その後、医師の診察によれば妊娠は確実らしく、腹の中で子供が安定するまで安静にするように伝えられる。
世話役の女中や政宗達が手放しで喜ぶなか、はただ一人身を震わせることしか出来なかった。

夜、妊娠の具合はどうかとしつこい政宗を気分が悪いと追い返したは布団にも入らずに部屋の隅に座り込んだ。
足元を絡めとる不安と恐怖が夜の闇に育てられて増長する。
本当は膝を抱えたくなる程恐ろしかったが、そうすると自分の腹と密着してしまう。それが怖くては下半身を投げ出して、左手で肩を抱き、右手の爪を忙しなく噛んだ。

「いや、いや、いや、いや、こ、子供なんて、やだ、欲しくない、怖い、やだ、おかあさん、いやだ、妊娠なんて、いや、いや、絶対やだぁ・・・」

終いには涙が溢れて嗚咽が洩れる。どうしようもない恐怖が腹の中で育っていく。

「いや、あんな酷い奴の、こ、子供なんて、いや、いや、いや、う、生みたくないよぉ・・・」

自分の中に自分じゃないものが存在する。
あらゆる母親は望んで妊娠する。男を愛し、それを形にするために子供を産む。
だがは政宗を愛する以前に好きでもない。よくも知らない男にレイプ同然に処女を奪われ監禁されて、それで妊娠だ。妊娠してしまった!
命に罪はないといえども、はそう簡単に割りきれるほど大人でもないし達観もできない。
腹の中に注がれた命が、の命を食って育っていくと思うと、ますます恐怖に背筋が震えた。

「いやだぁ、お、おとうさ、おかぁ、さん、やだぁ、こわい、こわいよっ・・・いやだぁっ・・・!」

細く漏れた悲鳴は部屋の中で霧散して、それでもの喉を震わせた。
いやだいやだ、ああいやだ。
呪詛のように祈りのように何度も何度も唱える。
子供なんて産みたくない。
ぎゅうときつく歯を食い縛れば鉄錆の味が口内に広がって滲んだ。

結局その日は眠れるはずもなく、瞼を閉じれば膨れても腹を抱える自分自身が浮かび上がって、まともに頭も休まらなかった。
用意された朝げは炊きたての米の臭いにまた戻す。
昨晩も特に食べていなかったので、喉を焼く胃液ばかり吐き出した。
心配する女中達に下がってもらって、なんとかその日の食事を終える。30分かけて食べたのは味噌汁一杯。
泣き腫らした目が痛い、頭も痛い。
秋晴れの空を見つめながら、は自堕落に横になった。

「子供なんて産みたくない」

言葉にした音は平坦に地面に着地する。その言葉を拾い上げるものはおらず、風に浚われて音は消えた。

?」

不意に名を呼ばれ体を起こす。
襖の向こうから心配そうに顔を覗かせる政宗がいた。

「大丈夫か?」
「・・・暇なの?朝から」
「ほんと大丈夫かよ、もう昼だぜ?」

どうやら随分ぼんやりしていたらしい。もしくは気付かないだけで眠ったのか。知らぬ間に時間が流れようで、午前中の政務が終わった政宗が顔を出したのだった。

「昼は食ったか?」
「食べたくない」
「食わなきゃ持たねぇぞ?」

まるで小さな子供を叱るように眉を寄せた政宗は一度襖の奥に消える。暫くして現れた政宗は両手に二つ、赤い実を乗せていた。

「近くの農村に育ててる所があってな。そこの親父が悪阻の時でも林檎は美味いってどっさりくれたんだ。米は無理でも林檎なら食えるだろ?」

有無言わさず隣に腰を下ろした政宗は、器用に包丁で林檎の皮剥きを始める。するするとまるで糸をほどく様に剥かれる林檎の皮は薄く均等で政宗のその料理の腕が伺えた。あの日政宗が作ったご飯は嘘ではないようだった。
漆塗りの美しい皿に八等分された林檎が並ぶ。
ほら、と促すと同時に差し出された皿を、はしぶしぶ受け取った。
くぅと小さく空腹を告げる腹の虫の音。一日まともに食事をしていないのだから仕方がない。
はひとつ林檎を摘まみ、口許へ運んだ。
みずみずしく歯ごたえのある林檎、中心は蜜が詰まっていてこの上なく甘い。じわりと胸に広がる満足感。喉と渇きと空腹がいくらか満たされるはほぅ、とひとつ吐息を溢した。
それを見届けた政宗はふたつ目の林檎の皮剥きを始める。横たわる静けさを破るようにが口を開いた。

「・・・ねぇ」
「どうした?」

問いかける眼差しの優しさには言葉を切る。
甘さの滲む目尻が幸福を物語っていて酷く眩しい。
は、心中にとぐろを巻く黒い塊を意識しながらも、どうにも言葉を作れなかった。

「・・・リンゴ・・・ありがとう」
「この位しかしてやれねぇからな」

照れたように政宗は笑い、ひとつ林檎を持ち上げ器用に兎の形に剥いて見せた。
その仕草がどうしようもなく優しくては静かにそれを受け取る。
仄かに朱の指す政宗の耳元が視界に入ればますますどうしようもなくなって、受け取った林檎を咀嚼した。

、もう少し剥くか?」

言葉も返せずはゆるく首を横に振る。
そうかと微笑む政宗は林檎の残りを丁寧に切り分け皿に盛った。

「全部は無理でも、少しは食えよ?」

今度は縦に首を振る。
納得したように政宗も頷き、包丁と林檎の皮をもって立ち上がった。

「俺は政務の続きに取りかかる。お前は安静にしてろよ。Yousee?」

にや、と歯を見せて笑った政宗が来るときと同じように颯爽と部屋を去る。
残されたのはと林檎の甘酸っぱい香りだけ。
はもうひとつ、林檎をかじりながらついに耐えらきれずに泣きだした。

「子供なんて産みたくないっ・・・」

優しくしないで。
心が揺すぶられるから。

「産みたくないよっ・・・」

腹で脈動する血の巡りは自分か子供か。
そして、政宗が望むのはの子供か愛の子供か。

は産みたくないともう一度呟いて、残りの林檎を視界から追い出した。









夜と朝の間で揺れる

消えそうな星