輝いたあの星も枯れ切った僕も

宇宙の道草






数十年にひとりの逸材。
佐助はそう謳われ里で育った。
そして今、佐助の目の前には数十年にひとりの逸材である子供が立っている。

「お前、名前は?」
「・・・

感情を映さないびいどろの瞳。
佐助は甘く微笑み、皮肉な名前だと自嘲した。

***

!」

どたどたと廊下を駆ける子供染みた足音に、はぁと溜め息を溢した佐助は緩慢に立ち上がりひらりと屋根から地上に飛び降りた。

「幸昌様、そんな子供じゃないんだから大声上げて騒ぎなさんな」
「おお!佐助、良い所に。は何処だ?」
「あの子なら任務だっつったでしょ」

まったく、という具合に頭を抱えんでこれ見よがしに吐息を吐けば、幸昌はむっとしたように頬を膨らませる。

は某の忍だろう。どうして某になにも言わずに任務に出すのだ」
「幸昌様が剣のお稽古に熱心だったからですよ。さぁさぁまだお勉強の最中でしょうに」
「子供扱いするな佐助!」
「そう喚いてる内はまだまだ子供ですよ」
「某は元服も済ませているのだぞ!」
「はいはい」

喚きたてる幸昌を、佐助は普段通りの飄々とした態度で部屋に追い返す。
いきり立つ肩は随分逞しくなり、子供の丸みのあった肌は面影も残してはいなかった。

が帰ったらきちんと教えますから。ちゃんと政務に取り組んで。大将の役に立つんでしょう?」

う、と言葉に詰まる幸昌は幸村と瓜二つ。心底信玄に心酔する様には苦笑が漏れた。
渋々分かった、と音が紡がれ、ぐずる子供の表情で幸昌の部屋の襖が閉じられる。
佐助はやれやれと肩を鳴らし、通りすがりの女中に休憩がてらに団子を出すよう伝えるのだった。

元服を済まし、成長期に入った幸昌はますます幸村に似始めた。
父親譲りの淡い栗毛に大きな瞳、誰も言わぬのに髪を伸ばしひとつに纏める。
振るう得物は槍でなく刀であったが、炎と共に繰り出される斬撃には誰もが紅蓮の鬼だと口を揃えた。
幸村よりもやや筋肉質ではあるが、影武者と呼んでも差し支えのないほどに、幸昌は幸村に似ていた。
母であるが居れば、きって泣いてしまうほどに似ていただろう。
そのは病で亡くなった。
早すぎる両親の死。
どこまでも父と同じ道を辿る運命なのだろうか。
だからこそ、佐助は泣きじゃくる大助に忍を与えた。
奇しくも母と同じ名を持つ忍を、初めは嫌がって側にも寄らせなかったが、ふと知らぬ間に沸いた情かなにかか、すっかりがお気に入りになった大助は、元服しても尚、を母のように慕い、子のように思い、友のように競い、己のように大切にしていた。

「ああ、あの子も将来大変だろうに」

甘えたな主。
その主を、守り戦うことがに与えた使命だ。
戦がないとは言え時代がどう変わるかは誰にもわからない。
自分達が戦地を駆けたように、子供達も時代を駆けるのだろうかと佐助はぼんやり考える。
どこまでも父に似る子供が、同じ末路を辿らないようにと願うばかりだ。

幸昌は十七になった。
丁度幸村が、甲斐の虎若子と呼ばれ始めた年だ。
武芸に秀で、見目も麗しく、情に厚く義を重んじる。絵に書いたような男にそれを守る優秀な影。
嗚呼と佐助は吐息を溢す。

あの子はきっとこの甲斐を統べる男になるだろう。
信玄の築いたものを継ぐに値する器だ。
きっと、この日の本に新たな発展と調和をもたらすだろう。

それを見届けられないことが、口惜しい。
佐助はすいと夜空に目線をくれる。
耳に届く鳥の羽ばたき。
が帰ってきたらしく、佐助はすぐに出迎えに向かった。
帰還は明日の昼だったはず。
なかなかにして優秀な忍だと佐助は感じずにはいられなかった。

「おかえり、
「只今帰還いたしました、長」

光のある瞳がじっと佐助を見る。
初めて逢った時よりも、随分人間味のある目に佐助は流石は幸昌様、と内心拍手した。

「いやぁ、思ってたより随分早いね。怪我もないみたいだし」
「はい、かすり傷ひとつ負っていません」
「よしよし」

佐助はしたり顔で頷けば、は不審そうに眉を寄せた。
忍らしくない仕草。だが公私と時と場合をきちんと隔てるだけましだろう。

「お前なら、いつでも真田忍者隊の長の座を譲っても惜しくないね」
「長、」
「そうだよ。お前が真田を守るんだ」
「っ、佐助様!」

公私が溶けて、の口をついて出たのは懐かしい日々の呼び名である。
佐助は表情を変えずにを見つめ返し、その次に続く言葉を待った。

「何処へ、行かれるつもりですか?」
「なんのこと?」
「鉄の臭いがします」
「忍びはいつも暗器を持ってる」
「佐助様はいつもそれほどの量を持っていなかった」
「任務さ」
「佐助様が任務に場外に赴いたことは私は一度も見たことがありませんっ」

唇を噛み締め、耐えるの顔に佐助はあの時の自分を見た。
幸村が死んだ、あの日の自分を。

「・・・は頭がいい。腕も立つし、人望もある。ちゃんと長としてやっていけるよ」
「違います!私はそんな言葉が聞きたいんじゃッ!」

すがる様に延びた腕を避け、佐助はひらりと距離をとる。
瞳に光はなく、夜のように暗いことは自覚していた。
ぴゅうと指笛を鳴らせば黒い大鴉が舞い降りる。巨大な鳥を腕に止まらせた佐助はゆっくりとと視線を絡めた。

「俺様の最後の任務は、ちゃんを守ることだった」
「姫様を?」
「死んだちゃんは、大助様を守れと言った」
「・・・っ」
、お前も判るだろう?俺様は忍だ。なのに旦那も姫様も俺様を忍びとして扱ってはくれなかった。俺様は安穏と人間のふりをして生きるより、ただ一振りの刃として死にたい」
「佐助、様」

くしゃりと歪むの顔。涙はない。及第点といった所か。
佐助は我が子のように育てたに、餞別とばかりに笑みを贈った。それが演技ではないことを、ならば気付くだろうと思ってだった。

、今からお前が真田忍者隊長だ。お前が幸昌様を守れ」
「・・・っ、」
「いいな?」
「は、い」

念を押せば、は重々しげに頷く。
長の証の六紋銭の紋入りの小刀を投げれば、それは吸い込まれるようにの腕に収まった。

「忍の先輩として、にひとつご忠告」

鴉の喉を撫でながら、佐助はくつくつと小さく笑う。
小刀を握りしめるは、ひとつの音さえ逃がさぬようにすべての感覚を佐助に向けた。

「お前は、幸昌様を守って死ね」

そうして跳躍するれば鴉が羽ばたく。こいつも随分年を食ったものだと感慨しく思った。まだ筋肉もあるがやはり衰えを感じずにはいられない。
吹き付ける風に身を預けながら地上を見下ろせば、感情を見せない能面のようなの顔がそこにはあった。

「主に置いて逝かれた哀れな忍はこうなるんだよ。ちゃんと目に焼き付けておけ。お前は幸昌様の為に生きて死ぬんだ。それが一番、しあわせさ」

答えがあったかは佐助は知らない。
風が耳を塞ぎ夜が視界の邪魔をした。
は、なんと答えたのだろう。
是が非かわからぬ。
しかしそれでいい。
佐助は唇だけで別れを告げる。
さようなら、と言葉は音に成らずに空気に溶けた。
大切に育てた子供達。
血の繋がりはなくとも、魂が交わっていたのは確かだった。

「旦那、怒るかな」

約束をはこしたつもりはないが、主の望まぬ生き方をしようとしている。
小さくなる上田城を見下ろしながら、佐助はもう一度別れを囁いた。

「さよなら、幸昌様。さよなら・・・






それだけでまた明日も

笑えるような気がしたんだ。