「政宗様、政宗様。雪ですよ」
「ああ、雪だな」
「とても美しいですね」

はキラキラとした目で降り降る雪を見ていた。
北に生まれ育った政宗にとって雪は馴染み深い。
だからこそ雪は情緒的に愛でるよりも災害として相手をする方が多かった。
しかしはあまり雪が積もるのを見たことがないと言う。そのに真実を告げるのはあまりに惨い。
政宗はひとつ頷き言葉を飲み込み、それからはたとの手を取り城を出た。

「政宗様、どちらへ?その、よろしいのですか?」
「俺が一緒だ。かまいやしねぇ」

正室ではあるが、殆ど質のように城へ送り込まれたにはあまりにも自由がない。
本人も家や政宗に迷惑をかけたくないが為、外に出たいとも言わず、自ら篭に閉じ籠る姿が不憫でならなかった。
たとえ質のような正室でも、は政宗が選んだ女なのだ。
政宗はに笑っていて欲しかった。

番傘をさし、厚手の羽織と足袋を重ね、下駄を履いて城下へ降りる。
しとしとと傘に雪がつもる音には瞳を閉ざす。
ひとつひとつの音に相槌を打つように、ふふ、と肩を揺らす姿がいとおしい。
政宗は頭ひとつ違うの旋毛を見下ろし、肩に積もった雪を払ってやる。

「濡れるぞ」
「ありがとうございます」

雪を払った手で肩を少し抱き寄せた。強引だったか?と自問する間に柔らかい礼の声に心が和らぐ。甘くなった、と己を笑うが、たまにはいいだろうと言い訳を心中で告げた。

「雪の日はここの汁粉がたまらなく美味い」
「まぁ!でも私」
「金子は気にするな」

懐を鳴らせば、は屈託なく笑った。
店番に傘を預け、馴染みの店主に挨拶をする。
またお忍びですか、と笑う店主には目を丸くした。

「よくおいでで?」
「小十郎にバレる程度には」

二階の奥の座敷に火鉢を用意させ、城ほどとは言わぬが温まった部屋にはほうと息をつく。
指先がすこし赤い。何か買い与えてやろうと政宗は帰りの寄り道を一人で決めた。

「ここは城下も山も見える」
「あぁ、とても綺麗」

薄化粧を施し白む山に、はうっとりと呟く。
数刻で銀世界に変わる世界の色は、何度見ても確かに美しい。
雪を愛でるなどどれくらいだろうと政宗はの横顔を見つめる。
を娶るまでは、違ったことは覚えていた。

店主が汁粉を運び、いつものように世間話を始めるかと思いきや、今回は珍しくごゆっくり、と頭を下げて早々に立ち去る。気の効く店主に苦笑が漏れた。
そんな政宗の心中を知らず、は幼子のように手を叩いて歓声をあげていた。

「いただきます」

と暖まった手を合わせは嬉しそうに汁粉に手をつける。
一口運ぶ度にほころぶの表情に、政宗は堪らなく胸の底から熱が溢れるのを感じた。
愛おしさが満ち、自然と笑みが零れる。

「いやだ、もしかしてついてます?」
「No, Don't worry」

急いで懐紙で口元を拭うの的外れな言葉さえ愛しさが増す。
惚れた方が負けと言うことだ。
政宗はのなにもかもが愛しかった。
は異国語はわかりません、と苦笑を返す。
しかしいずれ覚えるだろう。
小十郎もそうだったのだから。
それまでが楽しみで、これからに胸が踊る。
存外はしゃぐ自身に少し情けないような気もするが、ここには政宗としかいない。責めるものもいないので、政宗はぬるま湯のような柔らかい空間に身を投じ、と向かい合って汁粉に手をつけた。

腹が膨れた頃に外を見やれば、地面はすっかり一面を白く染め上げられ、頬を刺す氷雪の風が吹いていた。

「随分積もりましたね」
「まだまだ、この程度可愛いもんだぜ?」

奥州を冷たく閉ざす雪は堅牢な砦であり危険な猛威でもある。
これから深まる冬に政宗はそっと思いを馳せた。

「寒いですね、」
「窓、閉めるか?」
「いえ、もう少しだけ」

は窓辺により降り降る雪に腕を伸ばす。
指先に触れた雪花の結晶はの体温に解けて水となった。
は緩く目尻を滲ませる。

「奥州はとても良い所ですね。土地は豊かで、人も穏やか。汁粉が美味しくて、冬が美しい」
「そうか」
「それに、政宗様もお優しい」

形良い唇が笑みを象る。
ゆっくり、政宗はそれを瞳に納めた。
瞬きが勿体ないと感じるほどに、ゆっくりと。

「今日はわざわざ、私なんかの為に本当にありがとうございます」
「私なんかってのはちょいて卑下しすぎじゃねぇか?」
「ですが私は」

質です。
そう続く言葉が聞きたくなくて、政宗はそっとの髪を指ですく。
政宗様?と困惑した声を無視し、指先での髪を耳にかけた。
丸みある頬は頬紅がなくともほんのり赤い。
掌を添えれば幾ばくか冷えており、政宗は熱を分け与えるようにの頬を捉えた。

「政宗、様?」
「Be quiet」

雪が降り積もる音がする。
政宗はその音にも負けるほど、小さく弱く、の唇に口付けた。
小鳥の羽が触れあうような軽やかさ。
驚きに丸くなるの瞳。
苦笑を落とし、政宗は再び口付けた。
甘く、唇をねぶり、柔く食む。

「んっ、」

官能を呼び寄せる声。
政宗はさらに深く口付け、は波間に揉まれるかのように、強く政宗の胸にすがり付いた。小刻みに震える指が着物に皺をくっきり残す。
口内に残る汁粉の味を堪能し唇を離せば、真っ赤に今にも泣き出しそうなの瞳に食指が沸いた。
ああ、いとおしい

「っお戯れを、」
「戯れでキスしてたまるか」
「鱚?」
「No,キス、だ」

もう一度口付ける。
身を固くするの腰を抱き寄せて、政宗は糖蜜よりも甘ったるい声音で囁いた。

「俺が惚れたのはあんただけだ。だから俺はお前にキスする。、お前がたまらなく愛しい。お前を俺のものにしたい」

たとえ質のような正室でも、は政宗が選んだ女なのだ。
政宗はに惚れていた。
以外の女など想像もつかない。
政宗は、がすべてとなっていた。

声音に潜む想いが瞳の色を濃くさせる。
見つめられるだけで、心が芯から熱を持つ。
は着物の上から心の臓を強く握り、泣き出しそうな微笑みで「では、きすを」と強請った。
政宗は柔く笑みを返し、そっと冷えた指先を暖めるように絡めてが望むままにキスをした。






花冷え馨る


title by ルナリア