「猿、てめぇ人の女になにしてやがる」 ぎらぎらと怒りに染まった隻眼に、佐助は内心舌を打った。既に幸村と手合わせを始めたと思っていたが、どうやら検討違いの上に失敗だったらしい。予想以上の殺気を当てられ立つ瀬がない。背筋を走る冷や汗、目の前のは細い体を抱き締め歯の根が合わぬほど震えていた。 「やだなぁ、そんな怖い顔しないでよ竜の旦那ぁ」 「Shut up!真田の前にテメェを八つ裂きにしてやるよ」 「嘘だろぉ!?ほ、ほんと謝るからさぁ」 ひらひらと両手を降り降参体勢の佐助は、普段通りの軽い口調で間を取り繕いつつ、ちらりとを見下ろした。 (どうやら、相当大切な側室みたいだねぇ) 佐助はの名を知らない。だが持っていた小刀に誂えられた家紋は田村ではなかった。正室でなくともこれ程までに寵愛を受けているならば交渉の人質には最適である。今は同盟中であれ、伊達の力は馬鹿にできない。再び戦火が燃え上がる前に潰しておくのも一つの手だ。それに側室であれば地位は正室よりも低い。考えれば考える程に魅力的な存在、佐助はさっさと連れ去れば良かったと落胆した。 実際はは側室でも正室でもない、ただの正室代理という所なのだがそれを佐助が知るはずもない。無駄に労した策に嘆くのはまだ先のことである。 「妙な事はされてねぇか?」 の傍へ寄り優しく問いかける政宗に佐助は堪らず目を見開く。佐助が知る政宗とは程遠い、その声音は思わず鳥肌が立つ程の優しさが滲んで、忍ぶ事さえ忘れて佐助は寒さを堪える様に両肩を擦った。 対するはなにも言えず俯くままである。 沈黙を否定ととった政宗はさらに表情を鋭くさせて佐助に刃の切っ先を突きつけた。 「覚悟は出来てんだろうな?」 「ちょっと待ってくれよ竜の旦那ぁ!!別になにもしてないってば!」 「Ah?男が言い訳なんざらしくねぇ」 「言い訳じゃないって!俺様はただそこのお姫様が奥州は飽きたって言うから甲斐にお招きしようって話をしてただけだよ」 捲し立てる佐助の言葉は嘘と真実が半々程度。嘘を付いていないとは言い切れない内容でに向かって片目を瞑った。 場違いな程にこやかなそれに、虚をつかれたは殆ど反射で首を縦に振ってしまった。 「甲斐に物見遊山したいのか?」 「てなわけでさぁ、今日の手合わせ、うちの旦那がかったらそのお姫様の身柄預かってもいーい?」 へらりと笑う佐助を無視して政宗はの頬に触れる。 「甲斐に行きてぇのか?」 途端は瞼を見開き息を飲んだ。 瞬間風の音さえやみ、世界の音が政宗の声だけになる。 は漸く政宗に向かってゆるゆると視線を戻した。泣き出しそうな隻眼が、を見ていた。 「な、んで、」 名前、そう続くはずの言葉は新たに推参した音に掻き消される。「政宗殿ぉぉぉぉ!!」と大地を揺るがす大音量に佐助はやれやれと溜め息を付いて事の次第を説明する。多少の脚色を入れたのだろうか、幸村は鬼の形相でと政宗の間に割入った。 「政宗殿!いくら夫婦とは言え、女子に束縛するなど不届き千万にございますぞ!」 「はぁ!?」 「武士の風上にも置けませぬ!!政宗殿がそのように粗暴な方とは。見損ないましたぞ!」 「Ha!言うじゃねぇか。女も知らねぇチェリー風情が」 「破廉恥なっ」 かっと頬を赤く染めた幸村は政宗からを庇いながらその姿を盗み見る。 混乱と涙に濡れた表情が酷く保護欲を誘った。 「おい猿」 「いつもの手合わせじゃつまんないっしょ?ほら、手合わせを楽しくするあいであってやつだよ」 へらへらと緊張感の欠片もない表情に政宗は盛大に舌を打った。 そうして幸村を追うように成実と小十郎が到着する。小十郎は直ぐ様政宗の隣で刀を構え幸村を睨み付け、事態を把握しあぐねる成実はの肩を抱いて戦線を離脱した。 「はっ!ありもしねぇ疑いをかけられるなんざ武士の名折れだ。その提案受けてやるぜ、猿。だが、独眼竜に喧嘩売って只で済むと思うなよ。You see?」 流暢な異国語を合図に、竜の六爪が抜き放たれる。 血に飢えた獣の様に、政宗は獰猛な笑みを浮かべ口許に三日月を讃えた。 |