにした。

***

「じゃあ、また来るから」
「うん、ごめんなさい。いつもいつも」
「気にすんな。まぁ、今日はガキがいあてあんまり話せなくて悪かった」
「そんな、来てもらえるだけで、十分だから」

声を潜めて話をするふたりに梵天丸はそっと瞼を開いた。
またいつの間にか眠っていたらしい。
そっと体を起こす。誠一郎は帰る様子だった。

「米とかなくなったら、すぐ連絡したらいいし」
「うん」
「あと変なこと言われたらすぐ言えよ」
「誰も言わないよ、そんな事」
「最近、ちょっと・・・村が変な感じだから」
「?」
「なんでもない、最近寒くなったから気をつけろよ。服、誰かのお古だろうけど持ってこさせるから」
「服はいいよ、おばあちゃんのがあるし」
「・・・そうか、じゃあ、帰るな」
「うん、気をつけて、総一郎さん、ありがとう」
「ああ」

そうして会話が途切れる。玄関の引き戸の音。帰ったらしい。
の小さな足音が聞こえ、梵天丸は体を起こして座りなおした。

「梵ちゃん、おきちゃった?ごめんうるさかった?」
「いや」

眠い目を擦りながら意識を覚醒させた梵天丸だが、それでも眠たげな表情のままの膝もとにすり寄る。
小動物めいた仕草には思わず小さく笑った。
かわいいね、と自然と口元が綻び、小さな頭を撫でる。
包帯の感触も気にならないくらいさらさらと滑る髪は指先に心地よかった。


「なぁに?」
「あいつは・・・の夫か?」
「おっ・・・」

言葉に詰まる気かを見上げれば、顔一面を真っ赤にして茹でた凧のようになってしまったがいる。
梵天丸はその反応に思わず頬を膨らまし、の腹に顔をうずめるようにして抱きついた。

「梵ちゃん?」
「いやだ」
「ん?」
「いやだ、は俺のだ。あんなやつにはやらない」

ああ、なんてかわいい独占欲だろう。
は一瞬前の赤面を忘れてまた相好を崩す。
きつく顔を押し付ける梵天丸の髪を、何度も何度も撫でながらは優しく囁いた。

「大丈夫だよ、は梵ちゃんのだよ。誠一郎さんは、旦那さまじゃないよ」
「・・・本当か?」
「うん、ほんと」

膨れ面だった梵天丸も一気に笑顔になる。
そのまま勢いよくに飛びつき、は反動を殺せず背中をたたにみうちつけた。
痛みは少ないし、梵天丸の笑顔に何も言えなくなる。

「本当に本当だな!?嘘ついたら俺怒るからな!」

にこにこと笑う梵天丸に本当だよと念を押しても笑った。

「梵ちゃんが嬉しそうだから、今日はごちそうにしようかな!」
「ごぢそう?」
「うん、新鮮なお野菜がいっぱいだから。梵ちゃん、お野菜好き?」
「う・・・あ、あんまり」

苦虫を噛み潰したように顔をゆがめる梵天丸。
まるで百面相だ。その素直すぎる表情にはたまらず吹きだしてしまった。

「わ、笑うなよ!」
「ごめんね!でも梵ちゃん。好き嫌い下ら大きくなれないよ?」
「おおきく・・・なれない・・・」

数瞬考えこむ梵天丸はかっと勢い良く刮目しての顔を覗き込む。

「俺好き嫌いしない!野菜もちゃんと食べてでかくなる!あいつよりも大きくなって、俺がを守ってやるからな!」
「そっかぁ、楽しみだねぇ」
「飯を炊くのを手伝う!」
「ふふ、梵ちゃんありがとう」

小さな手が体を起こすようにと伸ばされる。
梵天丸が誠一郎くらいになるのは十年ほどか。
全く想像のつかない十年後を思い描きながら、は楽しみだねぇと梵天丸の小さな手を握り締めた。






獣の嫉妬心