「愛姫様はどうやらお疲れのようですので、私が部屋にお連れいたします」 「すまねぇな、小十郎」 小十郎と呼ばれた強面男がの前に立つ。 ついにぼろぼろと涙を溢れさせたの背を撫で宥めようと政宗が勤めるが、今のはそれが疎ましくて堪らない。吐き気がする。 「愛姫様、こちらへ」 「だから私はっ!!」 言いかけた刹那、息が詰まった。 刃物を押し当てられるかのような緊張感。 小十郎の瞳にが映る。人を二、三人は殺していそうな目に、は体から力が失せた。 恐怖に腰が抜けたのだ。 「愛!」 「ご安心ください政宗様。お疲れのだけですから」 やんわり言いくるめる小十郎の目はもう穏やかだった。その目にすでにはない、政宗だけが映されている。 は感じた寒気を無視することが出来なかった。 ここは可笑しい。異常だ!誰もが常識を逸している。 だが政宗とは違う恐怖を与えてくる小十郎に抗えるはずもなく、は大人しく小十郎に連行されるしかなかった。 通された部屋はこれまたやはり最初の部屋とは違うらしい。 だが最初の部屋よりも広く、生け花や掛け軸などの美しい調度品のある部屋だった。 「ここがあなたの部屋になります」 「私、の・・・?」 部屋を見回す。 だがここはの部屋ではない。 高校の制服も鞄も、10歳の誕生日に両親が買ってくれた巨大なテディベアもない。 完成された美がある和室にの居場所はない。小十郎を盗み見上げれば、またしてもあの鋭い視線がを串刺しにしていた。 「入れ」 地の底を思わす冷たい声は拒否権を与えない。 震える体で部屋に入れば、後から入ってきた小十郎が後ろ手で襖を閉めた。 殺されるのか、背に刺さる視線には歯の根が合わないほどかたかたと震える。振り返ることもできない。 「愛姫様」 二の句は続かない。無言の空気に促されるまま小十郎の方へと顔を向ければ、小十郎の表情は一層厳めしいものになっていた。 今にも泣き出しそうな、怒りに叫びだしそうな、感情の均衡を失った男がそこに居る。 だがに小十郎を気遣う余裕などある筈がなく、唇を噛みながら恐怖を抑え小十郎の言葉を待つしかなかった。 「あなたは政宗様の妻となるのです。今後とも大人しく政宗様に従って下さい。さもなくば、命はないでしょうな」 突きつけられた掲示には耳を疑った。 自分を無理矢理強姦した男の妻に、しかも拒否権はないうえに下手をすれば殺される。 あんまりだ、の音にならない嘆きを小十郎は気づいていた。だが何も言わない。言う必要もない。 布団と膳の用意をさせるべく小十郎が廊下に出ようとするが、ぐんと引っ張る意外な力に幾らか驚きながら振り返る。 涙を溜めながら、小十郎を見つめるの瞳。 彼女は恐怖をはね除け、小十郎にすがり付くように着物の袖を捉えたのだ。 それを成せるほどに、の中に駆け抜けた一閃は希望を孕んでいた。 「あなたは、私が、めごじゃない、って知ってるんじゃ、ないですか・・・?!」 震える喉が、掠れた声で言葉を紡ぐ。 最初からそうだった。 政宗や女中たちは常にがめごだと断定して話を進めた。がめごだと信じて疑いさえしなかった。 だが小十郎は違う。 部屋になる、妻になる。 小十郎だけが過去進行ではなく現在進行で語るのだ。 つまり、小十郎はがめごではないと知っている! 逸る気持ちと膨らむ期待。どうしようもない心臓の高鳴りと希望を掴んでから握り潰すのは、もちろん小十郎の言葉だった。 「それがどうした?」 「っ・・・!わ、私は、めごじゃないんです!あの人の奥さんなんかじゃないんです!私ここに居たくないんです!お願いだからここから逃してください!お願いします!!」 冷たく響く小十郎の声。 心臓の痛みを耐えながら一気に捲し立てるを前に、小十郎はあからさまに面倒だと言う風に溜め息を吐く。 それでもめげずにが声を張り上げようとすれば、小十郎の視線に鋭さが増した。 「黙れ」 「っ、」 肺を潰される圧迫感には口をつぐむ。一睨みされただけで呼吸もままならない。 小十郎はそのままを壁際まで追い詰め、最終通告を放つのだ。 「お前の名前は愛に変わる。以前の暮らしや親は忘れろ。お前は田村愛として生涯政宗様と添い遂げねばならない。大人しく従順でいるならばよし。だがもし政宗様に逆らったりしてみろ。死ぬよりも辛い苦しみを与えてやる」 「そん、な・・・」 足の力が失せていく。壁に体を預けなければ立ってもいられない。どうして?何故自分がこんな目に遇わなければならないなだろう!? ははらはらと涙を流し、小十郎を見上げる。感情の無い視線が、を冷たく見下ろしていた。 「愛と名乗れ。そうすれば衣食住に命の保証もしてやろう。愛姫様を演じろ。それ以外にお前は身を守るすべを持たない。わかったな」 言うなり小十郎は踵を返す。詳しい説明もないままが奪われる。壊される。潰されて消されて造り換えられる。がとして生きてきた17年が、そしてこれからの人生が、全てが、奪われる! 「・・・に、それ」 戦慄するの細い肩が戦慄く。 怒りか悲しみか、その両方か。 小十郎は振り返らない。 の頬を、大粒の涙が伝って落ちた。 「なによ、それっ!!」 爆発した音量がの喉を震わす。小十郎はやはり振り返らない。 それがの怒りの導火線を焼切った。 「なんなのよ!?意味わかんないわよ!私はめごなんて名前じゃない!父さんと母さんがくれたって名前があるのよ!私は私なの!私以外の誰でもない!めごじゃない!あんな男の妻なんかじゃない!帰らせて!私を家に帰してっ!私を家に帰して!!」 簪をむしり取り、長い髪を振り乱し、頭皮を掻きむしりながら叫ぶの悲痛な声が空間を切り裂く。だがやはり小十郎が振り返ることはない。何も語らない背中には掌の簪を投げつけた。 「なんとか言いなさいよ!誘拐犯!強姦魔!!あんたたちなんて大嫌いっ!命の保証なんて要らないわよ!私はここに居たくないのっ!これも、これも、これもっ!私のじゃない!全部私のものじゃない!」 飾り紐、帯、着物。肌襦袢のみを残して全部脱ぎ去る。手当たり次第に小十郎の背に向けて投げつけてやるがさしたる痛みはない様子で小十郎は部屋を出ていった。 「私を家に返してっ・・・!私はめごじゃないんだってばぁ・・・」 ずるずると壁に背を預けたままその場に座り込む。 答えなど帰ってくるはずもなく、は唇を噛んで嗚咽を漏らした。 |