混戦の極みと化した戦場は、救いようのない泥沼合戦となって収集がつかない。
敵味方さえ見分けがつかない中、小十郎は必死に主に向かって腕を伸ばした。
迫る刀を弾き返し、勢いも殺せず主君を突き飛ばす。
驚きに揺れた政宗の左目と視線が絡む。背後が隙だらけですぞ!
そう叱りつけようにも、左肩に走る激痛に言葉にはならなかった。

「小十郎っ!!!」

怒号に近い政宗の呼び声に続いて、砲台の音が響く。
血でぬかるむ地面と転がる死体。
小十郎は態勢を変えながら相手を斬り崩し、大砲より上がる硝煙と土煙に視界を失った。
落ちる体。否、大地。
必死に手を伸ばす政宗の姿だけが瞳に焼き付いた。



***



「っく・・・」

痛みにより浮上した意識。起き上がろうとした瞬間、全身がひきつるように痛み目眩までする。
小十郎はくそっ、と短く悪態を吐き、今度はゆっくりと上体を起こした。

「納屋・・・か?」

狭い家屋には藁やらが散乱している。だがこじんまりとした台所と水屋を見つけ、なにより自分が寝かされていたとても布団とは呼べないだろうそれに人の住む場所と理解した。

「一体誰が?」

手近な布の塊に触れれば、愛刀が丁寧に仕舞われていた。
刀と自分を運んだ上に、怪我の手当てもしてある。
ゆるゆるの包帯は治療とは呼べないが、肩に塗りつけられた緑の塗料の香りは薬草のそれだった。
主君である政宗を庇った小十郎は、あの砲撃に地割れを起こした崖から落下した。死ぬ気はなかったが、あの高さでまさか生き残れるとは思ってはいなかった。
それに肩の傷意外に目立った外傷はない。
腕や足を動かすが、有り難いことに正真正銘の五体満足だった。

「っあ、」

がた、と立て付けの悪そうな戸が開く。逆光で相手は見えない。
だが、漏れた声から相手が女であることは伺い知れた。

「あんたが俺を?」

静かに問い返せば、女は戸口から逃げ出した。
突然のことに、ぽかんと女が消えた戸口を見つめるしかできなかった小十郎は、追いかけようと立ち上がる。痛む肩を庇いながら戸口に向かうが、女はすぐに舞い戻ってきた。女は酷く息が切れていた。

「み、みず」

端が欠けた茶碗が差し出される。なみなみと注がれた水は透き通っており、黄ばんで汚れた茶碗の底がよく見えた。
思わずそれを凝視すれば、女は泣きそうな声で言葉を紡ぐ。

「い、一番きれいなの、これ、だから、ごめんなさい」

深々と頭を下げて茶碗をさしだす。
すっかり喉が渇いていたので、小十郎は礼を言って茶碗の水で喉を湿らせた。
きんと冷えた水の清涼さ。恐らく汲み置きの水ではなく川まで行ったのだろう。距離はわからないが女の息切れを理解したので小十郎はそのまま茶碗を女に返した。

「助かった。お前も喉乾いてるだろう?」
「あ、あ、ありがとうございますっ」

女はぺこぺこと頭を下げて、自分も水をごくりと飲んだ。
茶碗が避けられ、やっとまともに見れた女の顔は、痩せ細り血の気が薄い。肌は日に焼けていたがとても健康そうだとは言えない青さだった。

「あ、け、怪我」
「あんたが巻いてくれたのか?」
「ご、ごめんなさい、」
「なんで謝るんだ?助けてくれたんじゃねえのか?」

震える女は何度も頭を降って違うとそれを否定する。
か細い指が差した先には、小さな白い生地の山があった。

「ほ、ほうたい、なくて、着物を、代わりに」

先程の謝罪が、小十郎の肌着を包帯代わりに切り刻んだことに対するものだとわかればなんてことはない。やはり感謝ばかりが沸いてくる。

「あれくらいなんてことねぇ。本当に助かった。礼を言わせてくれ」
「だ、だめ、です!お、お侍、様、だから!」

頭を下げようとすればすぐにそれは遮られ、泣き出しそうな顔で頭をふった女は傷に障りますから、と言って小十郎を部屋の中に座らせた。

「き、汚いとこですけど、が、我慢してくださいね。き、傷は浅いけど、頭も打ってるから、一日は安静にした方がいいです」

目も会わせず早口でそういった女は小さな台所で茶碗を洗う。
しかしいつまでたってもその一つの茶碗を洗い続ける女に小十郎は痺れを切らし、そのか細い背中に声を掛けた。

「あんたは、一人で住んでるのか?」

小さな背中は大げさに揺れ、その後は消え入るような返事かはい、と帰ってくる。
親は、と問えば、死にました、とかすれた声が応える。

「・・・名前は?」
、です」

小十郎は漸く、命の恩人の名を知ったのだった。
いつまでも振り返らないに無理強いをすることも出来ず、小十郎はの背に向けていくつか質問を繰り返す。
周辺の地形や村の名。頭の中の地図と照らし合わせれば、戦場より幾らか離れていることに気がついた。
どうやら川で流されたか。
文も飛ばせぬ現状ならば、己の足で行くしかないだろう。
話によれば日が一度暮れているのだ。戦は終息しただろうが主の安否は知れない。
思わずいきり立てば、くらりと目眩を感じて足元の力が失せた。

「お侍様!」

茶碗を投げ出したが濡れた手で小十郎を支える。
冷たい、皹と霜焼けで酷く傷ついていた指は肌に痛かった。

「悪い、どうしても戻らなきゃならねぇ」
「き、傷口が開きます!し、死んじゃうかもっ・・・!」

泣き出しそうなの顔。
赤の他人のために泣けるのか。考える小十郎はすぐにそれが思い違いと気がついた。
見えないように片付けられた刀と傷口を見ないの視線。
恐らく、親は刀傷で死んだのだ。

「俺は死にやしねぇし死ぬ気もない。政宗様がどうなったかもわからねぇ。ここでのんびり傷が癒えるのを待ってられねぇんだ」
「で、でもっ!」
、本当に助かった。礼はいつか必ずする。世話になった」

刀に身を預けながら小十郎はの体を押し退け小屋の外へ出る。
だがすぐにが正面へと回り込み、小十郎の目の前で腕を広げた。

「退け」
「ど、どきませんっ、中に戻ってください!」
「邪魔するのか?」

恩人とは言え邪魔をするならば、と小十郎の視線に剣呑さが増す。
は違います!とまた勢い良く頭を振ってそれを否定した。

「と、遠い、から。馬。村に、お、お願いします。む、村も遠い、から、待って、くださいっ」

斬られると怯えているのか。
ぎゅうと目を閉じたが震える。
何故、がここまで自分の為に動いてくれるのかはわからなかったが、その申し出は心底ありがたい。
小十郎は暫し思考を一巡させ、震えるに頼めるか?と極力穏やかに問いかけた。
は相変わらず震えながら、はい、と答えて強く頷く。
走り去る少女の背中を見送った後、小十郎は崩れるように地面に座り込んだ。
外傷はなくとも血を失いすぎている。
冷えた指先がそう告げていて、小十郎は情けなくため息をついた。
そうして悪いと思いつつもまるで家捜しのように戸棚を物色する。しばらく家屋を見聞し、見つかったのは萎びた大根と数粒の豆。それと謎の干し肉だった。
小屋の裏に干してあった蛇と蛙の干物だけは見つけなかった振りをさせて貰おう。
礼は城に帰った後と己に言い聞かせ、の少ない蓄えを胃に流し込んだ。
しかし。本当に少ない蓄えとしか言いようがない。
例え少女の独り暮らしとはいえ、奥州の冬は長く冷たく世界を閉ざす。たったこれっぽっちでしのげるはずがない。
金目のものもなく、暖を取る為の薪も布団もありはしない。
痩せこけた頬や腕を思い出し、はこの冬死ぬだろうと小十郎の脳裏に確信めいた直感が走った。
村があるとは言った。
両親を失ったへ、その村から援助はないのか?
ふつふつと沸き上がる怒りと呼べるだろう感情。村全体が蓄えがないというならばそれは領主の不備だ。軍事力ばかり誇ろうとしていた戦相手の顔が浮かぶが、怒りよりも政宗の安否が気にかかった。

「しかし、のやつ遅いな」

もう二刻は経っただろうか。
大体の村なら往復可能なはず。
なにかあったのか?
元来大人しくなどできない性だ。抗議する肉体を叱咤し、小十郎はが消えた方へと歩み始めることにした。
愛刀を杖代わりに身を寄せて、体を引きずるように小十郎は歩く。
向こう側からがやってくる様子はない。
仕方なしに進み続ければ、ようやく村の入り口が見えてきた。
寂れた様子はないが裕福とも言い難い。好奇に満ちた視線が寄越されたが、刀と脇差しを見て誰もが小さく「お侍だ」と呟いていた。
手頃な男を呼び止め、馬屋のありかを聞き出すのだが、ふいに喧騒が耳に響く。
礼を言ってそちらに向かえば、男が二、三人輪を作り誰かに暴行を加えているようだった。

っ!!!」

男達の間から見えた少女の横顔。思わず叫べば驚いたように男達が振り向いた。
小十郎は男達を押し退けを抱き上げる。
土埃にまみれ、腕や足には擦り傷ができていた。顔も蹴られて乾いた唇には血が滲んでいた。
もう一度!と名前を呼べば、長い睫毛がふるると震え、ゆっくりと開かれた瞳は涙で濡れていた。

「あんた、に拐かされたんか!」
「そいつは疫病神じゃ!馬に触れようとしよった!」
「病がうつりよる。お侍様も離れた方がええ!」

飛び交う罵声など気にせず、小十郎はに問いかけた。

「馬を、盗もうとしたのか?」
「ち、がう、ちゃんと、お代、はらった」

ちらりと男たちの方へ視線を戻せば、怒り狂う男たちが吠えたてる。

「なにがお代じゃ!こんな石ころで馬を盗もうとしたくせに!」
「石?」
「これでさぁ」

男たちの掌に乗せられていたそれに、小十郎は思わず目を向いた。
泥にまみれてくすんではいるが、どうみても銀である。
しかもかなり大粒で目に見えて良質。
侍でさえ喉から手が出る程の代物だ。
小十郎はと銀の粒を見比べた後、自分の脇差しを三人に差し出した。

「代金はこれじゃあ駄目か?手持ちはないが急ぎなんだ。釣り入らねぇ」
「こったら高価なっ」

有無を言わせず押しつける。
小十郎はを抱き抱えたまま馬を奪うように受け取った。

「一旦お前の家に戻るぞ。包帯がまだ残って、」

言い終える前にが腕のなかで暴れる。
何事かと驚けば、力が抜けた隙にが小十郎の腕を突き飛ばして逃げ出した。

っ!!」

背後の村民たちがなにやら言っていたが、小十郎はそれらを無視してさっと馬に跨がって、走り去る少女の背中を追いかけた。
怪我のわりにはよく走る。まるで駿馬だ。心なしか馬でさえ驚いているような気がした。
しかもは直ぐに道を外れて森の奥へ駆け込んでいく。仕方なく馬を近くの木に結びつけ、もう一度!と名を呼びながら後を追いかけた。
ふいにばちゃん!と大きく水の音が森に響く。
視線を先へと走らせれば、川の中に飛び込む少女の姿が目に入った。

「っ馬鹿野郎!何してやがるっ!!」

暦はもう師走だ。雪がまだとはいえ水温は凍るように冷たい。
急いで川沿いに駆け寄り、上がってくるよう腕を伸ばしたが、はぐずる子供のように頭を降って流れる冷水の中に身を浸す。

「凍死するぞ!」
「だ、だって・・・」

唇からは血の気が失せ、歯が凍えてがちがちと音を立てる。無理矢理手首を掴めば、は絹を裂くような悲鳴を上げて嫌がった。

「汚いっ!離してっ!!わたし、き、汚い、からっ・・・!」
「ふざけるんじゃねぇ!死んじまうぞ!?」

力任せに引き上げれば、は堰を切ったように泣き声をあげた。

「触らないでっ!わ、わたし、汚い、よ、よごれる、から」
「なにが一体汚ねぇんだ!?」

意味がわからないと詰め寄れば、は黙秘して寒さに身を丸めた。

「とにかく着替えろ。風邪を引く」

自分の着物を脱ぎ、に渡そうとの着物に手をかける。だが。
思わずはっと息を飲んだ。
着物の下に隠され肌には幾つもの切り傷や火傷の痕がある。今日昨日つけられたような傷から、皮膚がひきつるほど昔からある傷もあった。

、お前、」
「汚い、汚い、汚い・・・わ、私、汚いんです!お、お侍様を、よ、汚しちゃう、から、さ、触らないでっ」

赤黒い皮膚は内出血だろう。濡れた着物を託し寄せ、憐れなほど身を震わせるの姿は憐憫ばかりを誘った。

「その傷はどうした?」

問いかけには頭を振り、ただただ汚いとばかり繰り返す。
彼女はあの村で、いったいどんな役回りを得ていたのだろう。
親はおらず孤立無援。恐らく友人と呼べる類いもいなかっただろう。
人を人とは思わない所業。
こんな弱った娘に集って暴力を振るう。
村と言う小さな国のなかで、ひとり悪として扱われたのか。
痩せ細り、痣だらけの体がそう思わせた。
は自身を汚いと言う。
違うだろう、小十郎は小さく罵るように呻いた。
汚いのは、醜いのはあの村の人間達だ。
と村民たちの間に何があったのか知らない。
だが、無力な人間に寄って集って暴力を振るう事を良しとはできない。
汚いと言うのならば、彼らの方が汚い。
見ず知らずの人間を、体を張って守るを、どうすれば汚いだなんて言えるだろうか。
小十郎は険しくなる視線を自覚しながら、震えるに着物を被せてやった。

、お前、あの村は好?」

唐突な問いかけに、は震えながら顔をあげる。
川の水に濡れた髪が額や頬に張り付き、唇は青く泣き濡れた目尻には色がない。
顔色は青さを通り越し死人のように白かった。

「あの村に、未練はあるか?」

小十郎の問いかけに、凍える唇を震わせる。

「・・・ぃ、」

声は細く小さく、木々のさざめきのようだった。

「な、い。父さん、と、母さんがこ、殺された、時から、わ、わたしは」

生きている意味はない。
そう溢すの瞳に光はない。
すべてを諦めた暗い瞳。
小十郎はその淀む闇に、主の過去が重なるのを感じた。
なにもかもを諦め、絶望する
それでは何故、は小十郎を助けたのだろう。
小十郎は首を傾げずにいられなかった。
その視線に気づいてか、は小さく笑みを象る。

「わたしが死んだら、みんな、嬉しい。でも、お侍様が死んだら、みんな、悲しい」

この娘は、一体なにを言うのだろう。
否応なく焼かれる涙腺。
ずいぶん昔、主もまた同じようなことを言っていた。

『俺が死ねば、母上は喜ぶ。だが、笹竺丸が死んだら、母上は悲しまれるだろう』

世界はなんて残酷なのだろう。
美しく尊いものばかりを傷つける。それが歯がゆくて、口惜しくて、堪らず漏れたのは音に鳴らない震える吐息だった。

、俺と来い」

首をかしげるの腕を掴み、立ち上がらせる。
否応なく腕を引き、答えは聞かずに馬へ乗せた。

「お、お侍様?」
「小十郎だ。片倉小十郎。世話になった礼だ。お前の面倒は俺が見る」
「あ、え、わ、わた、し」
「おれの命を救ってくれた礼だ。命には命を持って返す。お前をこんな村で死なせる気はねぇ」

どうしたものかとおろおろと、辺りを見回すを無視して小十郎もまた馬に跨った。
軍馬でもない馬で二人乗りは難義かと思ったが、羽のように軽いの体重なんて馬はどうやら感じていないようである。

「か、かた、かたくら、さま」
、おれはお前に命を救われた。おれはお前を汚いだなんて一度も思わなかった。お前は美しい。お前が死んだら、少なくともおれは悲しい」

死んでくれるな。
そう瞳で伝えてみる。
小さな主にしたように、この想いが伝わって欲しくて小十郎はの冷えた躯を背後から抱きしめた。
一瞬驚きに戦慄いたの体が、それからも断続的に震える。
走り始めた馬が起こす風。彼女の頬から雫が伝った。

「わ。わたしが、い、生きることに・・・いみなんて。あ。ありますか?」
「難しい話だが、お前が死ぬ意味だってないだろう」

思うままに伝えれば、すぐにの押し殺した嗚咽が響く。
この小さな娘は、一体どれくらいの間孤独を耐えたのだろう。
体中に歪んだ色の花を咲かせる弱った少女。死こそに意味があると思っていたのだろう。
次第に大きくなる泣き声に、小十郎は腕の中のを一層強く抱きしめた。

「生きる意味は、これから俺の隣で探せばいい」

こんな碌でもない自身も、死の淵に瀕した幼い主も、救いがたい自軍の馬鹿達も、みな生きる意味を持っているのだ。
この少女にだって、生きる意味があったっていいだろう。
の細い体を抱きながら、小十郎は新しい生きる意味を思う。

この少女の隣にいよう。
主の背を守る時意外は、この儚い娘の傍にいてやろう。
生まれたての赤子のように泣くの、小さな体に小十郎はそう誓うのだった。




もっと特別なことだと


思っていたんだ


title by 月にユダ