笑った友が今日も

「ちょっくら死んでくるわ」

と言った。








はたと目覚め、微睡む午後の日差しに佐助はくわ、と盛大に欠伸を漏らした。
穏やかな空を番の鳥が舞い、ちちちと可愛らしく鳴いている。
答えるようにちちちと舌を鳴らせば、二匹の雀が地面に降りた。

「佐助ぇ!いつまで寝ておるのだ!」

わっと響いた大声に、驚いた雀はすぐに飛び立ち青空の向こうへと消えていく。佐助は望洋とそれを見送りながら、声の主へと振り返った。

「あーあ、いっちゃったじゃないの」
「雀など知らん!今日は某に稽古を付けてくれる約束であろう?」
「あらら、そうでしたっけ?」
「佐助っ!」

幸村が死んで、五度季節が巡った。
真田が嫡子、の子である大助はもう五つになる程時間は経つ。佐助が仕え始めたあの頃のように、大助は弁丸に似た元気溌剌な子供であった。
今にも右手の竹刀で殴りかかってきそうなのを感じとり、佐助は急いで縁側から外に出る。

「はいはいごめんよ大助様。でもま、剣の稽古なら俺よりも大将でしょうに」
「お舘様はお忙しい身だ。お手を煩わせるわけにはゆかぬ」
「まったく。そんな所まで似ちまって」

漏れた苦笑に大助の瞳が丸くなる父上も?と響いた声音は、複雑な感情を匂わすように奇妙な音をしていた。

「そうだよ。大助様のお父上も、お舘様がそりゃあもう大好きで尊敬してましたよ」
「そうか、うむ、父上もか」

右手の竹刀を一度きつく握った大助は、幸村そっくりの甘い茶色の瞳を輝かせ、佐助の腕を掴んで縁側に腰掛ける。

「大助様?」
「今日の稽古はやめだ佐助。今日は父上の話をしてくれ!もうすぐ父上の日だからな。これくらいの我が侭は許せ」
「父上の日って・・・大助様の、生誕祝いでしょうに」

奇しくも、幸村が命を落としたあの日に生を受けた大助。
大助がまたひとつと育つ度に、佐助やたちは失ったその虚が深くなるのを感じていた。
しかし、大助が健やかに育つことは喜ばしいことだ。
きっと、幸村が守ってくれてるんだわ。
は、そう言った。

「旦那の話かぁ。なにがいいかねぇ」

話すことはいくらでもある。
佐助は誰よりも幸村の側にいたのだから。

「佐助、大助」
「母上!」

襖の奥から響く細い声。
草履を脱ぎ捨て縁側に上がった大助がしっかりと正座した。
しずしずと開かれた襖からは、少し青い顔をしたが立っていた。

ちゃん今日は随分顔色がいいね」
「だから寝てられなくて」
「母上!今丁度佐助に父上の話を請うていた所なのです」
「そうなの?なら、私にも聞かせて。佐助」

甘く滲む目尻が見詰める優しい情景。
佐助はふわりと笑みを型どり、そうだね、と頭の中の引き出しを開く。

どんな話がいいだろう。
団子が好きだった幸村。
女が苦手だった幸村。
信玄に心酔していた幸村。
戦っていた幸村。
笑っていた幸村。

佐助は昔の旦那はね、とひたすらに穏やかな声で話を始めた。
他愛ない話は数珠の様に連なって止まらない。
悲しみを浮き彫りにするように、喪失を確認するように、佐助は語る。はそれに相槌を打ち、大助はひたすらに出会えなかった父の面影を想像した。

「―――それでね、」
「佐助」

細い指が佐助の腕に触れる。視線をに向ければ、優しく苦笑するの笑みがあった。

「大助、眠っちゃったわ」
「だらだら話しちゃったか」

どうにも、最近は自制が効かない。失ったものを懐かしみ、執着する様は丸で人間だ。
天下の真田忍者隊長とは思えない堕落ぶりに苦虫を噛み潰せば、気付いたがそっと佐助の手に己の手を重ねる。
細く冷たい小さな手に、佐助の肌が震えた。

「戦はなくなったの。佐助はもう忍じゃあないわ」
「いいや、俺様は死ぬまで忍さ。あの人の言葉に縛られて、あの人の願いのまま生きる。俺様は死ぬまで幸村様の忍だよ」

それでも構わないと思えるのは、自分が心底あの主に惚れ込んでいたからだろう。
ただの道具に忠誠心を植え付けるとは、我が主ながら怖い人だよと苦笑した。

「だからね、ちゃんも俺を人間扱いしなくてもいいんだよ。忍は道具だ。ものを言う道具でしかない」
「佐助」

悲しそうに潤むの瞳に佐助はそれ以上言葉が紡げない。
似た者親子に似た者夫婦。
自分は一生にも大助にも勝てない確信が佐助にはあった。まったく困ったもんだ。

「わざわざお前は人間になる好機を捨てるのね」
「忍は生まれ落ちた瞬間から忍だもの。人間様には成れないよ」

ひとつ風が凪ぎ、大助の茶色の尾っぽを浚って遊ぶ。
懐かしさを思わすその光景に、の唇がゆきむら、と動いた。

「・・・佐助、では私がお前を道具のように使っても、怒らないでね」
「なんなりと」

青い顔をしたは長い黒髪を耳にかける。薄くなった肌の色は冬の花に似て儚げだ。この色を佐助は知っている。

あのときのあるじのいろによくにていた。

「佐助、お前はもうわかっているでしょうけど、私の命は永くありません。大助が元服するまで、生きられるかどうか」
ちゃん」
「お前は大助を守って。戦はなくとも脅威はどこにだってある。この子の未来を、守って、お願い」

ほろりと伝う美しい珠の涙。あの時幸村の口許を汚していた血を思い出してしまえば、佐助はじわりと痛む鼻に感づいた。

「酷い人たちだ。旦那も、ちゃんも、俺様を置いて逝くんだね」
「佐助、大好きよ。お願い、あなたにしか頼めないもの」

指先を包み込むの手のひらは薄く冷たい。
微かに死の臭いをかぐわすの肌に、佐助は一度目を伏せての手を握り返した。

「わかったよ、ちゃん。ちゃんと大助様を守るよ。俺様は天下の真田忍者隊長だもの。きちんと果たして見せますよ」
「・・・ありがとう、佐助」

はとん、と佐助の肩口に頭を預け、膝枕で眠る大助の髪を鋤くように撫でる。
日が落ち、蜜のような夕暮れが空を染めた。穏やかに時が過ぎる。佐助は小さく旦那、と呟いた。
堪らない痛み、傷口に塩を塗り込んだ心地に佐助は泣き笑いと失敗した笑みを空に向けた。

「旦那、約束守れなくなっちまったよ」

佐助の独白には笑う。
感情の匂わない笑みは酷く悲しかった。

「幸村、わたしの事怒るでしょうね。生きろと言う願いを叶えられない私を、きっと怒るんでしょうね」






そしていつものよう

僕は左手を振った。


「またね」