いつもと同じような日だった。
空は適度に晴れ、風もなく、普段通りの通学日和。
鞄を拾い上げローファーに足を通す。
毎日の日課のように玄関の鏡で髪を整え、「行ってきます」と親に声をかけて家を出た。
いつもと変わりない、平凡な朝だった。

「あれ?」

パタン、と閉じたドア。
視界の先は狭い空と固いコンクリートの地面と、飛び交う様に走る車があるはずだった。
そのはずが何故か空は見渡す限り広く、地面は柔らかい土と草の感触、おまけに悠々と鳥が舞っている。なんてのどかな白昼夢。
はぼんやりと鳥を見送り、後ろを振り返る。

「え、?」

今しがた出てきた玄関がない。
ドアノブのあった辺りを空で探ってみるが、硬いその感触には行き着かない。
随分深い夢らしく、嫌気がさしながらも は目覚めるように意識に呼び掛けた。
しかしいつまでたっても夢が覚める気配がない。
学校のことを考えて焦りだした ば仕方なく自分の右頬を強くつねった。

「いった!」

意外な痛みに悲鳴をあげる。
自分自身でやったのだから世話はないのだが。
それでもしかし、これは可笑しい。
何故夢の中でここまで明確に痛みを感じる事ができるのか?
は首を傾げて、次に辺りをみまわした。
電柱ひとつありはしないだだっ広い野原。
少し進めば森があるのだが、ここがどこだかを検討付ける術には満たない。

「夢じゃ、ない?」

なら家は?車は?電柱や、人は?
一瞬にも届かない時間の内にすべてが霧散して、見たこともない世界に作り替えらている。
途端全身が粟立つ。
原因不明の恐怖が を飲み込む。

「ぅあ、や、やだ、」

意味がわからない。
言葉にならない音を溢しながら、 は二歩、三歩と後退するが、やはり家も道路も電柱も、何一つない、現れない。
じわじわと恐怖が全身を侵食する。
足がすくんで立ってもいられず、へたりと力なく座り込む。
スカート越しに感じる草や花の柔らかさも、今は恐怖を増長させるそれ以外の何者でもない。

ここはどこ?と音にならない悲鳴が小さく漏れる。
嘲笑うかのように上空の鳥が一声泣いた。

「Hey girl.What do you do?」

突然の音に ははっと振り向く。
男が立っていた。
少し鳶色の混じる明るい黒髪、それから蒼を基調とした古風な風体。教科書で見た昔の鎧に似ている。腰には六本もの刀が下げられていて,まさしく全身武装のその姿。
そうして右目を隠す、刀の鍔の形をした眼帯。
世にも奇妙な出で立ちに、一瞬恐怖も忘れる。

「・・・め、ご?」

漏れた呟きは小さく の耳には届かない。
だが、その唇の動きに はふと我に帰った。

「あ、あの!すみません、ここは」

どこですか?と続くはずの言葉は男の行動によって遮られる。
唐突に男は近づいてきたかと思えば、その腕が伸ばされ を捕らえていた。
身動きもとれずに固まれば、男は今度ははっきりと呟きを音にした。

「愛、帰ってきとくれたんだなっ、嗚呼、会いたかった。めご、めご、俺の愛・・・」

ぎゅうぎゅうときつくなる力に はやっと抵抗を始める。
細身からは思いもよらない腕力に閉め殺されそうだった。

「あの、ちょっ!離して!」
「No!絶対に離さねぇよ。愛、本当に会いたかったんだ」
「や、だ!離してください!私めごなんて名前じゃありません!」

どん、と強く胸元を叩けば男の腕が緩む。
咄嗟に身を引くが、男はしぶとく の細い手首を掴んでいた。

「What do you say?お前はめごだ、俺が見間違える訳がねぇだろ?自分の妻だぞ?」
「はぁ?」

まさかの妻発言に声も裏返る。
一瞬の隙に男はどんどん進んでいく。
体格と腕力の差は明白で、暴れても効果がない。
突然の展開に正解が見つからない。
恐怖と不安に逃げ出したくなる。
は必死に腕を振り上げ、男の拘束を逃れようと試みた。

「やめて!やだ!離してっ!私めごじゃないですってば!」
「Do not worry,大丈夫だ。きっと長旅で疲れたんだ。大丈夫、大丈夫だ。俺が付いてる、愛」

何度否定しても聞き入れてもらえない。
勘違いとは少し違う。
男は を見ていない。
それは更に恐怖を生み出し、 の恐れを煽り立てた。

「嫌ぁ!離してっ!!」
「愛?どうしたんだよ?」

こちらを労るような優しさが滲む声ではあるが、 の意識には届かない。
恐怖が騒ぎ立て逃げることだけを脳が命令を下すのだ。
いつまでも暴れる に男は「仕方なぇ」と一言呟いて、空いていた左手を素早く振るった。

次いで痛みに身体が緊張する。
上手く息が吸えずに涙がでた。
緩く男を見上げれば、今にも泣き出しそうな左目で「Sorry,」と呟く。
腹部で爆ぜた痛みが意識を奪う。鳩尾あたりが燃えるように痛んだ末、 はあっさり意識を手放した。









デッドエンドへの坂道