日は随分傾き程なくして夜が訪れるだろう。
件の山に到着した政宗の姿を捉えた伝令役により、直ぐ様小十郎が姿を表した。

「小十郎!は見つかったか!?」
「・・・っまだです。兵治の姿も見当たりません」
「黒脛巾は何してやがる!?」
「桜井が動かしていた忍が足跡等を消しているようで、捜索は困難を極めております」
「・・・っ俺も出るぞ」
「政宗様っ!」

山中へと向かおうとする政宗の背中に急いで小十郎は声をかける。苛立ちを辛うじて押さえ込む物騒な隻眼が小十郎を睨み付けた。
しかし小十郎はそれに怯えることはなく、ただ真っ直ぐに政宗を見る。重苦しい空気を象徴するような小十郎の低い声は、政宗だけに届くのだった。

「世継ぎは別の娘でも産めます。この様なことに国主が御身を危険に晒すのは承諾しかねます」

剣呑な視線が放たれる、まるで抜き身の刀を喉元へと向けられる心地に政宗は器用に片眉を上げて小十郎へと振り返った。

「どういう意味だ?小十郎」
「そのままの意味です」

言葉にせず、小十郎はを見捨てようと言うのだ。
確かに奥州の夜は冷える。崩れ出した天気ではいずれ雪や雨を呼び寄せるだろう。ともすれば捜索はさらに難しくなる。もしかしたら兵を、自身を無駄死にに追いやるかもしれない。
小十郎はいつだって正論を唱え政宗を育ててきた。政宗もわかっている。伊達の世継ぎたれ、奥州の王であれと生きてきた。小十郎の言い分は常に正しく、理解もできる。だが、政宗も所詮はただの人間でしかない。国主だ君主だ賢君だのと言われようが、結局はただの赤い血を流す人間だ。政宗自身は農民とだってそう変わらないただの命なのだ。

「小十郎」
「・・・はっ」

力ない呼び声に小十郎は膝を付く。項垂れ、叱責を待つようだった。

「俺の子はあいつにしか産ませたくない」
「未来の血を引くからですか?」
「no,そんな単純なことじゃねぇ。愛に似てるからでもねぇ。俺はあいつを、を・・・」

一度言葉を切り、政宗はへの感情を表すに最も相応しい言葉を探す。
好き、とは少し違う。大切?守りたい?支配したい?慈しみたい?壊したい?愛したい?愛されたい?湧き出る自らの小難しい感情論にひとつ苦笑を落とした政宗はただ静かに告げ、手綱を引いた。

「“俺”にとって、が必要なんだ」
「・・・わかりました。政宗様がそう仰るのであれば」

そう言い小十郎もまた手綱を握り直し政宗とは反対方向へと馬を向ける。

「俺は東から回る。小十郎は西から探せ」
「はっ」

そうして小十郎が号令を飛ばし、他の兵や忍たちに指示を出す。
しかし数分もしないうちのどんよりとした暗雲がゴロゴロと雷を呼び寄せ大粒の雨を降らし始めた。まさしく予期した通りの事態に政宗は舌打ちを隠そうともせず、盛大な雨音に掻き消されぬようにの名を呼ぶ。

!!どこにいるっ!!返事をしてくれっ!っ!!」

頬を打つ雨が鎧の中へと染みてくる。北風と雨が相まって、すぐに全身水びだしになった。しかしその程度で政宗が諦める筈もなく、森中に響く声音で政宗はの名を吠えた。
しかし、いつまでたっても帰ってくる返事はない。
最悪の事態が浮かんでは消える。冷えていく指先を叱責しつつ、政宗は馬を止めることなく隅々まで山を駆けた。
成実たちが登ったとされる場所まで来てみたものの、獣の気配ひとつない。麓の伊達軍の松明をいくつか見えるがこの豪雨ではいつまで持つかはわかるまい。
諦めるべきだと、奥州筆頭たる身が叱責するものの、政宗は諦めることが出来ずにの名を呼ぶ。足跡などすっかり雨に流されてしまった。どうやって探せばいい?
星もない夜を憎みながら、政宗は緩く下山を始めた。ここより上に上る意味がない。政宗は馬で下る間、絶え間なくの名を呼んだが、やはり返事はなかった。

「っ!? あぶねぇ!」

雨で緩んだ地盤が微かに崩れる。慌てた馬を手綱でいなし、体制を整えた政宗は崖に馬を横付けしその下を見下ろした。
底の見えない闇に九死に得た一生の吐息をつく。だがすぐに違和感に気づき政宗はもう一度崖の底を睨んだ。

「なんだ・・・?」

一寸先も見えないような夜の崖の底にあるぼんやりとした色。目が慣れてくるまでただひたすらそれを睨み、幾ばくの間を置いて政宗は息を飲んだ。
人間だ。夜に浮き上がる人の肌の色。高さのせいでハッキリと確認は出来ないが、政宗は考えるよりも先に馬の腹を蹴りその場を迂回した。

っ!!」

木々の枝が肌を打ち、雨は肉体から熱を奪う。それでも政宗の心臓は鼓動を繰り返し、脳裏に光を爆発させた。
目的の場所に着くや否や、政宗は馬から飛び降り急いで人間の側に駆けた。見慣れた蒼い甲冑。倒れている男。

「兵治・・・」

荒い息を肩で吐きながら政宗は兵治を呼んだ。血走った目と変色した唇と肌の色。頬に走る刀傷から毒が入ったのだろう。政宗は無言で腕を翳し、硬直した兵治の瞼を閉ざした。
そうして直ぐ様吠えるようにを呼ぶ。成実は兵治にを任せたと言った。もしかすると、もしかすると。
ぐるりと見回した崖から少し離れた場所に踞る蒼い固まりを見つける。まさか、まさか!?
緊張と恐怖に喉は張り付き全身ががたがたと震えた。戦場であっても、政宗はこれ程の恐怖を感じたことはない。
殆ど無意識に腕を伸ばし、小さく丸まるその蒼い布を捲る。
あぁと漏れた声は雨に浚われ、どちらの耳にも届かない。
ずぶ濡れの髪は頬に張り付き、いつもは愛らしい色をした顔色は蝋人形のごとく白い。紫に変色した唇は小刻みに震え、閉ざされたまぶたは厳めしくしかめられた眉の下ですこし震えていた。

っ!!!」

急いで抱き上げ籠手を乱暴に外す。素手で脈を測るが限りなく弱い。政宗は何度もの名を呼び、熱を呼び寄せるようにの体を強く擦った。

っ!頼むから、頼むから目を開けてくれっ」

きつく抱き締め、雨に負けないくらい煩く叫ぶ。そうしている間にの瞼がふるる、と震えたと思うとようやっと開かれ瞳と目があった。安堵の息を吐き出す政宗に、はゆめ?と囁いた。

「夢じゃねぇ、現実だ。怪我はないか?痛む場所は?直ぐ城に帰って湯殿で暖まろうぜ?」
「・・・あかちゃん」
「っ、子供がどうした!?」

ふらふらとさ迷ったの右手が政宗の襟ぐりを握る。寒さの震えではなく、渾身の力を込めたことによる腕の震えが痛々しく、政宗はその手を包み込み落ち着くよう囁いた。

「お願い、たすけて。わ、私は、どうなってもいい。でも赤ちゃんだけは、この子だけは助けてっ、この子、生きてるの。お願いっ、お願い」

焦点の揺らぐ瞳ではがちがちと寒さに身を震わせながら政宗に懇願した。雨粒の速度に似た速さで、助けて、この子だけは。と譫言の様に繰り返す。
政宗は直ぐにを抱えて馬に跨がる。兵治に一瞥をくれながらも、一刻も早くを暖めてやるべきだと政宗は判断を下した。

「Don't worry. 大丈夫。大丈夫だ。子供もお前も絶対救ってみせる。どちらも死なせねぇ!」

馬をけしかけ山を下る。
政宗は信じてなどいなかった神の名を、西洋から東洋まで並び立て、兎に角妻と子供を守ってくれと口内で繰り返した。
下山最中、政宗は腕の中で震えるを見やる。
腹に巻き付けられた兵治の衣服。不自然に傷ついた腕や足。そして、先の物言いに胸が熱くなる。

は、この状況下で出来うる限り子供を守ろうとしたのだろう。
それが正しく、比類なき母親の姿で、政宗はもう一度強くの体を抱き締め、矢のように山を駆け降りた。









君を守ると、勝手に誓うよ