持ってきたこの声はこんなこと

言いたくなかったかな






「父上?どこへいかれるんですか?」

耳に心地よい、低音域に入りきらない若い声。
振り返りながら政宗はにっ、と口角を吊り上げて笑った。

「A little to there.」
「ちょっとそこまでって・・・武装して、ですか?」
「Ah-・・・小十郎には黙ってろ」
「父上!また小十郎が血ぃ吐きますよ!?」
「おいおい俺はもう現役じゃねぇんだから好きにさせろよ」

どうにも自分よりも腹心に似た息子は子供らしからぬ小言で政宗を諌める。
子供といっても元服を済ませた立派な跡取りだ。いつ国主の座を譲っても安心できる息子に政宗は小さく笑って手を振った。

「すぐ戻る」
「もー・・・小十郎には黙ってますから真面目に帰ってきてくださいよ?」
「へいへい」

結局自分が息子に甘かった所為か息子も自分に甘いのだ。
親子というよりもまるで兄弟のような軽口を交わしながら、政宗は夜の城を抜け出した。

「今晩は、良い夜だね」
「生きてたんだな、猿」

星が散りばめられた夜空に不釣合いな、闇から聞こえる笑い声。
政宗は歩みを止めて腕を組み、一点を見つめて声を返した。

「やだなぁ、ちゃあんと俺様にだって名前があるんだぜ?竜の旦那」
「はっ、道具に名前をつけるなんて、よっぽどの愛着がなきゃ出来ねーだろ」
「・・・相変わらず嫌なやつだね、あんた」
「てめぇもな」

声から滲む感情を、政宗は測りとろうと目を細める。
おそらく、相手も同じことを思っているのだろう。
軽い調子に忍ばされた、殺意。

「出て来いよ。何年ぶりだ?」
「忘れてるはずないでしょ?十七年さ。あんたが、あんたが旦那を殺して十七年・・・」

音を立てずに舞い降りた忍は、無機質な瞳で政宗を見ていた。
橙色の髪、緑の塗料、両手の大手裏剣に迷彩の忍装束。
十七年前と一寸も変わらない忍の姿に、政宗は囃し立てるように口笛を吹いた。

「まさしく道具、だな」
「あんたは変わっちまったね。すっかりおっさんじゃないの」
「渋みが出たって言え」

月明かりを弾いて暗く光る忍の狂気。
政宗は応えるように六爪の刀を鞘から抜き放つ。近年戦がなかった所為か、筋力の低下は否めなかったのを自覚する。
相手はどうであろう?あの頃とちっとも変わらない肉体。実力は甘く見られない。
佐助はすっと目を細めて、抜き放たれた竜の爪を視界に捕らえた。

「ねぇ、竜の旦那」
「あ?なんだよ」
「・・・先に一つ言っておくわ。これさ、任務でも命令でもなんでもないんだ。俺様の勝手な復讐なの」
「復讐、ね。道具の癖にいっぱしの人間気取りか?分不相応って言葉知ってんのかよ?」
「本っ当嫌な人だね。まぁ聞いてくださいよっと。だから今回のことは、誰にもどこにも関係ないの。おわかり?」

つまり、佐助はもしも自分が負けてもその罪を真田、武田に問うなと言いたいのだ。
随分虫のいい話だと政宗は鼻を鳴らしたが、なんとなく、その話を無碍にする気は起きなかった。

「ああ、わかった」
「え、マジ?意外だなぁ、もっと難癖つけてくると思ったんだけど」
「Ha!てめぇ程度に負けるわけねぇし。第一忍一匹に襲われたくらいでがたがた騒ぐ玉じゃあねえんだよ」
「ほんとムカツクわ、あんた」
「そのおかげで心置きなく殺れるってもんだろ?」
「あは、違いないね」

瞬間、視界から佐助が消える。
それでも尚眼前に飛来した苦無の存在に政宗はさっと身を屈め、そのまま右に転がり体勢を立て直した。

「鈍ってんじゃないの?竜の旦那!」
「てめぇこそ。苦無にキレがねぇな」

嫌味の応酬に響く金属音。
上空から飛び降りた佐助は懇親の力で手裏剣を叩きつけ、政宗は六爪でそれを弾き返す。
攻撃の重みに震える腕。
懐かしい。血が騒ぐのがわかった。
政宗は猛禽のように笑う。相対する佐助は、どこまでも冷静な瞳で政宗を見ていた。

「あの日、あんたの所に旦那を行かせた事、俺様後悔してる」
「へぇ?随分な言い草だな。主の手綱を握ってたつもりか」
「・・・握ってられたら、旦那は死んでなかったよ」

飛び掛ってくる手裏剣、苦無、拳に足技。不規則な忍らしい戦術は手数が多く、大振りの六爪では攻撃に回る隙がない。
一撃二撃と体に傷を負うが、どれも致命傷には程遠い。
生憎毒には慣れた体だ。決定打は未だない。

「温いな」

佐助の呼吸の合間に、六爪を勢いをつけて奮う。
雷を纏った刃は佐助の手裏剣にぶつかり、高い音を立ててその破片を地面に散らした。

「・・・おお怖い」
「俺を殺しに来たんだろ?本気で来い」

忌々しげに眉を寄せる佐助に、政宗はさらに笑みを深くした。
いつだってこの男はそうだった。
忍の癖に、どこまでも忍らしくない。それが強みであり、弱みともなり得る。
怒りで我を忘れ、攻撃が単調になるということは無かったが、言葉一つで顔色を変える様は相手に優位性を教える恰好の材料であった。

「あの時あんたが死んでいれば、幸昌様は・・・」
「幸昌・・・ああ、幸村の餓鬼か?」
「お宅とは大違いの神童だよっ!!」

重みの増した一撃に政宗は押し負ける。
一度後退して体勢を立て直そうとする合間にも、休み無い苦無の襲来が政宗を襲う。
短く舌打ちをして、雷を灯した刀を振り切る。砕ける苦無の悲鳴に、佐助の声が重なった。

「あんたさえいなければ!!」

政宗にとって、こうも感情的な佐助の姿を見るのは初めてだった。
いつも軽い調子で相手を笑い、幸村を親のように諌め、それでも部下らしく従事し、冷酷なまでに任務に徹する。
向けられた殺意を正面に受けながら、政宗は小さく笑った。

「なんだよ・・・てめぇ、人間じゃねぇか」

いつだったか、この男は言っていた「忍は飛び道具のようなものだと」。
どいつもこいつも、政宗は苦笑を漏らして刀を振るう。
六本の爪は容赦なく佐助に切りかかる。苦しげに寄せられた眉。政宗は、攻撃の手を緩めなかった。
思い起こせば、北条も、上杉も、みんなして主のために生きていた。忍は道具だと豪語するくせに、結局やつらも人間だった。
佐助だってそうだ。
建前ばかり並び立て、本音はいつだってここに在らず。それで後悔しているのならば、世話はない。

「俺が死んでも、幸村は帰ってこないぜ?」
「そうだね、でも俺様は救われるよ」

苦く笑う佐助の表情が、何故だか泣いている様に見えた。
政宗は再び舌打ちを零し、再び斬撃打ち込んだ。

「身勝手だな」
「そりゃ・・・人間だから、ね」

咳き込みよろけながら答えるその言葉は、佐助なりの皮肉なのか。その癖に浮かぶ表情は自嘲的だった。
政宗は三度目の舌打ちを打ちながら、ゆっくりと六爪を構え直る。

「次で決めるぜ」
「はは、かぁっこいー竜の旦那」
「俺は自殺志願者と遊んでやるほど暇じゃねぇんだよ」

険呑さの増す政宗の隻眼に、一瞬呆けた佐助は穏やかに笑った。

「やっぱあんた変わんないね。昔のまんまだ、お人よしだよ、ほんと」

こほ、と最後に堰をして、血の塊を地面に吐き捨てる。
やっぱり佐助も人間なのだ。時間が流れれば歳も食うし体も衰える。
道具のままに錆びずにいられるはずも無いのだ。

「ねぇ。竜の旦那・・・俺ね、俺様ね、悔いはないんだ、本当は、この人生」
「おい遺言なら聞かせる相手間違えてんだろ」
「聞いてよ・・・幸昌様やには、言えないし」

突如、ぐらりと揺れた佐助の上体。
声をかける間もなく膝をつく佐助は激しく堰を繰り返し、何度も血を吐いて口元を赤く染めた。
政宗は構えを解き、佐助の声が聞こえるように傍へと近づく。

「旦那を止められないのは、知ってたし解かってた。俺様はあの人が勝つって信じてた。結局・・・置いてかれちゃったけどさ。悲しかったかも。あの人、ほんと酷いんだぜ?自分の妻と子供を俺様に任せるんだもん。おちおち死ねないし、あんたを殺しにもいけないし。
あの人はさ、どこまでも俺を人間にしたかったらしいんだ。武器として生かしてくれずに、女を守らせて子供を育てさせて、普通の人間みたいに暮らさせて・・・たぶん、きっと、俺様・・・幸せだったんだよ」

耐え切れずに腕までついて、激しく背を震わせた佐助は肩を揺らして荒い息を繰り返す。
致命傷は、恐らく脇腹の傷だろう。
滴る血の量から、政宗は冷静にそう分析した。

「幸せ・・・だったけど・・・でも、やっぱ、俺様、人間じゃん・・・?幸昌様も、大きくなったし、あの子の傍には、を付けたし、もう、何も、心配ないって・・・思ったんだ」
「・・・」

四つん這いのまま佐助は顔を上げる。
血で口元を汚しながら佐助は笑う。だがやはり、その笑みは泣いているようにしか見えなかった。涙は見えない。それでも政宗はそう思う。

「勝てないって・・・思った・・・でも、やってみなきゃわかんねー。て、思った。結局、負けた。けどさ」
「・・・お前、死ぬぞ?」
「ねぇ・・・竜の、旦那・・・真田の旦那、怒ってるかな・・・ちゃんも、俺様のこと、怒る、かなぁ・・・?」
「知るか。んなこと」

だよねー、と佐助はけらけら笑う。
眩しいものを見るように目を細める佐助は、視界が滲んでいるのだろう。少し震え始めた体は、死の予兆。

「猿飛」
「竜、の旦那・・・幸昌、様を、おこら、ないでね。おれさまの・・・かって。だし、ごめんね・・・やな役、させて・・・」
「うっぜぇ」

冷たく切り捨てれば、佐助は目を丸くして、それからゆっくりと「あんたもな」と口元を歪めた。

(・・・こいつ、笑った?)

たった一つの左目を瞬かせれば、佐助は音を立てて地面に寝転び、空に向かってふらふらと腕を伸ばす。
篭手の先にも血が着いていた。満身創痍、その言葉がぴったりだった、

「だん、な・・・、ちゃ・・・ごめ・・・ごめ、ん・・・」

それでも佐助は笑っている。
恐らく、満足しているのだろう。
この生に、この人生に。

「ごめん、ね・・・・・・ゆき、まさ・・・さ、ま・・・」

断末魔はなかった。
ただ、穏やかに途切れた呼吸が、星を散りばめた空に掠れて消えた。
政宗は刀を仕舞い、死んだ男の顔を覗き込む。
がらんどうの瞳に不釣合いな、穏やかな口元。
そっと瞼を下ろしてやれば、綺麗な死に顔が出来上がる。
そろそろ脱走に気付いた小十郎が来る頃だ。
政宗はそのまま腰を下ろし、憎いくらい美しい星空を見上げ迎えを待つことにするのだった。

「・・・幸村に、宜しくな」






置いてきたあの夢は

どこかで喜んでいるのかな



ごめんな