季節は春、時は皐月。場所は北方陸奥国。 その日の奥州米沢城には確かな慌ただしさに満ちていた。 女中は忙しく駆け回り、門番達も気はそぞろ。黒脛巾達でさえどこか落ち着き無い様子で城の警備に当たっていた。 「あ」 米沢城のある一室。 伊達政宗の正室である田村愛、基、と呼ばれる少女がふと声を上げた。 「成実さん、鬼庭さん。喜多さんを呼んで下さい。」 「え、あ、ぅ」 「また陣痛来ました。そろそろ産まれるかも」 「うっ、わぁぁぁぁん!!喜多姉ぇぇぇぇ!」 涙声で部屋を飛び出して行った成実に非難がましい視線を送りながら、鬼庭は「暫しお待ち下さい」と頭を下げて静かに退室する。走り去る成実の情けない背中を見送りながら、は重々しい吐息を吐き出してゆるく腹を撫でた。 「よしよし、大丈夫。大丈夫。」 徐々に短くなる陣痛の間隔に額には汗が浮く。 駆け足でやって来た喜多。その後ろには産婆さんや助産婦が控えていた。 「様、お加減は?」 「結構きついです。間隔も大部短くなってきました」 「そっだらそろそれややがでてくるに違ぇねぇ」 産婆のふきがしわくちゃの顔で笑う。年の数ほどありそうな皺は優しげで、もつられるように笑った。 一方、喜多を呼んだ成実と綱元はその足で政宗の政務室に飛び込んだ。 「成実、暴れんな」 「だだだだって、や、ややこが産まれるんだよ!?」 成実は妊娠の仕組みを知っていたし、自分もそうして生まれてきたことを知っている。 しかしやはり、人間から人間が生まれるというのは理解しがたがった。 男の体が、何かを受け入れるように出来ていないこともあるが、成実はのあの腹から子供が生まれてくることがにわかに信じられない。 「そろそろか・・・おい小十郎」 「なりません」 「まだ何も言ってねぇだろ」 「ですか、なりません。穢れます」 その言葉に政宗はぴくりと片眉を上げた。 そうして剣呑に額に皺を寄せ、厳めしい顔の小十郎を政宗が睨む。 「穢れるたぁ、どういうことだ」 「出産には血が伴います」 「戦場も同じだ」 「男と女です」 「もとを正せばどちらも命だ」 お互い一歩も引かない主従の口論に成実は聞きたくないとばかりに身を縮めた。やはりなさけないことこの上なく、鬼庭は隠さずにため息を吐いた。 「小十郎。お前が神職の家ってことは忘れてねぇ」 「ならば、」 「だが、おれが言うこと聞くと思ってんのか?」 にやりと三日月の笑みを浮かべれば、小十郎は苦虫を噛み潰す表情で一層厳めしい顔色を作り出した。 「穢れなら俺はとっくに汚れてる。今更穢れなんざ恐くねぇ」 「政宗様!」 「Shut up!お前がなんと言おうと俺は行くぞ」 火花が散りそうな程の激しい睨み合いに鬼庭は何度目かのため息を溢した。 政宗の気持ちもわかる。小十郎の気持ちもわかる。だから無闇に口を出せない。 静かに見守るなか、小十郎がゆっくりと口を開いた。 「では一つ、この小十郎の問いにお答えください」 鋭い眼差しが飛び交う空間に、小十郎の岩のような硬い声が部屋に降り積もる。 「あの娘は、愛姫様ではございません。よろしいのですね?」 動詞の抜けた問いかけに、意味がわからない成実は鬼庭に「どういう意味?」と問いかけた。 そんな外野を無視して、政宗は真剣そのもので小十郎を見た。 流石は竜の右目と言えばいいのか。 小十郎はどこまでも政宗の右目だった。 数多の感情を溶かした瞳の色に、政宗は緩く首を縦に降った。 「愛は伊達政宗のものだ。だがは俺のものだ。問題ない」 短い最後の問答を終えれば、小十郎は自ら政務室の襖を開き、恭しく頭をさげてる。成実と鬼庭が驚いたのがわかった。 「そうでありましたなら、もう小十郎はなにも言うことはございません。どうぞお行き下さい」 「すまねぇな、小十郎」 政宗の礼に小十郎は顔を上げて笑った。 すこし泣きそうな目元がそれを失敗にしてしまう。すれ違い様にもう一度礼を言われてしまえば、小十郎はもう言葉もでなかった。 部屋を出ていった政宗の背を見送りながら、鬼庭は目を細める。 「いいんだな」 「・・・あぁ。あの方が決めた事だ」 腹違いの兄はなんでも見通すような透き通った瞳に小十郎を収めた。言葉の割りには、幾らか後悔の滲む表情に成実はますます意味がわからないとばかりに眉をしかめる。 「俺は、間違っていたか?」 「・・・もし間違っていたとしても、過去をどうこうなど出来るはずがない。今が丸く収まったのなら、問題はない」 「結果おーらいってやつでしょ?」 話が見えない癖に相槌を入れる成実を二人は同時に睨み、そして同時にため息を吐いた。 真に良く似た異母兄弟である。 「俺は、政宗様を支えきることが出来なかった。臣下として側にあることしかできず、政宗様を奥州筆頭の型に嵌め込むような真似をしてしまった。きっと生き苦しかったに違いねぇ。俺は、裁かれたかったのかもしれない」 「それは、政宗様にか?それとも、様か?」 綱元の抑揚の無い声は平坦で感情を匂わせない。 責めることも慰めることもない声音は冷たくとれるが、小十郎はその音程が程好いと感じた。 「両方だろ。俺は政宗様に奥州筆頭を押し付け、あの娘には愛姫様を押し付けた」 「後悔したみたいだな」 「しないはずかない。あの二人がどれだけ傷つき、傷つけあったかを俺は知ってるんだ」 吐き出された吐息をは重々しく沈殿し、部屋の空気密度をあげていく。 目に見える息苦しさに、成実はよくわからないけどと言いながら髪を掻きつつ小十郎を見やった。 「ねぇ、梵はちゃんが好きじゃん?愛ちゃんの代わりになんてもうしてないし、ちゃんも最初程梵のこと嫌いじゃないじゃん。あの二人さ、昔の梵と愛ちゃんみたいにちゃんと寄り添えてるんだから、別にもうあれこれ言わなくでもいいんじゃない?雨降って地固まるってやつだしね。ほらやっぱり結果おーらいじゃん」 にや、と子供の様に口端をつり上げて笑う成実に小十郎も綱元も言葉はなかった。 きょとんなんて擬音が良く似合いそうな呆けた面を曝した後、やはり揃って盛大にため息を吐き出して。 いつまでも子供の様な成実はなんでも楽観視しすぎる。 しかし、その気ままさに救われることもまた事実の小十郎は、最後に小さく苦笑を落とした後に綱元と成実に礼を述べたのだった。 |