、風邪ひくぞ」
「ん、ありがと」

うすいブランケットを私の肩にかけた政宗はそれからキッチンに向かってコーヒーを淹れる。
豆からブレンドするオリジナルらしいが、生憎子供味覚の自分にはよくわからない。
こぽこぽとお湯が注がれ香ばしい臭いが香り立ち、キッチンとリビングに充満する。
味は苦手だが、この匂いは嫌いじゃない。

「ん」

差し出されたマグの中から湯気が浮き立つ。甘い香り。

「淹れてくれたの?」
「砂糖ひとつ、だろ?」

優しい色をしたココア。
牛乳を少しと角砂糖ひとつがの好みだ。
覚えていてくれたことが嬉しくて、思わず笑って体をずらす。
ソファの空いたスペースにマグを持った政宗が腰を下ろした。
安物のソファが大きく沈む。
少し窮屈だが、心地よい距離感のソファはふたりのお気に入りだ。

「映画でもみるか?」
「ううん」
「そうか。腹減ってないか?」
「ん、ちょっと」
「昨日のバターケーキ残ってるぜ」
「ほんと?」

魔法使いのように政宗はバターケーキの乗った白い皿を見せて笑う。甘い匂い。優しい微睡み。

「今食うか?」
「うん」
「ほら、口開けろ」

パウンドケーキ型なのでやすやすと手掴みできる。
政宗のきれいな指先がケーキをつまんで私の口許に運んだ。

「あー」
「あー」

ふざけた調子手声を出す政宗につられて声が出る。
ふたりしてくすくすと子供のような忍び笑いをもらしてバターケーキに食いついた。
口いっぱいに広がるバターの甘みに頬が蕩けてしまう。

「へんなの」
「なにがだ?」
「政宗がやさしい」

言えば政宗はぱち、と左目を瞬かせる。

「いつも優しいだろ?」
「さぁ?」
「このやろう」

政宗は無邪気に笑って私の首筋にキスを落とした。
マグの中身がちゃぷんと揺れる。
政宗はマグを取り上げてテーブルに置くと、それからまたわたしの首筋に口付ける。

「くすぐったいよー」
「Cute, very cute.」

ちゅ、と海外ドラムみたいに軽快なリップ音。
それがいくつも降り注がれて、なんだかすごく恥ずかしい。

「ね、政宗。雨、やまないね」

二人しかいないというのに気恥ずかしさに耐えかねて、当たり障りのない天気の話で話題を逸らせば、政宗もそれに気づいてキスを止める。
私が恥ずかしがっているのを見てにやにやと底意地悪そうな、とても楽しそうな笑みで答えを返す。

「梅雨だからなぁ」
「台風来る?」
「かもな」

政宗は私の頭に手のひらを添えて、抱き寄せるようにして頭をコツンとくっつける。

「寒くないか?」
「だいじょうぶ」
「悪かったな」
「ん?」
「せっかく店予約したのに」
「ふふ」

しおらしい政宗はとても珍しい。
耳を垂らした犬みたいにしょんぼりしてて、なんだか子供みたいでかわいい。

「なに笑ってんだよ」
「別に残念じゃないよ」
「なんでだよ」

自分の計画を期待されていなかったのかと政宗の機嫌が曇る。
それがまたかわいくてしょうがない。
いつも大人っぽい政宗は、二人っきりの時ふとした瞬間子供みたいな一面を見せる。かわいい。

「一番大切な日に、一番大切な人がいてくれたら。それが一番しあわせだもん」
、」
「どこかにいかなくたって、幸せよ。政宗」

私しあわせ、
念を押すようにもう一度言えば、政宗のほほが少し赤らんだ。
かわいい、かわいい。

「それに雨で寒いからずっとこうしてられる。あったかくてきもちいい」

首筋に頭を擦り付けるその仕種は猫のそれに似ていた。
柔らかな髪が肌をくすぐる。
政宗の目尻が甘く綻んだ。

は甘えただな」
「うん、甘えたなの」
「かわいいな、お前」

しとしとと冷たい雨が降る。
窓ガラスを揺らす風の音が寒さを伝える。
しかしふたり、狭いソファに身を寄せて柔らかな人肌を分け合う暖かさ。

「ずっと梅雨ならいいのに」

叶わない願いを溢せば政宗が小さく喉を鳴らした。
政宗のその笑い方を、私は嫌いじゃない。

「梅雨じゃなくても、こうしてられるだろ」

強い腕に抱き寄せられて、あっと言う間に唇を拐われる。
甘いココアと苦いコーヒー。
混ざり合えばただ幸せの味が残った。






花と隻眼


title by nancy,i love you.