「てめぇが最後だ」 愛した男を胸に抱いた女が、大きく身を震わせるその眼前で男は口端を吊り上げた。 奇しくもそれは、男の兜と同じくした三日月の様な笑みだった。 「政宗様」 「小十郎、終わったぜ」 持ち上げられた御首は壮絶な表情で事切れている。 政宗は小十郎にその首を渡し、大きく息を吐いた。 戦場には、伊達軍の勝利を知らせる勝ち鬨と、それを覆い隠さんばかりの歓声が上がっていた。 政宗は六爪のうちの一本を振るう。 振り切った血が音を立てて上等の木目を汚した。 「俺の天下だ」 三日月の笑みを貼り付けたまま、政宗は歩き出す。 「武田に続き、北条、上杉、徳川に今川、浅井に前田、豊臣、そして織田。全て消えた。全て滅んだ」 兵達が頭を下げる。 政宗は一人ずつに労わる言葉を与えばがらも、歩みを止めない。 小十郎は変わらず主の後ろを付き従う。 竜は天を制したのだ。 それは必然の定めのように。 「」 戦場に似つかわしい豪奢な着物と、夜のように輝く御髪。 血濡れの鎧を纏ったまま、政宗は本陣の寵姫へと腕を差し出した。 「来い、いいもんを見せてやる」 女の白い、ほっそりとした腕が伸ばされる。 そっと政宗の掌に重ねられ、政宗はやわらかくその手を握った。 血を知らぬような白い肌は、誰よりも多くの血を見てきた。 竜と、その右目と共に。 今しがた落とした城の中は血の惨劇であり、閑散として人一人いない。 息遣いは政宗とだけのものであり、そのほかには誰も居ない。生きては居ない。 「本陣は無事だったみたいだな」 「成実様が守って下さいました故」 「なら、あいつにも特別恩賞やんなきゃな」 そう政宗は子供のように笑った。 はただ、そのように、と返事をする。 城の最上階に当たる、見晴らしのよい部屋。 魔王の趣味である、南蛮舶来品が多く並ぶその部屋の襖を開ければ、魔王の領地であった尾張が一望できた。 「魔王の世はもう仕舞いだ。見ろ、。この景色は俺のものになった。もうあんなくだらねぇ時代は俺が終わらせる。奥州筆頭伊達政宗、俺は、新しい時代を作る」 視線を先に縫いつけたまま、政宗は低く、深い声でそう屹然と言い放った。 「、あんたは今までずっと俺の傍に居てくれた。 小十郎と同じ位置で、それ以上を見てきた。俺が多くを殺し、奪い、潰してきた所を見ただろう?」 「・・・はい」 「今度は、虎のオッサンの代わりに見てやってくれ。真田や、上杉。俺が殺したやつらの夢の変わりに、この世界を見てくれ」 「・・・政宗様」 見上げた横顔。 時は幾年も流れた。 それでも、政宗の横顔には、あの時と変わらない不遜で無邪気な笑みと、統治者としての凛とした表情があった。 「俺の夢はな、誰もが笑って暮らせる世界だ。武士も農民も、誰もが幸せに暮らせる世界だ」 「・・・存じ上げております」 政宗はに向き直る。 時が経つにつれ、美しくなってゆく甲斐の虎の娘。 「、あんたは言った。天下統一の後。その時まで、決してあなたを楽には死なせません、と」 「・・・随分古い話を」 「茶化すなよ。なぁ、覚えてるか?」 隻眼の眸が真っ直ぐにを射抜く。 その視線に剣呑さはなく、ただ、戦の直後とは思えぬ程の穏やかさがあった。 「覚えております。一言たりとも、忘れてなどおりません」 あの夜のこと。 は何一つとして忘れてなど居ない。 「俺は天下を取った。五年待ってくれりゃ、安定した統治ができると思う。だからそれまで、俺の命を待ってくれねぇか?」 「政宗、様・・・」 「俺は、天下を取ることで殺して来たヤツに贖おうとした。けどあんたにゃそうはいかねぇ。無意味に国を滅ぼし、親を殺し、何もかもを奪った。俺は、俺の命をもって以外にあんたに贖う方法が見つけられなかった」 柔らかく、穏やかに笑う隻眼。 だからもう暫く、待ってくれないか? 優しさに溢れた声は、死を覚悟したそれとは程遠い響きに溢れていた。 「・・・なんて酷い人」 「?」 は視線を下げ、血濡れの篭手のままの政宗の両の手を握った。 「酷い人、この数年。私がどんな気持ちで傍に居たかも考えてはくださらなかったのですか?」 「・・・」 「この数年、私はあなたがどんな思いで天下をなそうとしてきたかを、一番傍て見てきました」 すいと上げられた眸は、変わらぬ強い光と、あの頃にはなかった、慈愛に満ちた暖かさがあった。 「誰よりもあなたの傍に居て、誰よりも先にあなたの考えを知ってきた。その私に待てと?」 「・・・」 「本当に酷い人。政宗様。あなたは私から国や親を奪っておいて、私の心まで奪っていってしまった」 その言葉に、政宗の残されていた左目が大きく見開かれた。 純粋な驚きだったのだろう。 幾数年傍にい、笑みを漏らしていた女とはいえ、心の底では憎まれてもしょうがないと甘んじていたのだから。 「その私に、あなたを殺せといいますか?」 握り締めた両手を持ち上げ、血濡れの篭手の上に口付けを落とした。 「父を殺し、幸村を殺したあなたを、そんなあなたを愛してしまった。 殺されるべきは私のほうです。父や国を理由に、あなたを縛り付けた」 殺したいほど憎かった。 それなのに、民を想い、人を想い、家臣を想い世を想うその姿を、いつまで憎めというのだろう。 にはできなかった。 だからただ、虚勢を張り続け、ただただ、影ながらに政宗を支えようとすることしかできなかった。 憎しみなど、怒りなど、とうの昔に露となって消えてしまっていたのだ。 「お慕い申しております」 こつ、と小さな額が握られた両手に当てられる。 さらさらと絹の様な黒髪が流れ、の表情を覆い隠した。 「、」 「お許しください、政宗様・・・」 篭手を伝って滴が畳を塗らした。 緩やかに顔を上げさせる。 宝玉の様なきらめきが、の頬の輪郭を撫でながら滑って落ちた。 「政宗様・・・どうか、お許しを・・・」 「もう何も言うな」 たまらずに政宗はを掻き抱くように腕の中に閉じ込める。 鎧だから痛いだろうとか、汚れてしまうだとか、様々な事を考えながらも政宗はを強く抱きしめた。 「笑ってくれ。。俺はあんたの笑顔がみてぇよ」 「政、宗、さ、ま・・・」 「頼む」 の為だけに作らせた香が鼻をくすぐる。 甘い幸福感に、政宗はぎこちなく笑みをかたどった。 「頼むから」 両目に涙をいっぱい溜めたが、不意に力を抜いた。 穏やかにたれた目じりから涙か零れ、それでも、柔らかくして生まれた微笑に、政宗は溢れる程の幸福を知った。 「ずっと、あんたに殺されてやらなきゃならねぇと思ってた・・・」 呪いのように耳に残ったあの言葉。 赦さないと、その言葉が政宗を死から遠ざけていた。 政宗の死は、だけのものだった。 「なぁ、これからは、俺と一緒に生きてくれねぇか? 戦のないこの世界で、俺と、生きてくれ」 緩やかに紡がれる言葉に、いよいよの涙腺は壊れたように涙を溢れさせる。 「政宗、様・・・!」 「まぁ、嫌とは言わせねぇけどな」 抱き合った至近距離のまま政宗はの顎を捉え、その唇に口付けた。 触れ合うだけの稚拙な接吻に、それでもは顔を赤らめる。 早鐘を打つ心臓の鼓動は触れ合えば政宗の耳にも届いた。 「Okってことでいいな?」 「狡い人」 赤らめた頬を隠すこともできず、は子供のようにそっぽを向く。 それに気を良くした政宗はくくと喉を鳴らして笑った。 「I love you , My dear」 流暢に流れる異国の言葉は酷く耳に優しい。 大方理解できるほどに慣れてしまったその文化に、は微笑む。 「I love you too ,」 尾張を一望できる魔王の間で、竜に捕らわれるその幸福。 は緩やかに、政宗の背に腕を回した。 羞恥に火照る体温に、冷たい鎧が心地いい。 怒りも憎しみも悲しみも、全てが溶け出して消えていく。 はゆるりと瞼を閉ざす。 瞼を開ければ、平定を果たした世がある。 父の夢、政宗の夢。 この世の多くが望んだものの世界。 それを見つめ続けるために、は誓う。 私は、この世界で、この人と生きていこう。 |
昇 華 し て 愛 に 変 え て