秋も深まり庭の紅葉も散りきった。
は去年ひびの入った腕を撫でながら、冷たい空気を肺に含む。乾いた空気に喉がかすれ、小さく咳つくの肩が揺れた。時間の流れが酷く速いような、何だか落ち着かない。
膝の上で丸くなる五朗八は、すっかり枯れてしまった紅葉をつまらなさそうに見ていた。
日々の風も冷たくなり、じきに雪が降るだろう。冷たい風は辛い記憶を呼び覚ますのだが、膝にのる五朗八の熱には瞑目して吐息をついた。
大丈夫。
これが母の強みと言うものか、子供がいれば、何故か強くあれる。

、少し顔色が悪くないか?」
「大丈夫。少し、風が冷たいだけだから」

心配する政宗の声には殊更穏やかに返答する。
いつだって心配性の男なのだ。
薄っぺらな言い訳では納得しないだろう。現に、目を開けばまだ心配そうに眉を寄せる政宗の表情が視界一杯広がった。

「風邪とかじゃないから、大丈夫です。部屋に篭り切りだから、空気が悪くなったんだわ。」

庭が少し見える程度に開かれた襖から、流れる風は隙間風。
ひんやりと冷たい風に少し震えながらも、は一つ、と息を零す。

「そう、か。・・・なぁ、。なら遠駆けにでも行かねぇか?雪が降る前に、五朗八に見せたい場所があるんだ。お前も、城に籠りきりだしな」
「見せた居場所?」
「お前の体調の良い日でいい」

元気づけようとしてか、言い出した提案に期待と不安が揺れる子供のような瞳。それには思わず頷いた。

「今日にしましょう」
「だが」
「今日がいい。そんな気分なの」

言えば政宗もそうだな。と答える。
が米沢城へ来てから、外に行ったのはただ一度きりだった。
そしてそれは悲劇に繋がった。だから外には出さす、出させなかった。しかしいつまでもそれでいいはずかない。政宗は直ぐに返事をしたのである。

準備はほとんどと言っていい程に何もなかった。
二三時間、城外へ出掛けるだけなので護衛はつけず、政宗とと五朗八の三人だけで出掛けると言い張る。
小十郎に見つかる前にと童子の様に笑い、成実と綱元の苦笑に見送られながら、三人はゆるやかに馬に揺られて城を出た。
牛歩に近い馬の歩み。五朗八は高くなった視界に興奮し、は慣れない馬上で五朗八が落ちないようにしっかり抱きとめた。

「どこにいくの?」
「Secret.」

くつくつと政宗は喉を鳴らす。
行き先など皆目検討がつかない。は大人しく馬に揺られつつ、目に優しい青く栄える奥州の木々や町並みを堪能することにした。

目的地までにすれ違う、道行く農家の人たちは政宗様、政宗様と政宗に声をかけ、村の出来事や収穫や蓄えの話をする。政宗は真摯にそれに対応し、その場でいくつか意見を返す。
政宗と民の間には壁が見えない。現代の政治家と一般人では大違いだ。
その姿にはひとつ息を吐く。
このひとは、このくにをあいしているんだ。
そんな人が、五朗八の父親なのだ。それがなんだかとても、誇らしかった。

「姫様、若様。政宗様と楽しんできてくだせぇな」

政宗に話しかけていた男の妻だろう。しわを刻んだ初老の女がに微笑む。これを、と差し出されたそれを受けとれば、綺麗に干された干し柿だった。

「三人でお食べくだせぇ」
「いいんですか?」
「もうすぐ八つ時でしょうに」

くしゃりと笑えば優しさが滲む女の表情。は礼を言いながら五朗八を促せば、すぐに女に笑い手を振った。

「こりゃあ賢いややですねぇ」
「流石は政宗様のお子ですな。伊達も末永く安泰でしょうに」

政宗は朗らかに笑う夫婦に別れを告げて、再び緩やかに歩みを進める。
は馬上で干し柿を一口大程に千切り、五朗八の口に運んでやった。
初めての干し柿はどうやらお気に召したらしく、五朗八はもっとと強請るようにの腕を引く。

「美味いか?」

政宗の声に五朗八が答える。
言葉にならずとも、十分に会話を理解しているのだ。
はもう一口分千切って、今度は政宗の口許に運ぶ。

「はい」
「ん」

開かれた口に放り込めば、政宗は馬の振動に合わせて租借する。

「美味いな」
「うん」

静かな対話に風がそよぐ。
秋晴れの日差しと少し冷たい風がの髪を遊んで空に流した。
どれぐらい進んだのだろう。
は五朗八に干し柿を与えながら、もう一度前方を見やる。

「ねぇ、どこまでいくの?」
「もうじき着くぜ」

にや、と笑った政宗は言葉通りに数分すすんで馬の歩みを止めた。
何もない平原だ。
草木が青く繁り、獣道さえない。囲む山々は荘厳に座し、この平原を包み込む。
蜻蛉の番が空を舞い、秋の情緒を告げていた。
辺りを見回すの腕を引き、五朗八を一緒に抱いて馬から下ろす。
柔らかい土、香る草木の青い匂い。五朗八は蜻蛉の行方を追いながら、うー、と腕を伸ばしていた。

「ここは?」
「・・・俺と、お前が初めて逢った場所だ」

言われ、周囲を見渡してみるが記憶にない。
それもそのはず、あの時混乱していたは出会ってすぐに政宗に連れ去られたのだ。見覚えがなくても仕方がない。

「どうしてここに?」
「五朗八、みせたかったんだよ」

何もない平原で政宗は天下にも勝る宝を得た。
何もなかろうと、無価値なものはない。政宗はそう、五朗八に伝えたかったのだ。

「なぁ、。お前は気付いてなかったかも知れねぇが、」

一旦政宗は言葉を切る。
所帯無さげに視線を泳がせ、そうして最後にはしっかりとを捕らえた。

「俺は、随分前からお前を好いていた。愛でも、愛の身代わりでもない。、お前を愛していた」
「っ、」

隻眼の向こうに佇むは、政宗の瞳に映る自分を見ていた。
信じたい、そう縋る自身の瞳を見つけてしまえば心が挫ける。

愛姫の身代わりでいる間は、全てが辛かった。心臓から爪先一片でさえであることを許されなかった。
だが政宗がと呼んだ。
あの瞬間、“”が漸く呼吸を許されたのだ。
始めは信じられなかった。
あの優しい指先や、深く染みる声が自分に向けられていたとは。
同じ姿形をした人形の、名前を付け替えたにしか過ぎないと思っていた。
だっては、政宗の事を何も知らないのだ。好かれるのもきっと、愛姫と同じ容姿だから。はそう、思っていた。そうとしか思えなかった。
だが、違った。
政宗はを愛してくれていた。信じられたのは、五朗八なおかげだった。

ふたりのこども

そう言ってくれた。
そう言って、抱き締めてくれた。
それがとても暖かく、優しかった。心の底から満たされて、五郎八を生んで本当によかったと思えた。
愛姫じゃない。が生んだ子供を、二人の子と言ってくれた。
そして漸く信じられたのだ。
政宗の言葉を、優しさを。その、想いを。

「・・・ってた」
「ん?」
「知ってた・・・ちゃんと、知ってた」

言えば、ゆるりと見開かれた政宗の瞳は驚きに満ちていた。
それが堪らなく不格好で、は少し声を上げて笑う。
その拍子に目の縁に溜まっていた涙が、ぽろと音を立てるかのように流れ落ちた。

「だから、嫌いになれなかった」
・・・」
「嫌いじゃなかったの。あなたの、こと」

優しく伸ばされた腕がそっと肩を抱く。熱の籠った指先は少し震えていた。

・・・好きだ。お前が好きだ」
「・・・うん」
「お前の答えが聞きたい」

抱き締められ、相手の表情はわからない。それでも、少し擦れた声音が政宗の不安をに伝えた。
初めはあんなに傲岸不遜で酷く乱暴な男だったのに、今はこんなにもしおらしい。
くすり、とひとつ笑ってしまったは、自由な両腕をおずおずと言った具合で政宗の背に回した。
とくとくと刻む心音が伝って響いて、それに合わせて吐息を溢したはそっと瞼を下ろした。
暗闇の世界で、自分を包んでくれる熱がある。
世界でひとりぼっちのを、抱き締めてくれる熱が。
あの雨の夜、自分を守ってくれた五郎八のような暖かな熱。
それが酷く、優しく胸に馴染む。
心地よい熱。どうしようもなく、泣きたくなった。

「好き、かはまだわからない・・・でも、側に居て欲しい。五郎八と一緒に、ずっと、居て欲しいって思う」
「っ、・・・」

感極まる政宗の震えた声。力の篭る腕。
目を見開けば、突き抜けるような蒼い空が広がる。

「お前を、抱きたい」

そう囁いた政宗は、ゆっくりとを解放して穏やかな目で微笑む。

「ちゃんと、お前を抱きしめてぇんだ」
「そ、んな」

思わず赤面してしまったは逃げるように五郎八に視線を走らせる。だが五郎八は蜻蛉に遊ばれきゃっきゃと笑っているところだ。母の視線には気付きもせず、楽しそうに駆けていた。

「ちゃんと、優しくする。もっとちゃんと、お前を愛したい。だから早く城に帰って、を抱きたい」

瞳に篭る熱はどこまでも純粋で抗いがたい。
それに、は政宗を嫌いきれないのだ。強く拒絶ができないままに時間が流れ、羞恥に耐えかねたがひとつ頷くのはそうかからなかった。
瞬間、柔らかく唇が重ねられる。触れ合うだけの拙い、だが熱を分かち合うほど緩やかな口付け。
荒々しさはない、ただひたすらに丁寧な口付けにははぱちりと長い睫毛を音を立てて瞬かせた。

「好きだ」

伝えられたその言葉にははい、と返事を返す。だがその言葉は音に成らずに吐息に溶けてあたりに滲んでしまった。
しかし上気したの頬に満足した政宗は、にやりといつものように笑っての赤い頬を一撫でする。

「戻るか。馬を引いてくる、待ってろよ。五郎八!」

背を向け五郎八を拾い上げた政宗はそのまま馬を目指し歩き始めた。
残されたはどきどきと煩い心臓と、発熱する頬を持て余して立ち尽くすしかなかった。

「恥ずかしいなぁ・・・もぅ」

人気が皆無とはいえ、恥ずかしいものは恥ずかしい。
はぁ、と吐いた吐息を掻き消すように、瞬間一陣の風が草を切るように薙ぐ。
背後から叩きつけるように吹いた風が寄越した臭い。鼻につく、煙、違う、これは

「排気ガス・・・?」

振り返った其処は、夢にまで見た現代平成。
は力を失いかける体を必死で反転させ、政宗と五郎八の背に腕を伸ばした。

幸せになれるはずだった。
今から、新しく始まるはずだった。
は理解する。
本能が叫んでいた。

「―――政宗さんっ!!!」

幸せになれるはずだった。
今から、新しく始まるはずだった。
は理解する。
逃走は不可能だと。
あの日、世界からという存在が切り抜かれたように。今この時、という存在が世界から切り離される。
それが意味するものは

「―――、?」

ふたりは、幸せになれるはずだったのだ。









夢の爪痕