握り締めた受話器から延びるコード。
今時珍しいノーコードレスの電話は、黒電話だった・・・
突っ込みどころではあるけれど、そんなときじゃないくらいわかっている。
突き刺さる4人分の視線。
会社の面接を思い出す、胃がねじ切れるよう無い、痛み。
緊張に吐いた息が、震えていた。

「佐助」
「はぁい。旦那、政宗、部屋行くよ」

ああ、気を使わせてしまったんだろう。
それでも、傍にいてくれる元親さんの存在が、心苦しいと同時に心強かった。
意を決して受話器を握る。無機質の冷たさ。かじかむ指先で、黒電話のダイヤルを回した。忘れるはずなんて無い、家の電話番号。
耳に響く、数秒間のコール音。

『はい、もしもしです』

あ、お母さん、だ。
疲れた声。仕事の時とかの、声だ、やばい。なんか泣きそう。どうしよう。

『・・・もしもし?悪戯なら切りますよ』

棘のあるお母さんの声、初めて聞いたかもしれない。
負い目があるせいで、心臓が余計に痛んだ。

『・・・もしもし、切りますよ』
「お母さんっ」

叫ぶように言った瞬間、お互いが息を飲んだのがわかった。
どうしよう、なんて言えばいい?どうしよう、どうしよう。

・・・なの?』
「・・・う、ん」
『ほ・・・本当に、・・・?』
「うん・・・お、お母さん、あの、あのねっ」

急いで次の言葉を言おうにも、何を言えばいいのかわからない。
黒電話のコードみたいに、捩れて、上手く出てこない。

「あ、あの・・・えと・・・」
『・・・』
「お、お母さん?」

受話器の向こうから聞こえるのは、鼻をすする音。乱れた呼吸に、お母さんの小さな悲鳴みたいな声が聞こえてきていた。

『・・・このバカ娘!!今まで連絡もしないで・・・今どこにいるの!?何か事件に巻き込まれてるの!?どこか怪我は無いの!?』
「お母さん、お、落ち着いて?あの、事件とかじゃないの。ごめんなさい、ケータイ持ってなかったから、連絡しなくて」
『じゃあ今までどこにいたの!?電話も無いようなところなの!?』
「ちが、で、電話はあったけど。あの、つまり」
『どれだけ心配したと思ってるのっ・・・?』

心臓を打ち抜くような、お母さんの悲痛な声。
本当なら、生涯こんな声聞くことなかったんだろう。
涙ながらに私を叱るお母さんの声に、私も少し涙ぐんでいた。

「ごめんなさい、お母さん。私、元気なの。怪我もないし、事件に巻き込まれたりしてない」
『じゃあ今どこなの!?早く帰ってきなさいっ・・・!』

でもその瞬間、どうしようもないほどに心が冷えてしまった。
帰るの?あの家に?私の居場所が無い、あの家族のところに?
受話器の向こうで、お母さんが『?』と私の名前を呼んでいた。
どうしよう、答えなくちゃ、答えを・・・答えを・・・



不意に、隣の元親さんが声をかけてくれる。
電話台の角を握り締めていた私の指に、元親さんの手が重ねられる。とても温かくて、安心できる温度だった。

「好きにしていいんだぜ」

氷を溶かすように、元親さんの声が私の思考を溶かしていく。
答え、答え、答え。
私は受話器を握る右手に、ほんの少し力を足した。

「お母さん、私、今と、友達の家に泊めてもらってるの」
『友達?名前は?住所は?電話番号は?』
「お母さん聞いて。あのね、私、家出したの。ごめんなさい、心配かけて。辛かったの、イロイロ。だから、まだ・・・戻れない。戻りたくない。ごめんなさい。私は大丈夫だから、ごめん、心配しないで。お願い、もう少しだけほっといて欲しいの」
!』
「お母さん、お願い、また連絡する。ちゃんと電話するから。お願い心配しないで?」
『・・・』
「お父さんとか、お爺じゃんお婆ちゃんと、お姉さんと兄さんにも・・・伝えて?私、まだ帰らない。ごめんなさい、心配かけて・・・ごめん、まだ、帰りたく・・・ないから」

酸素が薄い。
からからに鳴る喉でやっと伝えるけれど、受話器の向こうのお母さんからの返事は、ない。

「・・・お母さん?」
『ちゃんと・・・帰ってくるの?』
「うん・・・ちゃんと、帰る。いつになるかは、まだ、わかんないけど」
『・・・お友達の名前は?苗字だけでもいいから』
「長曾我部、って言うの。代わった苗字でしょ?」
『・・・そうね・・・。、本当に、帰ってくるのよ?』
「・・・うん」

震える肺から息を吐き出し頷いて、私はようやく受話器を置いた。
チン、と間抜けに響いたベルの音。
私は力が抜けて、へたり込むように廊下にしりもちをついてしまった。