カレンダーの日付ではまだまだ夏だが、数年前の天変地異により気候が変動して秋のような景色を見せる。
青さが失せ赤味の増した木々に冷たく吹く木枯らしに揺れる。
四季自体は失われてはいないが、幾らか季節の巡りがおかしくなっていた。

俺はカメラを構えていた。
趣味が高じて今では仕事として扱っている。
風景から人物まで、頼まれればジャーナリズムも取り組んでいた。
風に揺られて紅葉が一枚散る。ぱしゃり。シャッターの切る音。
俺は写真を取る。彼女は本を読んでいる。
昼間の公園は人気がない。すっかり秋になった風は子供には少し冷たいのだろう。
彼女は温かそうなベージュのカーディガンに流行りの柄のスカートをはいている。
柔らかな色合いが彼女にとてもよく似合っていた。
ぱしゃり。もう一度シャッターを切る。ファインダーの中には雲ひとつないただ青い空が移っている。
世界はとても静かだ。彼女の呼吸さえ届かない静けさ。
まるで、無声映画みたいだ。
俺が写真を撮り続ける間、彼女は本を読み続けていた。
ふと思い立って彼女をレンズの中に納めてみる。彼女は自分に向けられたカメラに気づいてはいない。
ぱしゃり。ぱしゃり。ぱしゃり。
風が遊ぶ彼女の髪、それを耳にかける指の仕種、本のページをめくる指先は桜貝の様な小さな爪。
彼女を掴まえる。その一瞬を永遠に変える。
ぱしゃり。ぱしゃり。ぱしゃり。
彼女が気が付く。
顔を上げ、ゆっくりと視線がこちらに向けられる。
もしかしたら普通の速度だったのかもしれない。
けれど俺にはコマ送りの映像の様に、彼女の一つ一つが網膜という俺のレンズに焼き付けられる。
さすけ、照れたように、彼女の唇が動いた。
彼女の声が届かなかったこの距離がもどかしい。
彼女の甘い声が耳の奥から滲む。記憶に刻まれている彼女の声。
それだけで胸が温かくなる。我ながら随分簡単な男だと思う。
思わずこぼれた苦笑をそのまま浮かべ、もう一度彼女に向かってカメラを構える。
彼女は恥ずかしがって持っていた手のひらサイズの文庫本で顔を隠してしまった。

ちゃん」

俺は少し声を這って名前を呼んだ。
ちゃんと彼女に届くように。
俺の声が聞こえただろう彼女は、恥ずかしそうに、焦らすように文庫本を移動させる。
耳が、少し赤い。
かわいらしい俺の彼女。
頬も少し赤らんで、はにかむ彼女の笑みは俺の心を震わせる。
甘く、優しい、世界で一番とてもきれい。
俺は堪らずシャッターを切った。
ぱしゃり。
俺は彼女の一瞬の永遠を手に入れる。
美しい一瞬。失せることのない永遠。
俺は、きっと恐れているんだと思う。彼女を失うこと。それと、世界が終ること。
あの日の破滅の足音を、俺はまだ覚えている。
だから、俺は抗おうとしているのかもしれない。
いつまでも滅びることのない、写真を残すことで完全な喪失を回避しようろしているのかもしれない。

「佐助くん?」

彼女の声がじわりと俺を包みこむ。
物思いにふけっている間に、彼女はベンチを離れて俺の傍まで来ていたようだ。

「どうしたの?」

優しい、優しい、溢れるほどの優しさと指先にともった光のような淡い熱。

「ちょっと冷たいね。熱中しすぎだよ。風邪ひいちゃう」

俺の頬に触れて彼女うは困ったように笑うんだ。

「うん、ごめんね」

俺は彼女の指先を取って両手で包む。
暖を取るように、冷た風から守るように。

「帰ろうか」
「写真、もういいの?」

小首をかしげる彼女の髪が流れる。さらさら、そんな音が聞こえる気がした。
あの日から彼女の髪は随分伸びた。
ふとした瞬間思い出す、時間の流れ。
彼女の笑みだけは、あの日からずっと変わらず優しい。

「うん、一番取りたかった写真、もう撮ったから

そして俺は彼女の指先と自分の指を絡める。
柔らかくてあたたかい、まるで子供の様な手の温度。

「帰ろうか」

もう一度そう言って、彼女の手を引いてきた道を戻る。
俺に手をひかれる彼女は「私まるで子供みたいだね」と笑った。
それが少し拗ねて見えたもんだから、俺は「子供にはこんなこと出来ないよ」なんていって彼女の唇にキスをした。
真っ赤。シャッターチャンス。ぱしゃり。
心のカメラを切る音がする。
一瞬一瞬が愛おしい。君は毎日眩しい。好きすぎて泣きたくなる。
ちゃんも笑う。
照れた笑みで「佐助くん好き」だなんて。
抱きしめない代わりに、繋いだ指の力を強くする。
握り返してくれる彼女の指先から伝わる鼓動が、俺のすべてを満たしていく。

破滅の音は聞こえない。

そう、無声映画の様に。
恐ろしいものは何もない。
俺と、彼女と、二人の熱と、控えめの呼吸。
幸せの構図。
恐ろしいものは何もない。
シャッターは切らない。
この繋いだ手のぬくもりは永遠に手放したりしないからだ。






羊水のやさしさをきみと


title by 星が水没