もう慣れてしまった痛みなど怖くもなんともなかった。
痛みが薄まれば自分が与えている痛みにも鈍くなった。
拳は熱い。痛みはない。涙も出ない。辛くはない。
もう慣れてしまった痛みなどなんともないのだから。
世界で独りぼっちだ。居場所がない。くだらない。
人類なんて滅んでしまえ。

「お兄さん、なにしてるの?」

鈴の音のような高い声。
地面に伸びた小さな影に、顔を上げれば小柄な少女がこちらを見ていた。

「お兄さん制服、学生さんでしょ?昼間から公園って。あれ?サボタージュってやつですか?」

にや、と猫のように笑う子供はそのまま政宗の隣に腰を下ろす。
頭がおかしいのだろうか。
顔や拳に返り血をつけたままの人間にわざわざ話しかけるとは。
親はなにをしていると辺りを見回すが、それらしい人間はいない。

「向こう行けクソガキ」
「どうして?私はここで砂遊びするの」

手には青いプラスチックのバケツと赤いスコップ。
政宗は乱暴にそれを奪い取って離れた砂場に投げつけた。
子供はそれを追う。
政宗は気だるげに地面に寝転んだ。
空が遠い。
旋回する鳥の声を聞きながら目を瞑ろうとすれば、小さな足音が帰ってきた。
左目をひらけば子供が政宗の隣に座っている。

「おい」
「なに?」
「砂場はあっちだ」
「砂遊びはやめるの。ここで土遊びする。そうだ、お兄さんもどう?」

はい、と渡されたスコップを政宗は戸惑うこともなく砂場に投げた。
あー、と子供の間抜けな声を聞きながら、自分は何をしているんだろうと内心自問する。

「お兄さん、荒れてるね。喧嘩してきたんでしょ?」
「・・・」
「痛そう。絆創膏あるよ?」
「どっかいけってんだろ!」

伸ばしてきた手を叩き落とせば子供の小さな体は簡単に転がった。
子供は短く悲鳴を上げたが泣き出しはしなかった。

「・・・ねぇ、痛いんでしょ?無理しちゃだめだよ」

それなのに子供は、何故か自分よりも政宗を気遣うのだ。
訳がわからない。

「なんなんだよクソガキっ」
「あのね、人にはちゃんと名前がるんだよ?クソガキじゃない」

子供らしからぬ強い瞳に一瞬言葉がつまる。

「じゃあなんて名前なんだよ」
「はぁ、お兄さん人。名前訪ねるときは自分から名乗るのが常識でしょ?」
「・・・もういい」

なんて生意気な子供なのだ。
吐き捨てるように言い子供を視線から外す。
しかし子供は小さな手で政宗の袖を引くのだ。

「お兄さんの名字なんて読むの?」
「あ?」
「名札ついてる。お兄さん真面目」

ほわ、とした微笑みが何故だか気恥ずかしい。
名札を千切るようにして外すが子供の瞳はまだこちらに向いたままだ。
政宗はとうとう溜め息を吐き出し、諦めたように子供に向き直る。

「伊達。だてって読むんだよ」
「どーてー?」
「伊達だクソガキ」

いったいどんな教育を受けているのやら。
子供はけたけたと腹を抱えて笑うのでなんだか毒気が抜かれてしまう。
子供は羨ましい。
無邪気でなんの悩みもないのだろう。
毎日が楽しく幸せなのだろう。

「お兄さん、笑ったほうが男前だよ」

どうやら気付かぬうちに笑っていたらしい。
子供は小さな手を伸ばして政宗の口端を拭った。
綺麗な袖口に政宗の血がついて、政宗がやめろと言う前に子供は絆創膏を張り付ける。
肌に触れたそれの感触がすこし痒い。

「お兄さん、痛いよね、辛いよね。でもね、お兄さんは一人じゃないんだよ。ちゃんと、お兄さんのこと見てくれてる人がいるから。世界中から愛されてないことなんてないんだよ」
「な」
「大丈夫。世界はお兄さんの敵じゃない。どんなに辛くても、どんなに悲しくても、お兄さんはひとりじゃない。ちゃんと自分の胸ん中覗いてみて?お兄さんはほんとうにひとりぼっち?違うよね。ちゃんと、愛してくれる人が、いるよね」

子供は、子供らしからぬ声で、瞳で政宗に問いかける。
子供の腕に引かれるまま、小さな胸に頭を抱き締められる。
小刻みに響く心臓の音。
暖かな熱に涙腺が緩んだ。

「安心して、お兄さんはひとりじゃない。お兄さんの居場所はちゃんとあるよ。私が保証する。だから、そんなに泣かなくてもいいよ」

子供の掌は小さい。
紅葉の様な手、頬に触れる熱は熱い。子供特有の温かさ。懐かしい人肌。

「お前、なんなんだ・・・?」

子供はぱちりと一つ瞬きをして、力いっぱいの笑みを政宗に向けた。

「私?私はね・・・恋人」
「こい、びと・・・?」

政宗もつられて目を瞬く。

「そ、お兄さんの。お兄さんの・・・未来の恋人」
「俺ってロリコンなのか」
「違うよ、未来の私はもっと美人だから、ちゃんと見つけてね」

控えめに笑う少女の頬笑みは年不相応に甘い。
頭を撫でてくる小さな掌はなんて温かい。問答無用で涙腺を刺激する温かさに政宗は思わず少女の体を抱きしめた。

「居場所がないんだ」
「うん」
「お袋は俺を憎んでる。弟も。親父は俺に無関心だ。優しくない。愛してくれない。家族じゃないみたいだ。俺が何したっていうんだ」
「うん」
「目の病気になったのも、お袋が鬱になったのも、弟が引きこもったのも俺の所為じゃないのに、なんで」
「うん」
「死ねばいいって言われた。俺がいなけりゃ、家族はもっとうまくいってたって」
「うん」
「誰にも必要とされないなら、いっそ終わらせちまいたい」
「それはだめよ」

はっきりと少女は強く否定する。

「死んじゃダメ」
「でも」
「政宗が死んでしまったら、私はどうしたらいいの?政宗のいない世界でひとりぼっちになったらいいの?」
「・・・」
「ひとりぼっちは、かなしいから」
「お前」

「ごめんね、だからもうしばらくだけ待って欲しい。私があなたを見つけるまで、あなたが私を見つけるまで。あと少しだけ、待って欲しいの」








































「うわ!」

落ちてきた悲鳴に急激に意識が回復した。
声がした方向に首を回せば、怯えた女がこっちをみていた。

「・・・んだ、テメェ」
「ご、ごめんなさい。別に昼寝の邪魔しようと思った訳じゃなくて」
「なんか用かよ」
「あ、あの、お兄さん婆娑羅中の生徒さんでしょ?よかったら道案内してもらえないかなぁと思って起きるのを待ってたんだけど」

へら、と笑った女は見たことのない制服を着ている。
それに気付いたのだろう。女はスカートの端をつまんで無邪気に笑った。

「昨日越してきて。地図あるからわかると思ったんだけど、都会は道が難しくて。すっかり迷子なっちゃって」
「その年で迷子か」
「し、仕方ないじゃない初めての都会なんだから!」

頬まで赤く染めた少女は子供の様に地団駄を踏む。
そしてはっとして口を噤む様子からみてどうやら猫をかぶっていたのか?
顔立ちは、黙っていれば美しいといってもいいだろう。それなのにやっていることは子供の様な動作に政宗は一拍置いて堪らず吹きだしてしまった。
しかし今度は少女が一拍置いて驚く。

「お兄さん、笑ったらさらに男前ですね」

それが、子供の声とかぶる。
そうだ。あの子供はなんだったのだろう。

「・・・案内」
「ん?」
「案内してやるよ。今から行っても昼だけどな」
「ほんと!うわぁお兄さんありがとう!」

パチンと手を叩いて飛び跳ねる姿はやはり子供のそれで、先ほどの子供とは大違いだ。
あれは逆に子供の姿をした大人のようだった。
奇妙な夢を見た。
政宗はひとり苦笑を落として立ち上がって制服の砂を払った。

「で、あんた名前はなんて言うんだ?」
「お兄さんだめだよ。人に名前聞く時はまず自分から名乗らなきゃ。これ常識」

ふふんと鼻を鳴らす少女に呆れながら政宗は面倒くさそうに頭をかく。

「伊達だ。伊達政宗」
「どーてー?」
「はっ倒すぞバカ女」

ごめんごめんとけらけら笑う女はさっきの少女とまったく同じことを言って見せる。
他人の空似か、ただの偶然か。

「私の名前は。よろしくねお兄さん。いやぁほんと思ったとおり優しそうな人でよかったぁ」

優しそう?と政宗は怪訝に眉を潜めた。
制服はちと埃でぼろぼえろ。顔にも怪我があるし拳と爪の間にはまだ少し血が固まって残っている。
これが優しそう?
自分ならばまず関わりたくない人種だと政宗は自分を見下ろす。

「あんたの目、節穴なんじゃねえの?」
「なんで?どう考えても探偵並みの観察眼だよ?ほら、」

と指差された口元。掌を添えると絆創膏が貼ってあった。
あれは、あの子供は夢じゃなかったとでもいうのか。

「そんなかわいらしい絆創膏してる人が悪い人なはずないでしょ?」

なんという理論だ。
思わず言葉を無くせばはへらへらと笑って政宗の隣を並んで歩いた。

「わたしキテーちゃんとかよりもこういうブサかわいいキャラの方が好きなんですよー。けっこう変わってるって言われるからやっぱり変な趣味なんですかね?あはは」

困ったように肩をすくめる

「変じゃねえだろ。別に、個性だし」
「そですか?」
「笑わねぇよ」
「え?」
「俺は、笑わねぇ」

何故、そんなことを言ったのか政宗はよくわからなかった。
ただ夢の中の少女の声はどこまでも優しかったし、の声はその少女の声によく似ていた。
だから、どんな、でも嫌いではないと、ふとそんなことを思った。

「お兄さん、優しいね」

頭の中でと少女の頬笑みか重なった。
もう慣れてしまった痛みなど怖くもなんともなかった。
いつかまたあの優しい声が自分に注がれると思うと、もうなにも怖くなかった。






ドラマティック・アイロニー


title by ルナリア