「五郎八、五郎八」 まるで馬鹿の一つ覚えのように息子の名前を繰り返す政宗の表情に締まりはない。 小十郎が小言を諦める程の緩い顔には、流石に成実や綱元も苦笑するしかなかった。 五郎八が生まれてすぐは、水害対策に堤防のいろはを武田信玄の元に享受願ったせいで甲斐に無駄な足止めを喰ってしまい、政宗はほぼ二ヶ月は米沢に帰れなかったのだ。 以前の非礼を詫びるだなんだと、酒や手合わせやと宴会よろしく暑苦しく迫られる。愛する妻子の名前を出して帰還を試みようと思ったのだが、いけすかない忍がよからぬ事を考えないとは言い切れない。 そうして政宗は渋々甲斐に腰を下ろし、やっとのことで得た堤防のいろはを持ち帰り水害対策に取りかかった。おかげで堤防が完成するまでに甲斐と奥州を往復していれば全てが片付いた頃には既に二月が経過してしまっていた。 そうして今現在、政務から解放された政宗は愛息子を前に、そのふくよかな頬をつつくなどして空白の二ヶ月間を埋めるがごとく構い尽くしているのである。 「ほら、五郎八。Dadて言ってみろ」 「だぁ、うー」 「聞いたか!?今Dadて言ったぞ!?」 どう考えても意味の無い喃語でしかない五郎八の言葉に、政宗は顔を喜色一色に染めてに声を掛ける。 側でそれを見ていたは耐えられずに肩を揺らして五郎八の頭を撫でた。 「まだ三ヶ月よ?喋るわけ無いでしょ?」 「でも言ったぜ?」 「パパは早とちりで困るねぇ、五郎八」 「うぁー」 に釣られてけたけたと笑い声を上げる五郎八はまだ喋らないが確かに成長は早い。 乳母の稲も認める程の表情豊かなで、恐らくや政宗がなにかと話しかけるからだろうと思われた。 「首もすわってきたしな。直ぐに走り出すようになるぜ」 「気が早いのね、まだ寝返りもしないのに」 「けど俺もガキの頃は育ちが早かったからな。きっと目を離せばあっという間に育っちまう」 ふに、と指先で柔らかい頬を撫でれば腹が減ったのか、五郎八は小さな紅葉のような両手でそれを掴み、口許に運んで歯の無い歯茎で甘く噛む。 ますます相好を崩す政宗の表情はだらしなく、やはりも苦笑が禁じ得なかった。 くすくすと声を漏らしながら、は政宗の甘く滲む瞳を覗きこんだ。 「抱っこする?」 「No!まだ首がぐらついてるじゃねぇか」 「怖いの?」 「・・・怖い」 大人の、それも鍛え抜かれた体躯を持つ武将である政宗からしてみれば、五郎八の様な乳児は以上に気を使う存在だった。 骨は細くまだ柔らかい。肉は筋肉などなどあるはずがなく、第一どこもかしこも未発達だ。触れれば簡単に折れてしまいそうで恐ろしい。弱い命は小さな傷さえ命取りだ。無骨な腕が五郎八を傷つけないか、政宗はそれが怖かった。 「大丈夫、ほら首を腕で支えて背中に反対の腕を添えるの」 「おい、待て!」 心の準備ができていないと焦る政宗を無視して、は政宗の両腕に五郎八を押しつける。 ずしと両腕にかかる赤子の体重。 五郎八は目前に来た父親の顔を見つけて嬉しそうに両足をばたつかせ、政宗はさらに焦ってなんとか五郎八の首と背に腕を添えた。 「五郎八、パパに抱っこしてもらうの初めてだもんね。嬉しいね」 「そ、そういうもんか?」 「そうよ。五郎八は頭がいいから、パパもママもわかるもんね。稲さんじゃ泣き止まない時もあるもの」 そうして抱かれた五郎八の頭をよしよしと撫でれば、五郎八は興奮したように声を立てて笑う。 政宗は数拍言葉を失い、漸く絞り出した声は仄かに涙に濡れていた。 「重い、な」 「でも暖かいでしょう?」 ひとつの命の熱と重み。 政宗はこれを背負っている。 国中の命を背負っている。 時折政宗を押し潰してしまいそうなそれは、こんなにも暖かく、いとおしい。 腕の中で上機嫌に笑う五郎八は小さな紅葉の様な手の平で、政宗の顎や頬をぺちぺちと叩いた。 痛みなど無い、優しい感触だった。 「五郎八・・・父親がわかるか?」 「あぅ」 にこりと答える五郎八は、まるで本当にわかっているように答えるものだから、政宗の涙腺はますます滲んで仕方がない。 それを見ていたは、小さく苦笑しながら腕を伸ばす。 着物の袖口をひっばって政宗の濡れた目尻を拭ってやれば、政宗はくしゃりと顔を歪めて情けなく笑った。 まだ少し溢れる涙を見つけて、は優しく笑いながら五郎八を受け取る。 乱暴に目尻を拭った政宗は、の腕に五郎八が収まった事を確認すると、そのまま正面から五郎八もも一緒に抱き込んだ。 「、五郎八を、産んでくれてありがとよ」 「馬鹿な人、なにも泣くことないじゃない」 また小さく肩を揺らしてが笑う。 政宗は悔し紛れにの額に口付けて、あとは照れ隠しのようにの肩口に顔を埋めた。 五郎八はまたもきゃっきゃと笑い、政宗の硬い黒髪で遊び始める。 なんとも穏やかな時間であった。 |