ふと右手に集まる熱に瞼を震わせる。どうやらうとうととしていたらしい。緩やかに瞼を開けば、こちらを見つめる政宗の隻眼と視線が合わさった。
だが部屋には奇妙な沈黙が満ちており、どちらも口を閉ざしたまま数秒程見つめ合う。
お互いが何かを言いあぐねいていて、その不可解な沈黙に耐えかねたのか、先に口を開いたのは政宗であった。

「・・・ah‐.どれくらい寝てた?」
「わ、わかりま、せん。私もうたた寝した、から」

びくりと揺れたに政宗は一つ苦笑して上体を起こす。途端醜悪に歪む顔色は痛みに染まって、まで一緒に眉を顰めた。

「・・・甲斐へ、行きたいのか?

静かに放たれた音は問答無用にの心臓を締め上げる。まるで万力にかけられるような耐え難い鈍痛には息を飲んだ。

?」

少し覗き込むようにして政宗が上体を屈める。透き通る隻眼の意図が読めず、が下唇を噛み動揺を耐えた。

「・・・そんなに奥州が嫌か?」
「そうじゃ・・・ない、」
「?」
「奥州も甲斐もどっちも嫌。私は家に帰りたい」

城のように大きくもない。広い領地もない。使用人だっているはずのない一都市にある小さくこじんまりとしたありきたりな我が家。あの家が恋しくてまた瞳が潤む。毎日がホームシックなのに、心の中の情景は涙と一緒に滲んでしまって、それがますます悲しくては目尻に涙を溜めた。

「Here is your house.ここに居ればいいじゃねえか」
「違う。私の家はここじゃない、私の居場所はここじゃない」

歯を食い縛り涙を堪えるの頬を政宗の掌が撫でる。

竜の爪を握る指は節くれ皮膚は固い、大きな男の掌だ。まだ体は起きていないのか、その掌は仄かに暖かかった。
こちらを見つめる政宗の瞳は孤独な子供の目で、の右手を掴む腕に力が増すとまるで置いていくなと強請るよう。十九の男には似つかわしい、そんなちぐはぐで矛盾した様子があった。

「俺を置いていくな。何処にも行かないでくれ。黄泉になんか返したくなんかねぇんだ。、傍にいてくれ。Please, please hear that I say・・・」

小さくなる言葉尻。
はなけなしの意思を絞り出して首を降れば、政宗はますます泣きそうに表情を歪めた。その顔色は今にも涙が溢れそうで、泣きたいのはこっちだとは呆れた。

「ねぇ、もうわかってるんでしょ?私がめごじゃないって、わかったでしょ?成実さんに全部聞いたでしょ?だからって呼ぶんでしょ?」

私はめごじゃないんだよ。
あの日、初めて出逢った日からずっと唱えてきたの主張に政宗の瞳が揺らぐ。
めごと囁いた唇は今ではと名を呼んだ。それでも行くなと懇願するその無視できない矛盾にの表情は険しさを増す。
俯いた政宗は幾ばくかの間を開けてもう一度の腕を捕らえた掌に力を入れた。六爪を奮う握力は計り知れない。鋭い痛みに小さな悲鳴をあげれば、政宗の隻眼とかちりと視線が合わさった。

「全部聞いた。その通りだ。あんたは、めご、じゃ、ない、」

雨粒のように零れ落ちた音が余りにも透明で、は思わず呆けてしまった。
悲しみも落胆もみんな突き抜けとなくなってしまったような感覚なのだろうか。
愛の死を認めた悲しみと、が愛ではない怒りか。
そのどちらもが、感情というそれらが溶けて滲んでいく色を失くす。
は返す言葉が見つからない。ただ不意にこの空間がいたたまれず、切に家に帰りたいと願った。

「・・・ねぇ」
「え?」
「帰さねぇよ」

どうやら勝手に唇が放ったらしい願望に政宗の独眼が煌めいた。ただそこにあるのは凶暴さの欠けた子供の我儘しか見いだせない。
無垢な子供の眼差しが、を見ていた。

「私はめごじゃない」
「I know it.だが俺にはお前が必要なんだ」
「私にあなたは必要ないの」
、」
「お願い離して、痛いわ」

とうとう堪えかねて言ってしまえば、政宗は存外簡単にの手首を解放した。確かに赤くなったそこを撫でながら非難がましく政宗をみれば、本人は気まずそうに視線を泳がせる。ため息一つ溢した後、はゆっくりと口を開いた。

「私が未来の人間だって、成実さんに聞いたんでしょ?だから私が必要なんでしょ?」
「No,そうじゃねぇ」
「聞きたい情報なら幾らでも教えるから私を家に帰してっ・・・」
「そんなものは必要ねぇ。俺は自らの力で天下をとる。お前を利用したくない」

宥めるように、を包もうとする政宗の柔らかい声。刹那、は乱暴に立ち上がった。

「馬鹿言わないでよ!あなたが天下を取る日なんて一生来ないわ!」
?」
「天下を取るのは織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三人だけよ」

は政宗を見下ろしながらせせら笑う。苛立ちを孕む瞳がごうごうと燃えていた。

「信長は明智の謀反で殺されて、信長の部下だった秀吉が明智を殺して、秀吉が病死したら家康が天下を手に入れるの!歴史にあなたが出る幕なんてないのよ!」

強く言い切り肩で荒く息を吐く。の剣幕に押されていた政宗は、暫く呆けた後に「Really ?」と小さく呟いた。

「未来人が言うのよ。外れるはずないわ」
「違いねぇんだな?」
「しつこいわね」

きつく睨み付ければ政宗はあのいつもの三日月の笑みを引っ張り出し、さも楽しそうに口角を歪めた。

「何がおかしいのよ」
「いやぁ、俺が天下を取る日は遠くねぇかもと思ってな」
「私の話聞いてた?」
「Of course.だが俺が知る限り明智は既に魔王のオッサンに殺されてるし、豊臣が魔王の下についていたことはねぇ。家康のちびはすでに明智に殺されて三河は焼け野原。その意味が分かるか?」

そう広くない部屋の中で政宗の言葉を聞き逃すことはそうなく、はゆっくりと政宗の言葉を咀嚼した。

「・・・うそよ」
「It is not a lie.」

即座の否定を容認する情報をは持ち得ていない。だが覗き見る政宗の瞳が透明に透き通っているのを見てしまえば、それが真実と知るのに相応しかった。

「俺は未来を変えて見せる。お前はここでそれを見届ければいいじゃねぇか。この奥州陸奥の国、ここがお前の世界になるんだ」

目尻を和らげ笑う政宗の笑みに潜む狂喜と慈しみには言葉を失くした。
自分の知る全てが足元から崩れ落ちる幻聴を、その時は確かに聞いた。









いつかの何かが

壊れる気配