結局そのまま泣き疲れて眠ってしまっていたらしいは緩く瞼を開いた。
壁に凭れていたはずなのに、いつの間にか布団に入れられている。誰かが敷いて運んだのだろう。
それにしても敵地で泣き疲れて眠ってしまい、その上気付かないとは。
は忌々しげに舌を打った。

「めご、起きたのか?」

襖が開き、政宗が顔を覗かせる。瞬時に表情を強張らせたに苦笑しつつ、政宗は膳を持ったままの部屋に滑り込んだ。

「腹減ったろ?飯はどうだ?」

にっと笑って腰を下ろす。
真っ白の白米に匂いたつ豆腐の味噌汁。大根おろしが添えられた焼魚とほうれん草のおひたし胡麻和え風味。胡瓜と茄子の漬け物に黄金色のだし巻き玉子。醤油や胡麻の甘やかな香りが食指をそそる。
美しく皿に盛られたそれは高級料亭さながらで、は少しながらすれた心が解されるのを感じた。

「美味そうか?みんな俺が作ったんだぜ?随分上達したろ」

上機嫌に箸をとる政宗は手ずから魚の身を解す。
嬉しそうななにかと話を始める政宗はどこか子供のようで、とてもに乱暴を働いた男と同一には見えなかった。
よし、と満足した声に膳を見れば魚は綺麗に解体されている。に箸を渡し、政宗は急須をくるくる揺らし桜の模様が誂えられた湯飲みに茶を注いだ。

「さ、食えよ」

正直手なんてつけたくなかったがほぼ一日何も口にしていない。その上の心身衰弱。美しく膳は弱りきったに幾らかの食欲を思い出させた。
くぅ、と本人にしか聞こえないほどの腹の虫の音。
は観念して箸を取る。
程よい塩加減の魚に大根おろしの本来の甘さ。
母の料理を凌ぐのがこの男かと思うと酷い違和感を感じた。
ゆっくりゆっくり箸を進めるの傍で、政宗は食事の邪魔にならない程度に口を動かす。は適当な相槌を打ちながらも食事に没頭していた。悔しいが、美味しい。
大した返事はいらないらしく、政宗はがそこに居るだけで上機嫌だ。時おりめご、と呼ばれることが疎ましい以外の何者でもないが、犯罪者に従うのは唯一の保身になる。は小十郎の視線を思い出しぶるりと背筋を震わせた。

「めご?寒いのか」
「・・・いえ、お気になさらず」

今だけは、めごを否定するのはやめておこう。命の保証なんて要らないとはいったが、やはり死にたくなんてない。は奥歯を噛みしめ、苛立ちを熱い茶で押し流した。

食事を済ませたあとまた女性らが現れ膳を下げる。することもなく二人っきりになってしまえばの頭に警鐘がかき鳴らされた。
政宗がした仕打ちを、は忘れられるはずもない。
体よく敷かれたままの布団に戦慄しつつ、は逃げようと思考を巡らせたが四面楚歌すぎる。
第一声を上げた所で前回よろしく誰も来てはくれないだろう。
その八方塞がりの状況を突き破るように、政宗は酷く柔らかな声でを呼んだ。

「めご」

緊張していたの体は大袈裟な程にびくりと揺れる。
政宗は気を悪くした様子はない。ただ苦しそうに、泣き出しそうにの肩を抱いた。
めご、めご、と響く声は迷子の子供のようで、絶え間なく呼ばれる名前は雨みたいに止めどない。
犯される様子はないようではほんの少しだけ体の力を抜くことが出来た。

「本当によかった。お前が帰ってきてくれて。俺には小十郎も成実もいるが、家族はやっぱりお前だけだ。お前だけなんだ、めご、めご」

骨が軋みそうな握力に息が詰まる。同時に感情も軋む。
自分はそのめごに似ているからあんな目に遭わされ、今もこうして理不尽に縛り付けられているのか。先程の誓いは、もう力を失っていた。

「私は、めごじゃない」

はっと顔を上げる政宗の左目が揺れていた。は出来るだけ虚勢を張って、政宗のすがり付く視線から逃れようとする。

「私はあなたのめごじゃない」
「お前はめごだ」

即反応して見せた政宗の声は震えていた。
は気丈に政宗を睨み上げる。瞬時に後悔した。
先程まで悲しそうに揺れていた眼は、多分、怒りと失望に燃え上がっていた。
殺される。
理解した所で解決すまい。
は強く握られた肩を潰される勢いで布団に縫い付けられた。
後悔したって後の祭り。
は悲鳴さえあげられず、かたかたと震えるしかなかった。

「お前はめごだ。お前がめご以外だと証明するもなはねぇ」
「わ、私の鞄や制服があるわ」
「へぇ、だが残念だがもう燃やしちまった」
「燃やしたっ!?」

にやりと笑う口許の悪どさ。暴君の笑みには声を荒げた。

「めごは黄泉から帰ってきた。あんなものがあればめごはまた黄泉に消えちまう」

現実離れした思考には思わず閉口した。黄泉とやらがの知る言葉と一致するなら、めごという人間は死んでいる。そして死んだ人間は蘇らない。子供だって知っている。
は改めて政宗に恐怖を抱いた。小十郎も、他の女たちも、他の男たちも。には理解できない。彼らは目隠しをしているんだ。めごの死を受け入れられないんだ。

「お前はめごだ。俺のめごだ。俺の妻だ。俺だけのものだ」
「いや、いや、いや」
「めご、あいしてる、めご」

呪いの言葉がを縛る。
恐怖の鎖が体を絡め、舌舐めずりしてを飲み込む。

「お前は俺のものだ」

夜の帷を切り裂いて、の甲高い悲鳴が空間を裂く。
政宗の中の獰猛な獣が首をもたげ、三日月の笑みを持ってしての征服を開始するのだった。









仮にあなたが

あなたじゃなくても