ぱち、と一つ瞬きをしてから体を起こす。
目覚ましいらずになった体に感嘆を覚えつつ、は肺いっぱいの朝の涼やかな空気を吸い込んだ。
政宗不在は早四日、成実と親しくなってもう四日目、なんとも過ごしやすいのだろう。
翌日現れた成実は泣きつかれたことを責めるでもなく、優しくの名前を呼んで未来の話をせがんだのだ。
初めて自分を知ろうとしてくれた成実に、はほとんど心を許しきっていたし、拒絶する言われもなかったのであらゆる未来の情報を話した。
家の事、学校の事、自動車や家電、政治制度は世界情勢。成実はどれも感心したように何度も頷きながらの話を聞いてくれた。
成実はいつも和菓子てお茶を持参してくれ、去り際はいつめ「またね」と笑ってくれる。
日々の絶望を塗り替える優しさに、は政宗達が一生帰ってこなければいいのに、と溜め息を吐いた。
布団を畳み、空気を入れ替え軽く伸びをする。本当は掃除も始めたかったがまだ寝間着だ。
それに以前勝手に布団を畳んで掃除をした時は、女中さんに叱られてしまった。しょうがないので大人しくしていよう。
諦めの吐息で思考を区切れば、丁度着替えの時間になったようだ。

「まぁ愛姫様!またご自分でお片付けなさって」
「ごめんなさい、なんだか動きたくて」

気分が高揚しているのだ。
鬼の不在と心の拠り所を得たのだ。晴れやかな気分なので致し方無い。
苦笑する女中はそれ以上なにも言わず、何時ものように丁寧に着付けを始めた。

「あ、あの、」
「はい、何で御座いましょう?」
「今日は成実さん、いつ頃来られますか?」
「はぁ、今日は成実様は鬼庭様とご会談があるそうですので、会えるのは夕刻かもしれないそうです」
「夕方かぁ、ありがとうございます」

丁度着付けも終わり、二重の意味でお礼を言えば、女中たちはしずしずと下がる。食事を運んできてくれるのだ。
それでは食事の後は何をしよう?
やはり政宗たちがいないだけでもう殆ど緊張はしない。
そう考え散策はどうかと思案する。
が知っているのは政宗の部屋と執務室と成実の部屋程度だ。城内の自由は許されているので誰も咎めはしないだろうし、上手くいけば脱出経路が見つからないだろうか。
は手早く予定を立て、丁度運ばれてきた朝食に手を合わせた。


食事の後、付いて回ろうとする女中たちは丁重に断り、は軽い気持ちで部屋を出た。
悔しいがこの城の庭は美しい。にとってしてみれば、文化遺産レベルに相当する。あの城主からは想像もつかない、気品ある庭。は素直に庭師を称えることにした。もちろん、心の中でではあるが。先に聞いておいた庭をゆっくりまわる。日差しや季節を考慮して作られた庭の美しいこと。上品な錦鯉がゆらゆらと泳ぐ様を、は身を乗り出して覗いていた。

「今日はいいのか?」
「あーうん、夕刻には顔出すしねぇ」

はた、と顔をあげれば通路向こうの障子から話し声。片方は聞き覚えはないが、もうひとつは成実だ。

(誰だろう?)

そう思いながらも、仕事の邪魔をしてはならない。音を立てずにはそろそろと後退を始める。

「まぁ身辺洗ってみたけどやっぱ天涯孤独だよ。てゆうか存在した証拠がない」
「黒脛巾を使っても、か」
「これはこれで信憑性があがっていいじゃん」
「未来人、か」

はふと顔を上げた。
向こうの様子はわからないが、どうやらの事を話しているらしい。幾らかの好奇心が、の歩みを止めさせた。

「どうよ、綱元!」
「愛姫様の身代り以外に利用価値があったとは」
「未来の人間は俺らより随分長生きらしいしね。あの子が梵の子を生めば、伊達ひいては奥州は安泰だ」
「それだけではない。未来から来たと言うのなら、戦乱の世の終結さえ知っているだろう。吐かしてでも暗殺をするべきだな」
「まぁ、最終的には梵の判断だけど?」
「お前はそれまで愛姫様を手懐けろ」
「わかってるよ。綱元は協力してくんないの?名前呼べばころっと懐くよ?単純でかぁいいのー」
「・・・あまり深入りするな。もしもの時は殺せるのか?」

低い声は、ここにいない小十郎を彷彿とさする。
は空気を求めて人知れず喘いだ。

(成実さん・・・私の事を知ろうとしてくれたのは・・・私を利用する為?優しくしてくれたのも・・・全部・・・。嘘だ、成実さんはあんなに優しかったもん。私のこと、殺すなんて、)

「なに言ってんの、綱元。あったりまえじゃん。あの子が梵の天下の邪魔になるなら、俺は躊躇なく殺せるよ」
「流石は武の成実といったところだな」
「やだなー」

朗らかな調子の会話には目の前が徐々に滲んでゆく。
騙された、騙されたんだ。
優しくしてくれたのは、私を手懐ける為だったんだ。
成実さんも一緒だったんだ。必要なのは私じゃなくて、私の体と知識だけだったんだ!

悔しいさと怒りは、混ざり合わさり形を失い、悲しみの色をもってしてを飲み込んだ。
頭痛と涙が手を組んで、から立っている気力さえ奪っていく。
ぼろぼろと頬を伝う涙を拭うこともせず、は逃げるようにその場を後にした。


心配する女中たちを閉め出して、は床に伏して涙を流した。
許せないのは誰だろう?政宗?成実?神様?それとも自分?
簡単に気を許してしまった自分が馬鹿馬鹿しい。この世界に優しさなんてひとつもないんだ。
脳裏に浮かぶ両親の微笑みとクラスメートや教師の顔。
耐えきれずに子供の様に泣きわめく。呼吸さえもままならない。このままだか殺して欲しいくらいだった。

「あらあら、みっともない、また泣いておりますの?愛姫様」
「まぁ嫌だ」

許可なく開かれた襖の先には美しく着飾る女性が二人。
身なりからして女中ではなさそうだが、には関係ない。直ぐだ視線を床に戻し、声を殺して泣いた。早く出ていって欲しいが、ひくつく喉では言葉にならないので諦めていた。

「そうやって泣いて、今度は誰に慰めて頂くのでしょうね」
「政宗様に片倉様。最近では成実様にも言い寄っているんでしょう?なら次は鬼庭様で?なんて厭らしい女」

唐突にぶつけられる暴言。あまりの事に涙も止まり思考さえ空になる。虫の居所も最悪で、は拳を握り二人の女を睨み付けた。世界中の全てが憎かった。この瞬間なら、小十郎の眼力だって凌いだだろう。

「おお、怖い。まるで手負いの獣」
「野蛮な愛姫様は狐付き違いありませぬ。さっさと愛姫様から出ておゆき!!」

奥から桶を持って現れた女中を認識した途端、大量の水がに降り掛かる。叫ぶ間もなく部屋は水浸しになり、呆然とするを余所に女たちは上機嫌にけらけらと笑い声をあげていた。
額に張り付く髪をかき分ける。開けた視界の先には酷い形相の女たちがこちらを見ていた。

なんで?私がいったい何をしたのよ?

もう誰を呪えば良いのか分からない。怒りも悲しみも、無気力に昇華される。は一切の思考を断ち切った。

「わかったかしら?お前は邪魔なのよ」
「愛姫様ならまだしも、お前のような下賤な女子。伊達の名は相応しくなどない」

解りきったことを。
は薄く笑う。そんなことは、が誰よりも解っていた。

「さっさと自害でもおし」
「目障りったらありゃしない」

可憐な扇子で口許を隠す女は、乞食に恵むようにに何かをぶつけた。
咄嗟に受けとれずそれは額にぶつかり、痛みに呻くを嘲笑いながら、女たちはさっさと部屋から遠ざかっていく。
次いでバタバタと響く音。
はさっとぶつかった黒い塊を隠した。

「め、愛姫様!一体どうされましたか!?」
「・・・さぁ、よく、わかりません、ごめんなさい」

驚く女中達にあやまる。
濡れた部屋や着物を綺麗にしなくてはならないのは彼女らだ。
彼女たちはとても優しい。そして彼女たちは心底をめごだと信じている。
は申し訳なく思いながらも、内心で暗く微笑んだ。

誰も、なんかいらないのだ。









転がり続ける坂道の先