一週間経たずして傷は完治したと騒いだ政宗は、折角の休暇を切り上げ政務と稽古にと精を出す。
予想通りの主の行動に小十郎は深く深く溜め息を吐いたのだが、敬愛する主のその行いが悪いこととも言い切れないので叱るに叱れずそのままいつもの渋面で主の傍に控えるのだった。

庭先で小十郎と政宗が竹刀で打ち合う。その姿をぼんやりと眺めると成実と綱元。
本日も米沢は平和である。
未だ綱元とは言葉を交わしたことはないが、小十郎と似通った顔立ちのせいでどうにも敬遠してしまう。それを知ってか知らずか間を仲介する成実が会話を飾る。
政宗からの言いつけがあったのか、今では三傑も城仕えのものも誰もを愛姫とは呼ばない。
幾らかの呼吸を取り戻したではあるが、やはり居づらさが消えるわけでもないので様々な感情が含まれた視線は辛かった。

ちゃん俺らの話聞いてた?」
「いえ、まったく」

冷たくあしらえば何が楽しいのか成実はからからと笑いながら綱元の背を叩く。綱元は厳めしい表情を微かに顰めながら、小さく成実を諌めた。

「だからもうすっかり秋だし芋焼こうよ!って話。綱元はふかし芋が好きなんだよー貧乏臭いよね。ちゃん芋好き?」
「・・・スイートポテトのほうが好き」
「すいいと?」

小首をかしげる成実を無視して視線を戻せば、小十郎と政宗の手合わせもどうやら終わったらしい。軽く汗を吹きながら寄ってきた政宗は何の話だ?と成実に問いかけた。

「芋が好きかって話だよー」
「hum.芋か、俺は俄然天ぷらだな」
「では本日の昼げはこの小十郎の田畑で採れたさつま芋の天ぷらに致しましょう」
「決まりか、それでは喜多に伝えよう」

その場を退場する綱元に小十郎も続き、その二人に成実が手を振り見送った。

「今日は天気もいいし、外で食べようよ」
「餓鬼みたいなこと言うな成実」
「・・・成実さんに賛成」
「Nice idea,成実!」

ひらりと華麗に180度回転した政宗の意見には溜め息を禁じ得ないが、成実はやはり気にも止めず縁側に並べる座布団の数を増やす。ふう、とひとつ溜め息を溢したの隣で政宗が心配そうに眉を潜めた。

「Hey、。大丈夫か?」
「なに?」
「まだ顔色が悪い」
「季節の変わり目はいつも体調崩すの。気にしないで」

実際は現代にいた頃は大層な偏頭痛持ちだった。
季節の変わり目と天候の崩れは誰よりも先に察知する、性悪で有能な頭痛で、気を抜けば簡単に体調を崩していた。
こちらに来てからはほぼ毎日が緊張状態だったし、なんて呼ばれてようやく馴染み出してしまったせいだろう。久しぶりの頭痛と吐き気。慢性的なそれをは気づかないふりをする。だいたい帯が苦しいのだ。慣れたとは言え元から馴染みのないものである。外の空気を吸っていればそのうち治まるだろうと高をくくる。それでもやはり、まだ心配そうな政宗の視線は堪えねばならない。
暫く成実が一人何かと話題を取り上げ、二人が適当な相槌を打っていれば女中を従えた小十郎達が帰ってきた。

「小十郎、今日は縁側で食うぞ」
「政宗様、またその様に子供のようなことを」
「だってよ成実」
「子供じゃないよ!」

言い分とは逆に子供のように頬を膨らました成実は、小十郎よりも先に女中達に指示をだしさっさと縁側に膳を並べてしまった。

「諦めろ」

政宗の幼子の様な笑みで言われてしまえば小十郎は何も言えなくなる。
綱元との二人分の溜め息の後、漸く全員の席の前に然が並んだ。仕方なしに座り込む。まだ幾つか文句を言いたかったのだが、それを打ち消すほどの昼げに関心したようだ。
白く艶やかに立ち上がる白米と、香りたつ大葉とさつま芋の天ぷら。深い色の天汁に添えられた大根おろしが食指をそそり、控えめな豆腐の吸い物に喉が鳴る。

「いつきの所の米だ。相変わらずいい仕事しやがるぜ」

まるで自分の事のように褒める政宗に小十郎も同意する。すっかり毒気が抜かれた小十郎を見計らい、成実は高らかに頂きまーす、とやはり子供のように手を合わせた。

「・・・っ、」

咄嗟に口元を覆った。香しい料理の臭いが胸に突き刺さる。せりあがってくる吐き気に耐えられず、の目尻に涙が浮かんだ。

「おい、?」

政宗の心配げな声に一同動きを止める。何事かと睨んでくる小十郎の視線がどうでもよくなるほどの、耐え難い気持ちの悪さだった。
ぐるぐると意識が回転し、一瞬の空白に吐き気が成りを潜める。政宗の声に返事をしようと手を離した瞬間だった。再び迫り来る料理の臭いに耐えられず、は身を屈めて着物を汚した。
少ない朝餉と微かな胃液が混ざるそれにますます吐き気が胸と喉を焼く。左右から聞こえるを呼ぶ声に反応もできずは体内に残る不快感を押さえ込んだ。

!!」
ちゃん!?」
「医師を!」

瞬間的に行き交う声を頭上で聞きながら、は飛びそうになる意識をなんとか繋ぎ止めていた。
誰かも判らぬ腕に引かれ部屋に横たえられる。口内を刺すような胃液の臭いに、は切々の声で水を、と囁いた。
直ぐ様湯飲みを目の前に差し出され、気持ちの悪さと一緒に水を飲み込む。
清涼のそれにいくらかの平静を取り戻しただったが、表情はまだ青白い。

、なぁ、大丈夫か?」

泣き出しそうな声で政宗が問う。は煩い頭痛と吐き気に反応さえ億劫だった。

「ごめん、なさい。気分が、悪くなった、だけ、だから」
「なにかの病気じゃねぇのか?医師はまだかよ!?」

吠えたてる政宗に怯えて女中たちが忙しく駆け回る。
自身とくに病気だなんて思っていなかったので、急の体調不良が恐ろしくなってきた。
ただの風邪でも、ここは未来のように抗菌剤があるわけではない。病死の確率は、現代より遥かに高いのだ。
そんな中、不安がる成実を押し退けて綱元がの傍に膝を付く。
節くれた大きな大人の掌がの額に添えられる。小さく熱いな、と言葉を落とした綱元はの脈を取った。

「・・・殿、月の物はありましたか」
「つ、き?」

疲れきった半眼で問い返せば、綱元が困ったように眉を寄せた。

「殿、恐らく懐妊なのではないでしょうか」
「懐妊、だと・・・?」
「嘘、綱元、まじで?」

成実と政宗の反応に、は何事なのだろうと職務放棄気味の脳を叩き起こしてその言葉を反読する。

「かい、にん」

霞がかる思考が意味を目隠しして答えに辿り着かない。もどかしい苛立ちと不快な吐き気が合間ってまします答が遠退いた。

「おめでとうございます様!」
ちゃんおめでただよっ!」
「でかしたぞ!!」

世話役の女中に続き、成実、政宗と祝福される。
懐妊、おめでた。でかした?
ぐるぐると思考を絡めとる言葉をなんとか解きほぐせば漸くひとつの言葉に形を変えた。

「妊娠、」

妊娠だなんて、と切り捨てようにも、この時代にはコンドームなんてなかったし第一毎回体の中に吐精をされた。生来の生理不順が仇になって気づかなかったのだ。
確実に生理が来ていない。

「妊娠・・・」

もう一度言葉にして腹を見る。
帯の下に収まった、膨れてもいないその腹の中には政宗の命が吹き込まれている。
嫌悪に血の気が引いて、は震えた。
じわじわと涙腺が緩んで鼻孔が痺れる。涙の行き先は感動ではない。

嫌だ、子供なんて、子供なんて生みたくないっ!

心中の叫びは音にならずにを引き裂く。
未だ膨れてもいない腹、そこが薄気味悪くては体を折り曲げまた嘔吐した。









終わりの中の始まり

(つまり、絶望?)