「愛、留守を頼む」
「・・・はい」

馬に跨がる政宗に対し、は俯き加減で小さく答えた。
端から見れば、夫の留守を寂しがる妻に見えるだろう。現に兵卒達は「愛姫様の為に早く帰ってきましょうぜ!筆頭!」と叫ぶ輩がいるくらいだ。
政宗は苦笑しながら頷き「行ってくる」と短く告げ、馬を走らせた。続く小十郎はを一瞥し、政宗の後を追う。そして残りの兵達も背を見せて駆け出した。
門が閉じられ、は自由を感じる間もなく女中達に部屋へ連行される。
愛姫付きの女中たちはみな愛想よく世話を焼いてくれるが、やはり彼女らは愛姫様とを呼ぶ。初めて訪れた鬼の居ぬ間なのだ。自由とは言い難いが、幾らか心を休ませたい。
は世話役達をみんな下がらせ、与えられた部屋に倒れ伏した。

今回の遠征は長くて一週間と言っていた。
羽を伸ばすような事は出来ないが、長くて一週間は精神の圧迫が減る。
だが最初に無理矢理行かされたお見送りで既にどっと疲れた。は長い髪を無造作に掻き上げ、簪を刺す。
季節は夏初めだ。
奥州はどうやら北陸らしい。ビルや車もないのであの茹だるような暑さもなく、初夏にしては比較的過ごしやすい。だがやはり太陽は眩しく扇風機もないので涼しいとも言えないのであった。
暫くぼんやりとしてみるが、風が吹くわけでもない。

「ひま、」

携帯いじりたい、漫画読みたい、映画観たい、ドラマ観たい、チョコレート食べたい、アイス食べたい、買い物行きたい、プール行きたい。何より家に帰りたい。

涙はとうに枯れ果てたと思ったが、まだまだ沢山泣けるらしい。
つんと痺れる鼻を啜りながら、は無い物ねだりを諦めた。
気を紛らわす術は心得ている。与えられた本などの幾つかの娯楽品を見回し、はどれに手をつけようか思案した。
は歌や習字、お茶やお華まで習わされているが、一番のお気に入りは琴だった。
一ヶ月もお嬢様然として生活していれば、それなりの教養もついたし、なにより平成は音楽が溢れていた。音源には不自由しない。
そうして適当に弦を爪弾いた後、はつらつらと音を鳴らし始めた。
童謡などは避け、ポップスや洋楽のメロディラインを綴る。
時折、思い出した様に歌詞を歌ってみれば、あの時代と自分の繋がりの存在に安堵した。

「やぁ、上手い上手い」

パチパチと控え目な拍手が聞こえ、は驚いて顔を上げた。
女中が下がったならある程度の人払いは出来ているはずだった。
開け放たれていた障子の向こうには人影。
その人相には息を呑んだ。

「愛ちゃん久しぶりー」

へら、と相好崩して笑う顔は政宗と酷似している。導かれた答えには唇を震わせた。

「成実、さん」
「やーだ、なんだよそれ。いつもみたいに成様って呼んでくれればいいのに」

快活に笑う成実はそのままの隣に腰を下ろす。
はいたたまれずに手を休めれば、丸い瞳が弾かないのかと問いかけていた。
仕方がないと嘆息し、好きだったアーティストのバラードなんかを弾いてみる。恋人を心配して支えたいと願う女性の歌だ。
成実は目を閉じ一心に音色を聞き、わずかにはにかんでなぞるように鼻歌を歌った。

「綺麗な曲だねぇ、愛ちゃんの自作?」
「いえ・・・」

妙に馴れ馴れしい成実は、まるで餌を見つけた犬の様に目を輝かせている。しかし答えに詰まる。小首を傾げる成実がまた口を開こうと名を呼んだ。

「愛ちゃんさぁ」
「・・・ちが、ぅ」
「ん?」

思わず反射的に声をあげてしまう。それでも音を落とすくらいの理性はあったらしい。問い返してくる成実の顔が見られず、は琴を睨み付けた。もしもこの事を小十郎にでも知られれば、の命は無いかもしれない。

「違うの?」
「・・・」
「じゃあ、なんてーの?」

なまえ、と響いた音にはゆるゆると顔を上げた。政宗とそっくりな顔をした成実が笑っている。
赤子を見下ろすような甘い笑み。は自分の頬を伝う涙の存在に気づけなかった。
それほどまでに、成実の笑みは優しかった。
ささくれた心を蒸したタオル包まれるような。確実に浸透する暖かさ。

・・・」
ちゃん?」

途端、堰をきったように涙が溢れる。ぼろぼろと流れる大粒の涙に、成実は一瞬だけ驚いて、苦笑しながら自分の袖での涙を拭ってやった。

「わ、わた、し・・・」

ひくつく喉が声を乱す。それでも成実は「ん?」と急がす急かさず優しくの言葉を待つ。

「わた、し。め、ごじゃ、ないん、です。めごじゃ、なくっ、て、っ、てゆう、な、名前で」
「うん」
「こ、こに、む、無理矢、り、ずっと、あの、人が」
「うん」
「な、なん、かい、も、こ、殺、殺される、て、思って」
「うん」

私、めごじゃないんです。って名前のただの高校生なんです。お姫様じゃないんです。伊達政宗の奥さんなんかじゃないんです。本当はこの世界の人間じゃないんです。戦国時代に生まれた訳じゃないんです。平成ってゆう、もっと、ずっと、今よりとっても先の未来の人間なんです。ここは私の居場所じゃないんです。ここにいたくない。家に帰りたい。私、家に帰りたい。

ぐずぐずとみっともなく泣き続けるの頭を、成実は優しく撫でながら、時折緩く相槌を打つ。
それがあまりにも優しすぎて、張り積めていたの精神は容易く崩れる。
成実は辛抱強く、が落ち着くまで好きにさせてやることにする。
時折あがるの言葉を脳に叩き込みながら相槌をうつ。
次第にしゃくりは小さくなり、はとろとろと瞼を落としてしまった。
精神的疲れと泣いた疲労が合間って、どうやら眠りに落ちるらしい。

生まれたての赤子のような純粋さ、あり得ないほどの危機感のなさ。どれも一線を凌駕するに、成実はゆるく口角を歪めた。

「未来人かぁ、面白いね、ちゃん」

泣きつかれて寝入ってしまったを置いて、成実は自室へと足を向けるのであった。









なかなかどうして

利口な君は