紅葉の季節が終われば次は冬が来る。奥州の冬は冷たく長い。まだその気配はないとはいえ、木々は綺麗に葉を落とし、虫や獣の姿は見えない。少しずつ冷えていく風を受け、は小さく体を震わせた。
櫛も刺さずに背中に散らばる黒髪が風に遊ばれゆらゆら揺れる。
壁に寄り掛かりぼんやりと寂しくなった庭先を見つめれば、もの悲しげに色を失くした庭が広がるばかり。そうして冷気を孕む風と、すっかり膨らみ始めた腹が否応なく時間の流れを感じさせた。

ちゃん、元気ないね」

障子窓の向こうからひょいと顔を覗かせたのは成実で、は突然の訪問に驚き小さく悲鳴をあげた。

「そんな部屋の奥に隠ってないでさ、俺とでーとしない?」

日本語発音の平仮名英語で成実はを誘う。それがあまりにも滑稽では少し口元を歪めた。無論穏やかなそれではなく嘲笑を含んだ笑みであったが、その笑みを了承と勘違いした成実はひらりと部屋に入り込むと、童話の王子のように恭しくの手を取りあげ子供のように微笑んだ。

「お姫様、俺と遠駆けなんてどうですか?」
「遠駆け、」
「善は急げ!そら行くよ!」

早すぎない速さで成実が歩き出せば、は一緒についていく他ない。女中や兵卒の生暖かい視線に見送られながら、着いた先はいつかの馬小屋。
凛々しい体躯の馬たちが並び、朗らかに尻尾を揺らしていた。

「ほんとはちゃんにも馬の乗り方教えてあげたいんだけどさ、言ったら喜多姉に殺されかけたからちゃんは駕籠ね!ちょっと遠出になるけど馬より安心だしお尻痛くならないから楽だよ」

馬小屋のそばに待機していた駕籠と仕事人。反論する間もなく成実に押し込まれ、当の成実は颯爽と馬に跨がり緩やかに歩き始めた。

「それじゃ、出発しますか!」

門が開かれ、成実と他数名が先導して進む。
は駕籠から顔を覗かせ、初めての城外を盗み見た。
舗装されていない砂利の道。瓦の屋根、木製の長屋。駆け回る子供に商売の掛け声をあげる大人たち。
城下を抜ければ冬でも青く茂る森。どうやらそこへ向かっているらしい。は深く息を吸い込み、森林の冷たい空気を肺一杯吸い込んだ。心地よい冷気にの気持ちは上昇する。初めての外出と駕籠のおかげもあるのだろう。駕籠の中は誰もいない。幾分緊張の解れる環境には心を和らげた。
暫く揺られていれば、歩調を緩めた成実の馬が駕籠の隣に並んでに声をかけた。

「どーですか?お姫様」
「空気が綺麗で気持ちいい・・・」

駕籠全体が揺れるそれは仕方がないので文句は言わず、ただ思った通りの感想を述べれば成実は目元を綻ばせて笑った。

「梵がね、ちゃんがすっかり塞ぎがちになっちゃったから散歩に連れてけって。本当は自分が連れていきたかった癖に書状書きが残ってたんだってさ」
「あの人が?」
ちゃんのことすごく心配してる。悪阻も収まってきたし、元気つけて来いってね」

ぱちん、と子供っぽくウィンクを飛ばして道筋を見据える。

「この山の上はね、この辺りで一番雪が降るのが早い山なんだけどこの山からだと奥州が一望できるんだ。梵が統べる奥州を。ちゃんに奥州全部を見て欲しくて、俺がちょいすしたんだよ」

相変わらずの平仮名英語が空気を和ます。は控えめに笑い、駕籠の揺れに身を任せた。
木々の揺れの合間に飛び交う子栗鼠が顔を出し、様々な鳥の鳴き声が木霊する。
はだんだんと緊張をほどきながらも、震える手で腹を撫でてみた。
確実な膨らみのある腹への違和感。は直ぐに思考を切り替え、山頂を見上げる。
まだ、直視できない。考えたくもない。恐怖に乱れる呼吸を持て余しながら、はきつく眉間に皺を刻みながら言い表しがたい感情をねじ伏せて震えを耐えた。

そうして歩は進み、日の高さからして二時間程か、目的地は山頂ではなかったらしく、木々が開けた場所に出た。
駕籠が下ろされ、支えられながら外へ出れば一層深くなった空気が肺に染み渡る。
全身に澄み渡る清涼な酸素に、は改めて深呼吸を繰り返した。
半年以上閉じ込められていた体は、思った異常に疲れていたらしい。精神だけではない、肉体もまた弱りきっていた。膨れる腹と落ちた筋力。何度も巡回する意識に嫌気が差し、はさっさと思考を打ち切った。
この半年、諦める事ばかり上手くなる。
成実に腕を支えられ慣れない山道を歩けば、切り開かれたそこは上空からさんさんと降り注ぐ日光が暖かい。その眩しさに空いていた方の手を上げ日光を遮る。
成実の言う通り、奥州が一望できるその景色は絶景に違いなく、は小さく感嘆の吐息を吐き出した。

「どうかな?奥州は、」
「・・・きれい」

広がる田園と足並み揃える瓦の屋根。聳え立つ城を中心とした色とりどりの城下。ばらばらに見えるそれは統制され過不足なく広がる。
全てが調和され、一枚の絵のように完成された風景に、はつと一筋涙を流した。

美しい国だ。

は政治家でもないし右翼だとか愛国信者とかでもない。
それでも、何故だかこの景色が、風景が、この一面の世界が、涙を誘うほどに美しかった。

国は国主の有り様を表す。
本当はわかっていたのかもしれない。
確かに政宗はに許されないことをした。
それでも政宗はを大切にしてくれたし、国民を大事にしていた。
乱暴をされたけど、暴力を奮われたことはなかった。
愛姫の身代わり扱いだったとはいえ、政宗は底抜けに優しかった。
いちいちこちらの調子を気にして、暇を持て余せば何かと娯楽になりそうなものを与えてくれた。

酷い男であればよかった。
自分を蹴って殴って物以下の扱いをしていっそ殺してくれればよかった。
そうすれば、こんな風に悩んだり、心を乱されたり、苦しい思いをしなかった。

自分が本当に愛姫だったら、だなんて、考えもしなかった。

あの美しい庭の様に、政宗はなにかを慈しむ心に長けている。
だから政宗は君主であり得たし賢君でもあった。
民を愛したから民からも愛されていた。
愛姫を愛していた。きっと深く愛し合っていた。だから愛姫を失った痛みに耐えられなかったのかもしれない。
政宗は確かに酷い男だ。でも優しい人間だった。
こんな景色を見せられてはとても悪人だとは言い切れず、はくしゃりと奇妙に口元を歪める。

「なんで・・・こんなことになっちゃったのかなぁ」

苦笑が漏れて、膨れた腹を撫でてみる。
小さく波打つ鼓動は、間違いなく子供のそれに思えた。

なんだか酷く安らいだ気分だった。
は、もしかしたら今ならば子供のことを認めてあげられるかもしれないとひとつ瞬く。
何故だか無性に、政宗にそれを伝えたくなった。

ちゃん!!!」

刹那、成実の怒号が大きく反響した。









それはすべての

引き金だ