「旅館の名前、わかる?」 「は?」 「お父さんとお母さんと泊まった宿の名前だよ」 「そんなところ泊ってない」 「じゃあ梵ちゃんは下の村の子なの?」 「違う、俺は伊達輝宗が嫡子梵天丸だ。農民と一緒にするな」 「・・・梵ちゃんは若いのに時代劇が好きなんだねぇ」 「はぁ?」 食事の後しばらく会話を交わすがやはりどこか噛み合わない。 も梵天丸も、あまり人と接する機会がなかったので相手の話を聞くのがうまくはなかったのが原因だったのだろう。 まぁいいかと思ってしまう楽天さはの美点でもあり欠点でもあった。 「ともかく、梵ちゃんはどうしてあんなところにいたの?」 森のしかも随分奥だ。周囲は崖やら谷やらで慣れない人間は命を落としかねない。 問いかけに梵天丸は少しの沈黙の後、花を、と続けた。 「花を、摘んでいた。母上が花を欲しいと言ったから。でも、母上はいなくなってて、追いかけて帰ろうとしたら、野盗が出て崖から落ちたんだ。母上は俺を置いて帰った。あの人は俺が嫌いだったんだ。ずっと、ずっと・・・」 「花を摘んでもらったのに?」 「俺を捨てる口実だったんだ。じゃなきゃあの人が俺を城から連れ出すはずがない」 「しろ?」 「言っただろ。俺は伊達家嫡子だ。城って言ったら米沢城だろう」 しばらくは立ち止まって思考してみた。 城、野盗、嫡子。 時代劇が好きな子供?コップを知らない、厳格な日本家系の子供?捨てられた、育児放棄を受けた子供? テレビや時計に興味を示していた。日常生活であれば知らないはずがないいくつかのことも不思議がっていた。 さて、どういうことだろうか。 「梵ちゃん・・・梵ちゃんのお父さんって、なにしてる人?」 「国主」 「こ、こくしゅ・・・」 議員でも社長でもなく会社員でもなく、国主。 はぽかんと口を開いて、それからポンと手を打った。 「タイムスリップかもねぇ」 「たいむ・・・?」 「ともかく、最初に梵ちゃんと会ったところに行こうか、よく言うでしょ、犯人は現場に戻る!」 「・・・俺は別に犯人じゃない」 「言葉のあやだよ」 くすくすと笑いながらは梵天丸の手を取った。 獣道の多い山道は小さな子供には歩きにくいだろうと思ってのことだった。 梵天丸の腕は一度大きく震え、何か文句を言ったが引きずられるようにしてと一緒に山の中へと分け入る。 日が傾く前に現場に戻ったが、やはり斜面の道行きに梵天丸は肩で荒く息をした 。 「ここ、花が残ってる。梵ちゃんが落ちた崖って・・・」 「ない、な」 散りばったはながある場その周囲に崖はない。 四方八方滑らかな平地であった。いぶかしむ梵天丸の隣ではやはりタイムスリップなのかもしれないと超常現象を怪しんでいた。 現代日本平成。テレビにパソコンに携帯電話。現代人の文明の利器あふれる都心ならばなにを非科学的なことをと一蹴されるだろうが、生憎閉鎖的な村では神隠しやら狐に化かされたやらで簡単に結論づいてしまう。 よって、は梵天丸が何らかの事情でタイムスリップしてしまった過去の子供と決定することにした。 「・・・のおうち帰ろうか」 「・・・」 梵天丸は返事をしなかったが、はそのまま梵天丸の腕を引いてきた道をたどった。 道中いくらか質問を投げかけては見たが、梵天丸からの返事はなかった。 部屋につき、腰をおろしてからも梵天丸は起きたまま眠っているかのように返事せず、ただただぼんやりと座りこんでしまっていた。 梵天丸の捨てられた。というのが同氏う状況下かわからないので、はうかつに梵天丸に声をかけられないでいる。 親が子を捨てるなど、一体どんな気分なのだろうとは考えてみるが、わかるはずもない。 人それぞれ事情があり、感情があり、そして環境がそうさせるのかもしれないのだから。 とくに梵天丸の場合、時間を飛んでしまったのならばそうやすやすとは帰れないだろう。 どんなに帰りたいと思っても、簡単にまたタイムスリップができるとはには思えなかった。 「梵ちゃん、ごはんにしようか」 山を上り下りすれば時間もたつし腹も減る。 夕暮れ時に日の沈む直前の空の光は弱く、梵天丸の影は部屋の中で滲んでいた。 子供が好きだろうオムライスにしようとは思う。たくさん食べればきっと元気になれるだろう。 梵天丸からの返事はなかったが、二人分の食事などすぐに出来上がった。 「これは、なんだ」 「オムライスだよ」 「おむ・・・?」 「おいしいよ」 といえば梵天丸はっくりとスプーンを取った。しかし使い方がわからないのか、の手を見よう見まねに角度を変える。 やはりお腹はすいていたらしい。子供とは言えあの山道は疲れるものだからとはひとりで頷いた。 「不思議な味だ・・・」 「口に合わなかった?」 「すこし・・・からい・・・」 「梵ちゃん」 ケチャップライスの具の塩コショウは控えめだった。卵は少し甘めにしたから辛いはずがなかった。 は梵天丸の隣に腰をおろし、そっと涙をぬぐってやる。 「梵ちゃん、寂しいの?」 「さみしくなんか・・・っ」 そう噛みつく梵天丸だがそれを合図に涙は堰を切ったように流れる。子供らしくない。子供には似つかわしくない、耐え、堪え、噛み殺すような泣き方が印象的である。 捨てられた。捨てられた。もう帰れないのかもしれない。自分はこんなにも会いたいのに、母上は会えないことを喜んでいるのだろうか。つらい、つらい。 声にならなかった言葉をが知るはずもない。 胸の中心に突き刺さった刃が抜けない。だた深く深くと突き刺さろうとする。痛み。どうしようもできない現実。無数の針が心臓を串刺しにするのだ。 「梵ちゃん、泣いてもいいよ。笑わないよ」 はゆっくりと小さな子供の体を抱きしめた。 寂しいと泣いたを抱きしめてくれたのは祖母だった。 梵天丸の傍にいるのはだけだった。だから、は梵天丸を抱きしめてあげなければと思ったのだ。 自分もこうだっただろうか。は思うが、幼いころ記憶はすっかり薄れてバラバラになってしまっている。 それでも、涙を流す梵天丸と、自分は同じだっただろうという確信はあった。 暫く呻くような鳴き声は溢れ続ける。泣き濡れた眼は赤い。 「・・・お前は」 「うん?」 「お前も・・・親に、捨てられたんだよな?」 梵天丸の言葉にはたと手を止めた。 まるい片方の目がこちらを見ている。包帯に隠されたもう一つの視線を感じる。その透明の視線に、は涙を拭ってやりながらうん、と一つ頷いた。 「私は小さい頃だったから、もうあまり覚えてないけど。5歳くらいの時だったかなぁ。お母さんが私の手を引いて、この村に来たの。村の入り口におばあちゃんがいた。お母さんがおばあちゃんだよって言って私の背を押して、私がおばあちゃん?って聞いたらおばあちゃんが。って呼んでくれたの。私、お父さんがいなくて、家族はお母さんしか知らなくて、ほかにも家族がいるってわかってすごくうれしかった。おばあちゃんのところに走って行って、おばあちゃんが抱きしめてくれてこれからは家族三人で過ごせるんだなぁって思ったらもうお母さんはいなくなってたの。おばあちゃんにお母さんは?て聞いたらお母さんはもう戻らないって言われた。すごく泣いたけど、おばあちゃんも、村の人も優しかったし、今はもうお母さんのこと、全然覚えてないなぁ」 薄情と、言われてしまえばそれまでだ。 は母親を憎みもしなかったし怒りも覚えなかった。 幼い記憶の中で、母が自分を育てるのにどれほど苦労していたかは覚えている。 仕事もなく、金もなく、身を粉にして日々の食事をやりくりしていた母の限界が起こした行動なのだろう。 寂しさに泣いた日もあったが、成長するにつれて親の苦労と村人の優しさに慰められ、やはり母を恨もうとは思わなかった。 そこに、もっと別の意思があったとしてもだ。 「つらくは、なかったか?」 子供らしい言葉にはまたうんと頷く。 「ひとりじゃないから、辛くなかったよ」 梵天丸はそうかとそれっきり何も言わなくなってしまった。 は梵天丸の指通りの良い黒髪を指先で撫でてやる。子供らしい柔らかな髪が気持ちいい。 「梵ちゃんも、ひとりじゃないよ」 「なにを、」 「がいる。だから、怖くないよ。が梵ちゃんがつらくないように頑張るよ」 「どう、して・・・」 震える声がどうしようもなく保護欲をかきたてる。 は優しく優しく、微笑んで見せた。 「ひとりはさみしいよ。ひとりはつらいよ。ひとりはかなしいよ。幸せな記憶があっても、ひとりは苦しいよ」 「・・・」 「だから、と一緒にいて?そしたら、ふたりともさみしくない。つらくない。大丈夫」 大丈夫、大丈夫、と子守唄のように繰り返しながら、は梵天の背を心臓の鼓動に合わせて緩く叩いた。 冷めた思考が脳内に響く。エゴだと。 自らのさみしさを紛らわすために、子供を犬か猫のように愛玩しようというのだろうか。 そうかもしれない。 けれども、たった一人で迷う子供を、放っておくこともできないのだ。 「うちの子になればいいよ。ずっと、ここにいてもいいよ」 「っ・・・」 「梵ちゃんがおうちに帰れるまで、のおうちに居ればいよ」 涙交じりの声が痛々しい。 縋りつく梵天丸の頭をは何度も何度も優しく撫でた。 これは母性なのだろうか、それとも、あの日母のぬくもりを失った自分に対する慰めなのだろうか、よくわからない。それでも。 「もう、ひとりじゃないんだよ」 言葉を、紡がずにはいられなかった。 夜の虫たちの鳴き声が細々聞こえる。 時折風がざわめき、草の揺れる音がが細々と響く。 梵天丸のすすり泣きが途切れるまで、は梵天丸を抱きしめ続けた。 「私、梵ちゃんの家族になるよ」 |