甲斐の虎若子が帰還した次の日にとんぼ返りでやってきた彼の忍が、宣言通り謝罪の書状と破損した領地修繕費を持って現れた。しかしながら激昂した成実と小十郎の熱烈な歓迎を受けてさっさと甲斐へ戻ってしまったので、も政宗も佐助に文句を言うことが出来なかったのであった。

「怪我を見られては侮られます。ご自重くださいませ」

といつもの堅苦しい小言にげんなりと表情を歪めた政宗は、小十郎から例の書状を受け取る。修繕費は既に綱元に渡ったのだろう、門前に集う職人達を尻目には政宗の隣でぼんやりとその書状に目を向けた。
最初は意味のわからないミミズの行列でしかなかったが、今ではすっかり公用語として使える。現代に戻れば古典は満点だろう。現代に帰れればの話ではあるが、だ。

「真田だけじゃなく武田のオッサンにまでこんなもん送られちまえばやり返せねぇじゃねえか」

不満たっぷりの声音で政宗は二枚の書状を乱暴に投げる。盗み見たそれには仰々しい謝罪と他意や謀を企てる気はなかったという文がつらつらと並べられており、確かに反撃の気力を削ぐ程丁寧な文であった。

「兎も角、今は同盟中。下手に動くのは関心いたしませぬ。如何に甲斐武田が政宗様の弱点を狙っていようと、この小十郎の目の黒い内はそんな真似はさせません」
「ha.頼りにしてるぜ、小十郎」

にやりと笑う政宗に一礼した小十郎。退室の際に「それではゆっくり養生下さい」と告げ襖を閉めた。
は内心嘆息する。
小十郎がに与えた命令は政宗が無闇に動かないよう見張ること。どうせすることもないんだから政宗様の養生に付き合いやがれ、てめえの所為で政宗様が負傷されたんだぞ。とあの硬質な声が聞こえてきそうな程の圧迫感だったが、実際その通りなのでは仕方なく命令通り政宗の傍にいることにしたのだった。

「ま、たまの休みだ。ゆっくりさせてもらうか」

言うや否や脱力しきった様で障子窓の枠へ寄り掛かり煙管を吹かす政宗。現代のものより幾らか薬草然とした苦い臭いには思わず顔をしかめる。それを見つけた政宗はからからと笑いながら紫煙を空に吹き上げた。

「煙は嫌いか?。未来に煙管はねぇのか」
「煙管はないけど煙草や葉巻はあるわ。あなたが吸ってるのよりずっとましな臭いよ」

嫌みっぽく毒を吐いても政宗は取り分け気を悪くした様子もなく、ただそうかと短く相槌を打つだけだった。
いぶかしみながら様子を伺えば、ちらりとこちらを見た政宗と目が合う。暫くの沈黙の後政宗は煙管を置き、そっとの方へと近寄る。
あからさまに警戒するを他所に、目の前で膝をついた政宗は手の甲をの額に触れさせた。

「・・・何?」
「お前、顔色悪くねぇか?」

ぴくりと反応したはばつが悪そうに視線を逃がす。強制力のある声で、と呼べば、観念した様には溜め息を吐いた。

「少し気分が悪いだけです」
「薬師をっ」
「大人しくしてれば治ります!」

いきり立つ政宗を宥めれば、それでも不安そうに大丈夫か?と政宗は問いかける。
からしてみれば政宗のほうが顔色は悪いし怪我は酷い。
それなのにばかりを気にかけるのは何故なのだろう。は愛ではないというのに。

「・・・愛姫、」
「ah?」
「ねぇ、愛姫ってどんな人だったの?」

思考が流れ、は愛姫の存在を知らないことに思い至る。の問いかけには政宗も幾らか目を丸くし、あー、と英語とも日本語ともつかない力ない声をだした。

「なんでまた?」
「あなたがそんなに固執するような女の人だから。私にそっくりなんでしょ?気になって」

それに暇潰しよ、と付け加えれば政宗は目を丸くしたまま暫く固まり、そうして困った様に笑いながらまた煙管を咥えた。

「hum.女ってぇより、餓鬼だったな。俺も愛も。あいつは数え年十三で俺の妻になった」
「じ、13!?」
「なんだそんなに驚くことか?」
「私が生きる時代じゃ政略結婚なんてないのよ。だからみんな自由恋愛で結婚するし、最近じゃ30手前の結婚だってあるんだもん」
「三十!?それこそ行き遅れじゃねぇか」

心底驚いた様子の政宗目を剥いて意見する。その真剣過ぎる様が面白くて少し笑えば、それにまた驚いた政宗が煙管の火を落として暴れた。

「熱ぃ!!」

情けない姿にまた笑える。はくつくつと声を殺して笑いながら、手近に合った濡れた手拭いを渡してやった。

「Thank you.・・・思えば愛はお前程気が回らなかった。今みたいに俺が火を落とせば馬鹿みたいに笑うようなクソ餓鬼だったぜ」
「・・・意外」

殿様の妻ならばきっと清廉潔白な大和撫子、三歩下がって影踏まず。立てば芍薬、座れば牡丹。歩く姿は百合の花 。そういった感じの女性を想像していたなのだが、その実はまだ年端もいかない少女だったとは。思わずぽかんと口を開いてしまったはしかしながら13歳なら仕方がないだろうと、自分の想像していた愛姫像を振り払った。

「嘘はつけねぇ作り笑いは出来ねぇ。米沢に来た一週間は親が恋しくて泣いたし乳母たちを困らせた。その癖落ち着いたと思えば探検だなんだって城を駆け回って女らしさの欠片もなかった」

ますます想像から離れていく愛姫像には言葉もない。

「嘘がつけねぇ分馬鹿正直でな、俺の目を怖いと言った」

眼帯の上からするりと撫でる。
はその眼帯の下を知らない。故に純粋に政宗の目付きの事だと受け取った。

「なのに一年も立たないうちに俺の目が好きだと言い出した。よくみれば政宗様は男前だわ。なんて言ってな」

その時を思い出してか、政宗の口角が柔らかく微笑む。
はただ静かにそれを見ていた。

「あけっぴろでなにも繕わないような奴だった。俺はあいつのそんな自由な所を愛していた・・・」
「私とは大違いね」
「確かにな。成長したらずいぶんいい女になった。気高く聡明で、いつも俺を支えてくれた。どんな圧力にも屈しない、美しい女だった」

ふぅ、と情緒たっぷりと政宗が紫煙を吹き上げる。蒼天に融ける煙を視線で追いながら、それでも政宗は目尻を蕩かせ微笑んだ。

「俺はめごを愛していたんだ・・・」

短い独白に相槌はない。
もまたぼんやりと政宗の吹き出す紫煙を見送った。
と愛は違いすぎる。
改めて認識してしまえばますます浮き彫りになる自分達の違いに、は自嘲気味に笑みを浮かべた。

「そうして愛姫が忘れられないから私を抱くの?まるでおままごとね」
、」
「案外女々しいじゃない」

一度言葉に詰まった政宗だが、暫くの沈黙の後に浅く溜め息を付いてに詰め寄る。
やはり大袈裟に肩を震わすは、それでも気丈に政宗を睨みつけた。
困ったように笑う政宗。しなやかに腕を伸ばしての顎を柔く捕らえる。こちらを睨みつける視線を奪って口付けた。

「飯事でもなんでもいい。それでも俺にはお前が必要なんだ」
「嘘吐き」

必要なのは愛姫で、は愛の身代わりだ。ただの身代わりでしかないは本当の意味で必要とされているわけでもない。
政宗の腕にされるがまま、容易く押し倒された人形に意思なんてない。人形は支配されるから人形なのだ。
いつものように畳に縫い付けられれば、障子窓の向こうの蒼天が瞳に突き刺さる。

「それでも俺にはお前が必要なんだ」

抵抗ひとつしないにもう一度小さく囁いた政宗は、無言の拒絶に許しを乞う様に細い首筋を甘くねぶった。
は人形のように、がらんどうの瞳で政宗を見る。

「嘘吐き」

微かな声音は風に浚われ掻き消えた。
指を絡められた掌から伝わる熱が熱い。
はただ、その熱の終着点である愛姫を思いながら、無感動に肉体の所有権を放棄した。









朽ちた花にも

命があるなら