「覚悟は出来てんだろうな?」

つり上げられた口角の歪みに男は戦慄した。贅沢を知る太った体躯に脂ぎった肌。もう刀は握らないらしく、ただ家臣たちが主を守るように政宗へと刃を向けるのだった。男の背後で女が震え、怯えた瞳で政宗を見ている。頬を青白く染める女に一瞥をくれた政宗だが、その姿に一つ嘲笑をくれてやりすぐに視界から追いやった。

「俺は交渉しに来たんだぜ?刀を下ろしな。娘を差し出すのなら、家の取り潰しはよしてやるってんだよ」
「政宗公、ど、どうかご慈悲をっ」
「Shut up!家か娘かさっさと選べ。テメェの娘が何をしたと思ってやがる?国主の妻の暗殺を企て実行した。嫡子を宿していた妻は未だ行方知れずだ。なぁ、桜井。お前は曾祖父の代から伊達に仕えてきた。情けだってかけてやりたい。だがな、お前の娘の罪は許しがてぇんだよ」

爆発寸前の怒りを押し留めれために歯を食い縛る。剥き出しの犬歯に女は悲鳴を上げた。
国内勢力を安定させるために差し出された姫は側室として政宗の側に収まった。それで満足していればよかったものを、女は正室に成り代わろうとし、暗殺に乗り出したのだった。

「俺はあんまり気が長くねぇんだよ。早く決めてくれよ?」

一度に自害を強要した事が発覚し、政宗は命を取らない代わりに娘を家に返してやった。まだ年も若い、次の家に嫁ぐことも可能だった。だがしかし、娘はそれを由とせず、逆恨みにを狙い、そうして忍を差し向けた。政宗にとって、最初で最後の慈悲はもうかけた。あのただ一度の情けを無下にしたこれは娘の自業自得なのだと吠えれば、男と娘は抱き合ってすすり泣きを上げる。
政宗は苛立つ表情を隠そうともせず、肉を喰らう獣の様に鋭く牙を剥いた。

「娘か、家か、それとも両方か?」
「何卒、何卒っ!」

しつこく食い下がる男の背に隠れた女はただ怯えた瞳に涙を貯めるのみ。愛したことはなかった。ただの政治の道具としてしか見たことがなかった。それ以上も以下の価値もない。政宗にとってこの姫はその程度の価値しかなかった。

「・・・桜井、テメェも領地を預かる身なら、何を選ぶべきかわかってんだろ」
「・・・っ」

低い政宗の声に男の喉がひくつく。強張った顔は微かに青白く、額に浮く玉の汗がたらりと流れた。

「ち、父上・・・?」
「政宗公、どうかっ」
「くどいぞ。腹を括れ」
「ねぇ、父上?わ、私のことを愛していますでしょう?」

ひきつる娘の声が不気味に響く。男は片手を上げて部屋から家臣を引かせれば、政宗へと向けられていた刀が全て仕舞われる。益々焦る娘に向かって、男はただ一言だけ、すまぬ、と低く潰れた声で謝罪を告げた。
男は立ち上がり、家臣に続き部屋を出ようとするが、半狂乱の娘の腕がそれを阻む。

「嫌!嫌です!父上!お助けを!お助けをっ!私は父上の娘でございます!見捨てないで!父上!父上ぇ!」

一瞬立ち止まった男だが、政宗の隻眼に睨まれ歯を食い縛り娘の腕を振り払った。倒れる娘。男は震える唇で、最後に娘の名を呼んだ。娘が腕を伸ばすその先で、無情にも襖は閉められた。数拍の空白を置いて、政宗の平坦な声が朗々と響いた。

「観念しな」
「嫌ぁぁぁぁ!父上!父上ぇぇ!死にたくない!死にたくない!政宗様!私はあなたの側室でした!どうかお情けを!」

気が触れたように涙を流し喚き命乞いをする娘を政宗は冷たく見下ろす。道端の石を見るような、戦場の死骸を見るような。無感情で興味の欠片もない、冷めた視線に娘の悲鳴はさらに空間を揺らす。

「お助けを!お助けを!父上!開けて!開けてください!逃して!ここから逃してくださいませっ!」

部屋を密室に変える襖を開こうと暴れるが、どうやら外から塞いでいるらしい。女はそれが理解できずにますます煩く喚きたてた。

「政宗様、政宗様!お慕いしております!愛しております!殺さないで!殺さないで!」

両手を重ね、神を拝むように女が金切り声で政宗へと叫ぶ叫ぶ。
政宗は自分が女の命を握る、殺生与奪の権利を得たことを肌で感じていたが、やはり助けてやろうという気にはならなかった。
政宗は神ではないし、それにやはりこの娘は政宗にとって道具以外の何者にも映らないのだ。その生か死の良し悪しなど些細な問題だ。殺したいかそうでないか。それでいい。

「神は平等に死を与える。俺もあいつもいつかは死ぬ。だが今なんかじゃねぇ。それを決めるのはテメェじゃねえんだよ」
「嫌っ!嫌ぁぁぁぁ!政宗様!お許しを!父上!助けて父上ぇぇ!」

脳に叩きつけられる絶叫に、襖の外の男たちの気配が揺らぐのがわかった。政宗は女の命乞いには耳も貸さず、手入れの行き届いた長くたゆたう黒髪を乱暴に掴む。懇親の力で髪を引っつかめばぶちぶちと音を立てて細い髪が幾筋も千切れ、女の悲鳴がますます高く響いた。
政宗は静かに目を細め、無感情に、かつ躊躇など見せず襖に寄りかかる女の首目掛けて刀を一閃させる。
悲鳴はごぼり、と音をたてて溢れた血に飲まれ細々と消えた。小さな頭は容易く飛び跳ね、別たれた首からは泣き出したような血の雨が降る。残された体はまるで水揚げされた魚の様に激しく痙攣し、そうして直ぐに動かなくなった。
一つ嘆息を落とした政宗は、襖を開かずに男がいるだろう方に向かい、静かに言葉を零した。

「・・・桜井。お前の覚悟、受け取った。そのケジメ、この奥州筆頭伊達政宗、必ず厚く報いるだろう」
「・・・っ、ありがたく、」

押し潰された声に、政宗は深く息を吐いた。これで桜井はなんの罪も問われない。家を貶めた娘が、その命を持ってして家を救ったのだ。ありふれた美談に嘲笑を溢した政宗は、直ぐに馬屋へと足を向け、件の山へと急行を開始した。









疎ましいのは

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