恋よりもっと不誠実 の連作



主の朝は早い。
昨晩どれほど夜更かししても、翌日の朝の鍛錬は欠かすことがない。
昨日の夜とて、深く深く奥方と繋がっていた主だが、今朝もよく眠る奥方の寝顔に微笑みを零し、鍛錬に向かう為に布団から先に抜け出していった。
ほとんど毎晩もよくやるものだと呆れてしまうが、十七年恋など破廉恥と言って必要最低限の処理しかしていなかったその反動と言ってしまえば納得しなくもない。
一月ほど前に輿入れしてきた奥方の名前は
とはいえ彼女は家も領地も持っていない。戦場で名だけを持って落ちていた所を主が召し上げ妻にした。
誰も知らぬ真田の妻。政治的な意味を持たない奥方は、誰にとっても小石ほどの価値もない。
だが、あの真田幸村が君主以上に愛してやまないその女。
もし殺されでもしたら、主の怒りは想像を絶するものに違いない。
それ程までに、入れ込んでいるのだ。この娘に。

布団の山が寝返りをうつ。
そろそろ目が覚める頃合いか。俺様は天井裏から部屋の中に滑り降り、彼女が身を起こすのをじっと待つ。
それから開かれた瞼の奥は、未だ眠たげに微睡む黒い珠があるばかりだった。

「おはよう、ちゃん」
「・・・おはようございます、さすけさん」

不敬であるなどなんのその。
第一正式な奥でもない彼女は農民よりも身分が低い。
どこの誰とも知れぬ娘は、元より何も持ってはいないのだから。
返ってきた細い声に、もう一度おはよう、と返す。
身を起こした少女の体の悲惨さは毎度ながらすごい。
噛み痕吸い痕、赤く散りばめられた所有の証の嵐に涙の道筋。そして身も整えず気絶するように眠るので布団も夜着も汚れはひどいものだ。
今日も洗濯が大変だなあ、なんて戦忍らしからぬことを考えながら起き上ったちゃんににっこり笑いかける。

「お水飲んだら綺麗にしようね」
「・・・はい」

ことんと首が落ちるのではないかとハラハラさせられる動作でちゃんは頷く。
湯呑の水をちびりちびりと飲んだなら、濡れた手拭いで体を拭いてやらねばならない。
全身愛されて汗やらいろんなものにまみれた肌はとても快適とは言えないだろう。
そうしててきぱきと腕や背中の汗を拭く間、ちゃんはぼんやりとした表情で窓の外を見ている。
木枠の格子が嵌められた、まるで囚人のような部屋の窓。
それももうすっかり慣れたのか、ちゃんが文句をい言う事はなくなった。

「はい、じゃあ最後に足開いてー」
「は、い」

膝を曲げて股を開く。
始めは恥ずかしがって抵抗もされたが最近は大人しく従ってくれるようになった。泣いたり叫んだりすることもすっかりなくなって、手がかからないし良い事だ。
旦那の奥方はとてもおとなしいお人だ。
手ぬぐいを一度水桶の中で洗い、清潔にしてからちゃんの股の間を丹念に拭いてやる。
そこからは昨晩旦那に丹念に愛された証がとろとろと流れてくるのだ。我が主様ながらまったく絶倫である。
これなら恐らくとっくに種付できているだろう。後三月そこらでこの小さな腹が膨れてくることを思うと感慨深い。
そうしたら手早くどこかの領主の娘を嫁がせて、首を挿げ替えなければと考えを巡らせる。
血筋など。真田の血があれば後は誰の子でもいい。女は道具だ。表はそれに、そして裏には彼女を。真田は安泰。旦那も安心。

「ひっ、う・・・」
「あーごめん、感じちゃった?」

案外深く考えていたせいか、ずいぶん丁寧に精液を掻きだしていたらしい。
紅色に染まる頬。少し痩せたな、と感じながら、最後の仕上げに渇いた手拭いで水気を取る、

「じゃあ着物着ようね。ちょっと待っててねー」
「はい・・・」

そして準備していた着物と朝餉の膳とを分身に運ばせる。
この部屋は女中もくの一も近づけることが許されないので必然的にちゃんの世話は一から十まで俺様の仕事になった。
給料上げてくれよと嘆きもしたが、代わりに旦那が政務をため込むことがなくなったので、まぁ良しとしよう。

「佐助!は起きたか!?」
「旦那!廊下は走らないの!!」
「すまぬ・・・!おはようでござる!」
「おはようございます、ゆきむらさん・・・」

分身と、少し遅れてやってきた旦那はお館様を前にした時以上に嬉しげにに笑ってちゃんに近づく。
ちゃんはゆるく目尻を下げて挨拶をすると、素っ裸をほんの少し恥らっているようにも見えた。
旦那は分身が持ってきた籠の中を覗き込み、その着物の色を見てまた嬉しそうに頬を緩ませる。
まったく子供のような人だ。とても紅蓮の鬼と呼ばれる御仁とは思えはしない。

「これはこの間の中村屋のものか。もう仕立てあがったのだな」
「あそこは仕事が早いからね。おろすの早かった?」
「いや、構わぬ。の為に作らせたのだからな。うむ、やはりこの色はに良く似合う。俺が着付けてやってもよいか?」
「いいけど途中で手をださないでくれよ?このお人はあんたと違って体力ないんだから。あんまり毎晩まぐわってると弱って死んじまうぜ?」
「なっ!?それはならぬな・・・」

どうせ三日と我慢は出来ないだろうが、言っておいて損はないだろう。
それでも今夜まで覚えているかも危ういので、今後も変わらずこっちでちゃんの体調管理をしてやらねばらなさなさそうだ。
そうして旦那は彼女の為だけに覚えた着付けで、そこそこ上手に着物を着つけてやる。
真田の赤に近しい紅樺色の着物に身を包んだちゃんに、旦那は満足そうに鼻を鳴らして「どうだ?」とちゃんに問いかけた。

「きれい」

ゆるく微睡んだままの瞳に滲み出るような声で呟くちゃん。おそらく着物のことを言ったのだろうが、旦那は自分の着付けが褒められたと思ってそうかそうかと満面の笑みを零している。ここは野暮なことを言うべきではないだろう。俺様も一緒に綺麗綺麗と旦那を褒めて伸ばすことにした。
そして旦那とちゃんと。二人分の膳を並べて仲睦まじい夫婦の朝が始まる。
この愛妻ぶりは、戦国きってのおしどり夫婦にも勝るとも劣らないだろうと毎度思う。
目の前の膳に手を合わせ、いただきます、と二人箸をとる。
けれどちゃんの握力はひどくか弱い。白米もおかずも、口に届く前にぼろぼろとこぼしてしまうのだ。

「あーあーあーあー」
「佐助、手拭を。構わぬ、俺が食させよう。ほら、口を開くのだ」

ちゃんは俯いて転がっていった芋の煮物を目で追いかけていたが、旦那に言われて大人しく顔を上げて口を開く。
新品の着物はさして汚れていない。ああよかった。
まるで雛鳥の餌付けのようなこの行為を旦那はいたく気に入っている。
弱く、鈍間で、一人では何もできない。人形のような妻を、旦那はひどく好いている。

初めのころ、毎晩泣いて喚いて食事にも手を付けず、だんだん衰弱していくのを見かねて一服盛った。僅かな量だ。毒とも呼べないそれだが微量ながらに副作用はある。

「何を飲ませた」

初めて見る無気力な妻の様子に、主の視線は剣呑さが増し今にも俺様を串刺しにしそうな程だったことは今だって簡単に思い出せる。
内心ひやりと肝を冷やしながら、俺様は悪い畜生の様ににたりとひとつ笑って人差し指を立てた。

「お薬だよ、旦那。ほんの少し、穏やかになる薬さ」

嘘ではない。その言葉に旦那はそうかと存外大人しく頷き、納得した様子で咎められることはなかった。
彼女はもちろん正気はある。
ただ頭が少し鈍くなるのだ。難しいことなどが考えられなくなる。だが旦那は彼女にそんな役割は特には望んではいないので、必要もないだろう。
子供の様に、赤子の様に、いつだって穏やかで力ない笑みを浮かべるちゃん。
旦那は一層ちゃんを大事にするようになった。
どうやら旦那は、自分が愛し、施してやらねば生きていくことさえままならぬこの人形のような妻の姿が大層気に入ったらしい。

「うまいか?」

と問いかけ、ゆっくりと返ってくる笑みに主の笑みもまた絶えない。
この十七年という人生の中で、最も幸福だと言う風に笑っている。

「可愛いお嫁さんがもらえてよかったねぇ。旦那」
「うむ、俺は三国一の幸せ者だろうな!」
「よかったね、ちゃん」
「うん。そうですね・・・」

にこにこ、にこにこ。三人して笑う。良い事だ。
あとは世継ぎを待つばかり。
ああ、真田は安泰。よかったよかった!







title by 月にユダ