の心は見目に反してひどく暗澹としていた。
眩いほどの白無垢は重たいばかりで、ずっしりとの体に圧し掛かる。
今日はめでたい祝言の日だというのに。
吐き気と頭痛が収まらない。苦しい。きっと帯がきつすぎるのだ。
しかし、ああ、めでたいと思っているのは以外だ。以外は笑っている。
贄なのだ。
は領主に捧げられた供物なのだ。
いっぱしの武家に生まれたからには好いた相手と添い遂げられるとは思っていない。
覚悟なんてとうの昔に決め込んだ。は武家の娘なのだから。
しかし、今はどうしようもなく恐ろしい。
領主は有能であるが同時に黒い噂が絶えない男であった。
性分は居丈高で切れ者と聞く。気に入らないものは打ち首にし、夜な夜な女を寝所に連れ込む好色家。
女をいたぶるのが趣味らしく、何人もの女がむごい姿で家に帰されたと聞く。噂だと斬って捨てることも容易いが、ただの噂にしては度が過ぎる。
悪意に満ちるのは、恨まれ憎まれているからか。そう考えると信憑性は捨てきれないのだった。
そしては、そんな男の許に嫁ぐのだ。

様、お時間にございます」
「ええ・・・」

酷く喉が渇いていた。
はからからに乾いた声で返事を返し、世話役の娘たちに支えられながら重たい白無垢を引きずって部屋を出た。

***

両家仲人女中下働き。皆がめでたいめでたいともてはやし、喜色の歓声に包まれながらこちらに手招きする男の笑みに寒気がした。
恐ろしい。私はきっとこの男に殺される。
それはほとんど予知に近い夢想だった。
には好いた男がいないわけではない。
せめて、情けの一つでもかけてもらえばよかった。
美しい思い出にと、口付の一つでもせがめばよかった。
だが今頃悔やんでももう遅い。
はころりと履物を鳴らし、夫となる男へと歩みを進めた。

「貴様!何者だ!!」

誰の声だと視線は一斉にからあらぬ方へと向けられる。
何事かと人垣の向こう側を見つめれば、そこには浪人笠を目深に被った剣士らしい風体の者が一人立っていた。
紺碧色の着物に白と青の混じる袴。刀は二本下げられており、どうにも業物と見て取れる。
立ち姿には一部の隙もない。は息をのみ、人垣の向こうの剣士を見据えた。

「めでたき祝いの場に何用だ。疾くと去れ」

男の声は聞いた事がないほど冷たく恐ろしい。
虚無の洞窟のように反響する声。どうやらこれが本質なのだろう。
目を見張るに気付かず、男は浪人剣士に向かって叫ぶ。
対して浪人はゆったりを腰を落としたかと思うと、美しすぎるほどの所業で刀を鞘から引き抜いた。
思わず見とれてしまう。
まるで、夜に輝く月のような鋼の光に漏れた吐息は、場に相応しくない恍惚であった。
その一連の動作は鮮麗されており、そしてぶれることのない切先は浪人の技量を推し量らせる。
相当の手練れであることは確実だ。
は浪人から目が離せず、呼吸を止めて緊張に張り詰められた空間に立ち竦んだ。

「・・・推して参るっ!!」
「曲者だ!!刀を寄越せ!!」

わっ、と一瞬にしてあたりは騒然と混乱に飲み込まれる。
護衛にあたっていた男衆たちが浪人に立ち向かっていくが、次々と紙切れの様に斬り倒されていく。
その見惚れるほどの剣捌き。
水の流れの様に美しく、風の如く敵を薙ぐ。刃先は氷を思わす冷ややかな鋭利さで、そして振るわれた刃のその閃光は、雷電のように強く、世界を切り裂いた。

ああ、

洩れた声は音にさえならなかった。
そのの腕を突然掴んだのは、世話役の女衆たちだ。
浪人の手が届かないようにと命令されたのだろう。こちらへ!と鋭く言葉を放つのみであとは駆け足でを戦線から引き離す。
は胸が押し潰されそうな痛みに声も出なかった。
あの声は。あの構えは。あの技は。
眼下では浪人によってほどんとのものが討たれているようだった。
祝いの場は見る影もなく、死者と血潮が舞台を彩る。
喧騒は近くて遠い。背後からはたちを追って来たのか、肩で息を吐く男ががたがたと足を震わせながら「奴は何者だ!!」と吠え立てた。
男の眼は焦点が合っていない。問いかけは誰かに向けたものではなかっただろう。衝動的に吐いた叫び。この場でその答えを教えてやれるのは、以外には誰もいないはずだ。
だがは答えなかった。
未だ心臓は早鐘を打ち続け、今にも破裂してしまいそうなほど傷んでいる。
胸を掻き毟りたくなるような、そんな心地だ。男にかまってやる暇などなかった。

何故?どうして?どうして来たの?こんな危険を冒して。
あなたが、あなただと知られてしまったら、あなたはあなたが築き上げたすべてを失うというのに。
どうして?あなたほどの人がこんな愚かな真似を?
ああ、だめ。だめ。こんな気持ち。あってはならない。



うれしい だなんて



涙が勝手に溢れ、白粉は涙が浚って剥がしていった。
その姿に、男はが浪人の正体を知っているのだと確信した。直感といってもいい。雄の勘だ。
男は貼り付けていた笑顔を剥ぎ取り、憤怒に歪む形相での襟元を乱暴に掴むと獣のような声で問うた。

「あの男は誰だ!!!」

声音は、焦燥と恐怖と憎悪か。
は口元を引き結んだまま首を横に振った。
たとえこの首が落とされるとしても、彼の名を告げてはならない。
彼の名は、あまりにも力がありすぎた。故に失う。
信頼も、名声も、築き上げ、彼が勝ち得てきた人生のすべてを。
それなのに。ああ、それなのに!彼の人はここまで来た!!

「言え!!言わぬか!!!」

の体を突き飛ばし、転がるに向かって刀を突きつける。
必死に痛みをこらえながら、はもう一度首を横に振った。
ならばと嗜虐的に吊り上った男の口角。笑みは狂気に染まっていた。

「まさっ!!!」

零れた声と、背後の気配に男が振り返る。一閃。とっさに男は刀をかざして防いだものの、二撃三撃と繰り出される斬撃にたちまち刀を弾かれた。刀は遠く後方に飛ばされ、からんと音を立てて男の手から離れてしまった。
女衆は悲鳴を上げて逃げ出してしまう。
現れた彼はすでに笠をかぶっていなかった。
べっとりと返り血を浴びた黒髪が張り付いている。
髪の隙間から覗く眼光は鋭く、その瞳はこの世のものとは思えない光を宿していた。

「っ・・・化け物!!」

男の情けなく震えた声に、彼は笑ってそうだなと切っ先を振り下ろす。
ひどくあっけない、幕切れだった。

「どうして・・・?」

彼は、刀についた血を手ぬぐいで拭い、変わらない美しい動作で刀を鞘に収めた。
風が凪ぎ、重たくなった彼の髪がけだるげに流れる。
露わになる右目の痘痕。開かれることのない瞼を見たのは、いつぶりだっただろうか。
彼は懐から馴染み深い鍔の眼帯で右目を覆う。
悲しい傷跡はすっかり隠されてしまった。

「政宗、」

とうとう涙が溢れてしまった。
政宗は何も言わず、静かに笑っての肩を抱き寄せた。
血と汗の臭いが香る男の胸で、は体を震わせて涙を流す。

「どうして欲しいか、言ってみろ」

この聡い男ならばわざわざ聞かずともの望みくらい知っているだろう。ずるい男だとは思う。
しかし同時に、そんなところも嫌いではなかったのだ。
は人の気配のしない、血の惨状と化した祝いの場で政宗の左目に囚われていた。

「たすけて、おねがい。私を連れて逃げて」

好いた男がいた。
口付の一つくらい強請ればよかった。そしたらきっと何の未練も残さず忘れられただろう。
抱きすくめる政宗の腕をとる。握り返された腕の強さ、その熱、二度と得られるはずのなかった触れ合い。

ああ、ああ、すきだ。この男が、どうしようもなく、好きだ。

は子供のように泣きじゃくり、政宗の胸に縋り付いて泣き喚いた。

、お前の心を言ってみろよ」
「ばかっ・・・!!どうして・・・こんなっ・・・!」
「違うだろ?ほら」

胸の深い場所を撫でる甘い声。体の内側を震わせる。
柔らかな声で促され、優しく背中に回された腕にはもう息もできなかった。

「政宗がっ・・・好き・・・」

別の男になど嫁ぎたくなかった。
この人と添い遂げたかった。この人の傍にいたかった。ずっと。ずっと。
ただの部下でい続けることなんでできなかった。
は政宗に恋をして、そして燃え尽きる程に焦がれていた。

「よく言った。それでこそ俺の女だ」

え、と問い返す前に政宗は容易くの身体を抱き上げる。
ピクリとも動かない死体たちに見送られながら、政宗は男の持ち物である馬にを乗せ、それから自分も跨りすぐに駆け出した。

「祝言は上げてやれねぇが、ずっと一緒だ」

見下ろすその笑顔の優しさよ。陰る月の淡さよ。
一体何をそんな心苦しそうな顔をする必要があるのだろうか。
政宗の言葉は、にとってこれ以上ない幸福だった。
たとえもう二度と日の目が浴びれないとしても、傍にいられる。それ以上の幸せはないだろう。
風が耳元を吹き抜ける。夢のような世界の中で、政宗の声は風と共にしっかりとに届いていた。

、二度と手放しはしねぇからな」





One man live


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